きみを のせて






 ものすごい剣幕のと、ものすごく心配そうなの。見事な時間差連携で入ってきた同じ内容の通信におどけたりなだめたりしながら応え、その両方が提示した行動が一番であると判断してこの場にとどまっているが、時間が経つに連れてどうしたら言いのかわからなくなり、己の次の行動に踏み出せないまま、窓の外に目をやっても体からでてくるのはため息ばかり。しかも少し前から雨まで降り出してきた。
 壁の時計は午後九時を少し回ったところ。
 どちらの通信も、とにかくお前は家にいろ。と言った内容。しかしさすがに時間が過ぎていくにつれて、なんだかじっとしていられなくなり、探しに行こうにも、あの子が行きそうな場所なんかそもそも知らないと思い至って出したコートを仕舞ったり、また出したりと先ほどから無意味な行動を続けている。
「ほんと、どこいっちゃったの、みあ……」
 無数の人工の光が星のように瞬く窓の外を見つめながら、何度目か知れないため息をついて廉がつぶやいた。



 個人端末に『すぐに出ろ!』の最上級重要度を示す通信が入ったのは夕方の五時を少し過ぎた頃。珍しく一ヵ月近くかかった海外出張明けの割に、今日も真面目に仕事をしたので真面目に定時退社して、昼休みに約束した総務の女の子たちと晩ご飯を食べて、そのあと久しぶりにカラオケに行こうと決めていた廉が、デスクを片付けて立ちあがろうとした時だった。
 設定はしてあっても、そのコードでの受信は初めてで、ビービーガタガタやかましい端末をひっつかんで、何事かと顔を上げた社員に笑顔で手を振ってできる限り最速で室内を脱出し、廊下の隅っこで通話ボタンを押したら、浴びせられたのは『早く出ないか!』と言う怒鳴り声だったりとかしたら、条件反射でテンションが下がって不機嫌そうな顔が向こうに送られても仕方がなかったはずだと思う。
 空中に十四インチで展開される平面ディスプレイの可視範囲は上下左右十度、距離二十から四十センチからに設定しているので、別段普通に立っていてもまず他人に映像をのぞきこまれることはない。さらに、耳の裏に音声の送受信用のシールを貼っているので、実は実際声を出さなくても骨の動きだけで相手にいっていることは伝わるし、自分にだけ相手の声も聞こえる。にもかかわらず、隠れるように隅っこの観葉植物の陰でうずくまって端末を持つ姿はかなり滑稽だったと思うのだが、注目を集めた理由はやっぱり己の叫び声だったろう。叫ぶついでに立ち上がったせいで観葉植物をひっくり返したのも悪かったのかもしれない。
 廊下には毛足の短いフロアシートが敷いてあるので音はそんなに響かなかったが、廊下にはすでに大勢の社員が出てきていて、何事かを視線を向ける人々に、なんでもないよと笑った顔は引きつっていた。
「いなくなったって! いつ!? 学校で!?」
『いや、先週から休んでて家にいた。昼過ぎには居たんだが、さっき部屋に行ったらもぬけの空だ』
「あ、端末は? 子供の位置は親の端末で確認できるじゃん」
 端末にはGPSが付いているし、十八才未満の持っている端末は、文字通り親の持っている親機の子機になり、同調しているのでその気になれば子供の毎日の行動さえ親には筒抜けのはずなのだ。ただし、そこまで子供の行動に目を光らせている親はそういない。大抵は子供の自由を尊重しているし、親とてそんなにヒマではないので、四六時中見張るようなことはない。みあにしても、確認するまでもなくある程度遊びすぎるところはあっても許容の範囲内の行動であり、また自宅内ということもあって両親は全くその行動を見ていなかった。
『机の上に置きっぱなしだ』
「じゃあどっか、家の中にいるんじゃないの? ほら、小さい頃、狭いトコに入り込んで寝るクセがあって……」
『警備の赤外線探知を使ったんだが、屋敷の中で生きてる人間は俺と夏清だけだ』
