XXX   MAYMOON

 

 

 

 

 ×××


「できないの?」

「そんなこと言われても……」

 ソフィーはあたふたしながら、暖炉を盗み見た。
 頼みの綱の火の悪魔は寝たふりをして、煤を出す。

「うっ……」

 八方ふさがりとはこのことを言うにちがいなかった。
 マルクルはお使い(ハウルの企みに違いない。ご丁寧にヒンまで連れて行った)
 おばあちゃんは慰安旅行(よく考えればこれもハウルの……以下略)
 オマケに前にはハウル、後ろには壁というお決まりの体勢ときている。

「いいだろ?マルクルにも、カルシファーにもヒンにも……隣の国の王子にすらしたんだから」

 ――それならハウルにだってしたじゃない……。
 とは思うが、ハウルの拗ねた顔にはちょっとだけ――ほんの少しだけ同情しなくもない。自分だって好きな人が、誰か他の人とキスしたら〜と考えるといじけたくもなるのだ。
 だからといって、こんな平穏な時間に前置きもなくするのは……とためらってしまうけれど。

「ねえ、ソフィー?」

 覗きこむ目にはからかうような色が浮かんでいるのに、魔法使いはどうやら本気らしい。
 捕まれた腕がひりひりした。

 ――うーん、たかがキスよ! 
 えいやっと、心の中で唱えて、ソフィーはおずおずと顔を近づける。
 そのまま顎のラインを凝視しないよう、目を閉じて、唇に……

 ――あれ?
 早く目を閉じすぎて、しかも今回はハウルに動く気がないせいか触れられなかった。
 場所が分からない。
 けれども今更目を開けるのもためらわれた。
 気持ちだけ宙に浮く数瞬、
 ソフィーは唇が妙に熱をもって感じた。

 ――まさか……
 そう自分の中で何度も否定はしてみるものの、心臓の鼓動も、勝手に背伸びしてしまうつま先も、その熱も……ソフィーがハウルの唇をほしがっている証拠で……


「それじゃ届かない」

 くすっと笑われて、どんなに萎縮としたとしても自分から入っていった懐からは逃れられようわけはなかった。
 あと数センチだという勘だけを頼りに、ソフィーそっと舌を伸ばした。
 それはくちづけるのを怖がったとっさの動きで……。
 ほんのすこしの辛抱、探り当てたらキスをして――それで終わると思っていた。
 だが、そうは問屋が卸さない。
 ソフィーの舌はわずかにハウルの唇の右端をかすめただけだ。
 
「駄目だよ、それはキスじゃない」

 結果、ソフィーが覚悟と決めて顔を近づける前に、引っ込めかけた唇に何かが軽く触れる。
 そのままソフィーの下唇を這う。
 ――……っ!!
 衝撃に耐えかねて、開こうにもはソフィーの目は開かない。
 ――ずるい…っ……
 気付いても後の祭り。
 ハウルの魔法だ。分かりきっている。
 悪戯に抗議しなきゃとソフィーは口を開いたが、それまた失敗だった。
 何か言う前に、魔法使うの唇がその言葉を飲み込んでしまう。
 
「舌で探るんならこれくらいしなくちゃいけないだろう?なあカルシファー」

 ――っ?!
 他人(人ではないが)に見られる羞恥から逃れようと、ソフィーが抵抗すればするほど舌先は嬲るように歯肉を辿り、擽るかに絡められ、呼吸困難を呼ぶ。

「寝てるから……安心していい」

 言い聞かせる声は優しい。
 いつもならばこの調子の台詞は、ソフィーを落ち着かせたり、幸せな気持ちにさせたりするものだ。でも、今日はちがう。

≪ まだだよ―― ≫

 言外の声に、ソフィーの背中が震えた。
 ハウルは指をしっかり重ね合わせるように繋いで――これも毎度彼女を安心させる行動だったはずなのに、今日に限っては余計に心をざわつせる。

「少しだけ教えてあげようか」

 目が合った刹那、ソフィーはいつもの倍くらいの力で抱き寄せられ、さっきより深く唇を吸われた。
 逃れようと顔を傾けることすら許さない深い口付け。
 一度だけの、そのキスの後、ハウルはまた優しく言うのだ。

「舌を出して……そう、いい子だ……」

 ――駄目……。
 本能はそう告げる。
 でも唇は静かに開こうとしていた。

「ソフィー、覚悟はいい?」

 呼びかけに魔法が含まれて居ないと知りつつも、何故だかソフィーは拒めなかった。
 長い口付けの末、ハウルは

「キスっていうのはね……
  ―――好きな人だけにする、こういうものだけなんだよ―――」

 ドサクサ紛れにそういったが、言葉の意味を理解するより前に反応させられてしまったソフィーは、「はたしてそれだけをキスを言い切っていいものか」とこのたらしな魔法使いに頭を抱えた。
 ついでに、「そう簡単に他の人にこんなキスできるはずないでしょ!」と叱りこんで、不本意にもハウルを喜ばせてしまった挙句、「普通のキスを認めるか否か」でしばし阿呆なけんか(とかいて「いちゃつき」と読む)を何度も繰り広げることになるのだった。