「ちょっと待ってよ。端末なしでどうやって移動するの……」
 通貨が電子化されて、この時代現金を持ち歩く人間はほぼいない。全ての支払いは端末をかざすだけでできる。つまり、小遣いも子供の端末にリンクした子供の口座に親が送金するのが当たり前で、みあも現金なんて使ったこともないはずだ。駅の改札は近づけば自動的に降りる時に料金が精算されるし、自販機は端末を操作すればいい。ファストフードやコンビニ、タクシーの支払いさえ端末がなければ使用できない。緊急時用にある公衆電話は、警察と消防と病院にしか繋がらない。後払いを口実にしても、犯罪への助長を警戒して端末を持たない子供だけ乗せてくれるようなタクシーはないので、移動は不可能に近い。個人所有の車はキーになる当人の端末と生態認証などの複合的な情報がないと動かせないので、ますますありえない。
『スクータがなくなってるから、多分それで移動してるんだろう。お前のとこに行くかも知れないから、今日は今すぐまっすぐ帰れ』
 スクータは、車に乗れない年齢層が愛用している電動アシストつきの、キックスクータの略称で、軽くてコンパクトなのでたたんでディバック型のバックに入れて背負ったらそのまま電車にも乗れる優れた移動手段だ。だがしかし、最高時速は法律上歩道を走行することも可能と言う観点からも下り坂だって勝手に減速して出せる速度は時速十キロが限界である。
「そっちからこっちまで何キロあると思ってんの……母さんとこは?」
『哉のところにも今、夏清が連絡を入れている』
 心の中で、うわぁ そっちの人のほうがよかったなぁとか思いながら、ため息をついて了解し、通信を終えると、廉は総務の女の子に今夜の断りの通信を入れたのちエレベータへと走っていると、再び同じコールで通信が入り、今度は廉の母、樹理が泣きそうな顔でみあの不在を告げてきた。



 何度目か数えることもやめて再びコートを仕舞って、ため息をつきながらソファに沈んで目を閉じて、暫く寝ていたのかもしれない。来客を告げるメロディに跳ね起きてテーブルに置いた端末を繋ぐと、見慣れたエントランスの来客者端末の前に、少しうつむいた小さい影が立っていた。
「みあ!? すぐ開けるから上がってきて」
 エントランス錠を解除して、廉は部屋をでてエレベータの前に走る。すぐに到着を知らせる軽い音が鳴って、エレベータのドアが開いた。
「もう、めちゃくちゃ心配した! びしょびしょじゃないかっ 寒くなってきたのに風邪ひくよ」
 まさかエレベータの前で待っているとは思わなかったのだろうみあが、廉の声にびくりと一度顔を上げて、またうつむいてしまった。閉まりそうになったドアを足で蹴って、みあの腕をとって廉が狭いボックスから引っ張り出して抱きしめる。
 しばらくじっとそのままでいて、ゆっくり体を離してみあの顔を覗き込む。雨とは違う水滴が、大きな瞳をさらに強調する長いまつげに縁取られた端からぼろぼろ落ちている。
「とにかくっ みんなホントに心配してたんだよ? お願いだから一人でいなくなったりしないで。えーっと、うん。風邪ひくと困るから、シャワー浴びて。いや、お風呂張るから入って。服は……ああだめだ。乾燥機もないんだ」
 衣類は下着に至るまで全てまとめて専用の袋に突っ込んでクリーニングサービスのお世話になっているので、廉の家には洗濯乾燥機がない。いらないから。雨が降っているし、濡れてくることくらい予想がついたのに、己の気の聞かなさ具合にイライラしながら、廉が叩くようにセンターモニタで湯温を設定して、浴槽の蛇口をひねって湯を溜める。
「えーっと、服は絞って……何か袋持ってくるし、入れて。着替え……は、確か理利子のが何かあったと思う。それからドライヤはここね、ちゃんと髪を乾かしてから出てくること」
 初めて部屋に招きいれた女の子を、真っ先にバスルームに案内するのってどうなんだろうと自分自身に突っ込みながら、棚に仕舞ってあった真新しいバスタオルを取り出してみあに渡す。
「僕も着替えるし、ゆっくりちゃんとあったまるまで出てきちゃダメだからね。十分以内に出てきたら、着替え持ってきた僕と鉢合わせるよ? 絶対出て来ないで」
「…………」
 脱衣所を出て行こうとした廉が、何かが聞こえた気がして振り返る。
「……ごめん、なさい」
 顔に当てていた真っ白なタオルから顔を上げて、みあが小さくしゃっくりをはさんでつぶやいた。
 もう一度みあのそばに行って、頭をなでて、できるだけにっこり笑ってやる。
「いいから。あったまってから話そう?」



 濡れたみあを抱きしめて、湿気てしまった服を着替えた後、クロゼットをひっくり返して奥から少し前に廉の父からそのぶっ飛んだ生活態度にお小言を頂いていつものように屋敷を脱出して転がり込んできた理利子の家出セットを発掘する。その時はこちらに泊まらずに母に説得されて帰って行ったが、一定サイクルで叱られて脱走するというのを繰り返しているので、その都度ちゃんと季節に合わせた衣装がブランド物のトランクに詰め込まれ、持ち込まれている。理利子の方は端末付はもとより運転手付きでの家出で、行き先は廉のところだけなのですぐに分かる。
 年は理利子の方が下でもサイズは理利子の方が身長その他もろもろ大きいはずなのでなんとかなる。しかし、如何な娘のものでも年頃の女の子の衣類から、必要とは言え着る物一式取り出すのは……やめたほうが気の回る人みたいな気がして、みあが開けて選べばいいやと、一応脱衣所の外からと、入ってから声をかけてトランクと、濡れた服を入れるビニール製のブランドバックを置いて、少なくとも三日分くらいは気遣いをした気分で息をつく。
 一段落して緩みそうになった顔をぺしっと叩き、気合を入れてから端末でリダイヤル。
 端末を握りつぶさんばかりで待っていたのだろう、半コールで繋がって、ディスプレイに怖い人が現れた。
「礼良さん、近いです」
 そして顔が怖いです。
『みあが行ったのかっ!』
「うん。今さっき」
『みあは!?』
「シャワー浴びてる……って! 濡れてたからっ! 雨降ってるでしょ!? え? そっち降ってないの!? だからウソじゃないってば! 風邪ひいたら困るからで!! 服? 大丈夫、理利子のがあったから。え、うわあ。なんか誤解してるでしょう!?」
 最初から近かった相手の顔がさらに近づいて、思わず仰け反ったせいで可視領域を外れてしまった廉が慌てて体勢を戻す。
 屋敷から廉のマンションまでの距離とスクータの速度を計算すれば移動時間が出てくるはずだ。そこに疑う余地もないのはわかっているだろうに。
「ちょっと話して、送っていきますから。え、迎えに来る? まあ、いいですけど。それって来るまで一時間以上、僕の部屋で二人っきりでいていいってことで?」
 罵詈雑言、力の限り怒鳴られて、今度は意図的に可視領域からでる。とは言っても、声は聞こえてくるのだが。
 同じ密室でも、運転がほぼオートメーション化されて一般道はともかく高速に乗れば運転手はほとんど何もしなくていいにしても、車の運転席に座ればそれなりにやらなくてはいけないこともある。まあ、部屋にいるよりは色々自由にならない。
「じゃ、僕が送っていくってことで」
 なんとなく勝利を感じながら、廉はうそ臭い笑顔で通信を終え、ものすごく心配していた様子の母にもみあが来たことを伝えたのち、いかなる通信も取り次がないように通信ラインをクローズした。



 朝は紅茶と決めているので、茶葉と茶器だけはいい物をそろえている。ゆっくりお茶を淹れていると小さくドアの音が聞こえて、裸足で廊下を歩くぺたぺたという足音が近づいてくる。
「二十分か。髪も乾かしたね。うん、まあいいでしょう。そこのソファに座ってて。すぐ僕も行くから」
 時計を見て、みあの入浴時間を計り、廉がにっこり笑う。みあが黙ったまま頷いて、またぺたぺたと歩いていって、一旦キョロキョロ室内を見たあと少し湿ったままの黒髪が一つしかないソファにちょこんと沈んだ。
「廉君特製ロイヤルミルクティと、プリンだよ。って、プリンは母さんのだけどね」
 小物入れになったガラステーブルの上に、お気に入りのカップに注いだミルクティとしっかりした生地で出来ているせいでそんなに揺れないプリンを置く。
「みあがここに来るかも知れないからって、人に届けさせてくれたんだよ。みあはこれがすごく好きだからって。ほら、飲んで食べて? ちょうど飲みやすい温度にしたから」
 ソファは、ひとりでゆっくり映像を見るためにおいているもので、身を寄せ合って二人で肩を寄せ合ってなんとか座れる程度のサイズだ。もちろん向かい合ったところには何も置かれていない。しかしさすがに『ちょっと詰めて』というわけにも行かないので、廉は床の上に胡坐をかいて座っている。
 にこにこしながらも否を認めない口調の廉に促されて、おずおずと手を伸ばしてそっとカップを持ち上げてみあがミルクティを一口二口と飲んで、一度息を付いて、喉が渇いていたのを思い出したかのようにぐいーっと飲み干す。
「もう一杯淹れてあげる。その間プリン食べてて」
 先ほどよりも少しだけ甘みを落として温かめにしたミルクティと、もう一つプリン、そして自分用のストレートティを持っていくと、先に置いたプリンの皿はキレイに空になっていた。
「今度はゆっくり食べて」
「……廉君は?」
 今度はソファにもたれる様にみあとの距離を詰めてミルクティ用に淹れた濃い紅茶をすすっている廉に、みあが問いかける。
「僕の心配はいいの。みあは、最近あんまりご飯食べてなかったって? だめだよ。ただでさえ細っこいのに、食べなかったら折れちゃうよ」
 その言葉に、しゅーんとみあがうつむく。落ち込んだ様子に、地雷を踏んだ廉がどうやって慰めようかと心情では頭を抱える。ものすごくスタイルのいい母と姉を見て育って、自分もきっとそうなると信じていたのに思春期も半ば、あと二ヶ月もすれば十七才になるというのに、一向にそちらの方向に進まないのをちょっと、いや、かなり気にしているらしいことは聞いている。今も、三つも年下の理利子の服が、いろんな部分でゆるそうだ。腕の長さが違うので、理利子にはピッタリのイタリアブランドの服も、みあでは手の甲まですっぽり隠れてしまい、メリハリの効いたボディにぴったり添うようにタイトに作られた服なのに、全てのパーツで生地が余っている。
「今度どっかにご飯食べに行こう。あ、理利子も一緒にね」
 でないと、仲間はずれにされたと怒り出すのだ、あの子は。
「おいしかった?」
 二つ目のプリンを食べ終えたみあに尋ねると、長いまつげに隠れて瞳が見えないほどまぶたを伏せたまま、こくんと頷く。
「……なんで、こんなに悲しいのに、おいしいのかな……」
「それはきっと、みあが生きてるからだよ。ごめんね、あんが死んだこと、知らなくて」
 夏が始まる前くらいから、調子が悪そうだと聞いていたし、幾度か井名里の屋敷を訪れて、以前は廉が行けば気の済むまで撫でてと寄ってきたのに、動くのも億劫な様子でこてんとお気に入りの毛布の上でうつらうつらしながら寝ている姿は見ていた。
 体毛も昔よりも白っぽくなって、白内障を患った目は、一度手術したけれど、あまり視力が回復しておらず、もうほとんど見えていない状態で、やわらかくした高カロリーのドッグフードをほんの少ししか食べなくなったと聞いていた。
 犬の十六才、あんは中型と大型の中間くらいのサイズの犬だったので、人間に換算したら裕に百才近くなっていたはずだ。それでもなんとか暑い夏を乗り越えたものの、季節の変わり目に体調を崩して、全く歩けなくなって、エサも自力で食べられなくなり、みあは学校を休んで必死で付き添ったが、それでも寿命に勝てるものはなかった。
「廉君は、いなかったから。突然来てごめんなさい。理利子が、廉君……今日、帰ってきたって……教えてくれて。ど……しても、会いたくて」
 膝を掴むようにきつく握った小さな手に、手のひらを重ねて謝る廉にみあが首を振る。その振動で、こぼれた涙がぽろぽろと左右に振りまかれる。
「うん。会いにきてくれてありがと」
「うちも、理利子のとこも、どこも、いつも、一緒にあんがいて。どこに行っても、思い出すの。もういないのに、いないなんて、信じられなくなるの」
「そっか。ここは、初めて来たもんね。道、よく分かったね? 端末置いてきちゃったでしょ?」
「……ん……まえ、授業でハザードマップ作った時、色々シミュレーションして、端末、忘れたの途中で気がついたけど、道は覚えてたから」
 こともなげにさらりと言ったみあをそっと抱きしめながら、廉は内心舌を巻く。何でも覚えていてくれて、教えてくれる携帯端末に慣れた現代人は、己の頭で何かを記憶する術を無くしつつある。コレだけ距離の離れた、実際には訪れたことのない場所を、シュミレーションだけで覚えていられるとは。
「みあは、ずーっとあんと一緒だったもんね」
 鎖骨より少し下に当たるみあのおでこが小さく上下する。風呂上りで適度にしっとりとした髪をただ黙って撫でる。
 物心つくよりも前から傍らにいた存在。どこに行くにも一緒で、あんと離れるのがイヤでみあは幼稚園を三日でやめてしまった伝説を持っている。さすがにその後、みあの両親やら当時はまだ家にいた姉のちいやら、廉の母親やらから二年に渡って教え諭されて、学校へは一人で通うようになったものの、それでもそれ以外はどこに行くにも犬連れだ。よく泊まりに行っていた氷川の家にも、いつだってあんが一緒だったと廉は聞いている。
「わかってたの、人間より、犬のほうが、早く死んじゃうことくらい、知ってた。でも、あんは違うって思ってた。ずっとずーっと、一緒にいられると思ってた。あんだけは別だって、思ってたの、私」
 廉の胸元を掴んだ手が震えている。
「なのに、いなくなっちゃった。もう、触れない。撫でられない」
「うん。僕ももう一回足の裏でゴロゴロしたかったなぁ 悲しいけど、もうできないね」
「あんが、遠くに行っちゃったよ、廉君……もう戻ってこないよ。何回も呼んだのに、帰ってきてくれないよ」
 一度ぎゅっと抱きしめて、ゆっくり体を離す。関節が白くなるくらい力を込めた指をゆっくりほぐして、まだ震えるみあの両手を、廉の手がすっぽりと覆う。
「逝ってしまった魂は、戻ってきてくれないからね。でも、ずっと離れないものもあるよ」
 覗きこむようにした廉の顔を、泣きすぎてくしゃくしゃの顔をしたみあが不思議そうに見ている。その顔ににっこり笑いかけて、おでこをくっつけて廉が言葉を続ける。
「体は一人一人、みんな別々に持っているけど、心は一人だけのものじゃないんだよ。周りにいるいろんな人の心と、触れ合ったり重なり合ったり溶け合ったりして存在するんだ」
 小さくて細い指の間に絡めるように指を入れてそっと握る。
「例えば、この手は触れ合ったり重なったりできるけど、溶けてくっついたりはしない。でも心は、この手を通して……ううん、離れていても溶けて混ざり合うことが可能なんだよ。そうやって心は成長するんだ。
 みあとあんは、人間と犬で、言葉は通じなくても、心はものすごく近かったと思うよ。みあが何も言わなくてもあんには分かってるようなところがあったもん。今、みあは、目に見えるあんがいなくなって、心の中のあんまで遠くに行っちゃう気がして、辛いんだよ。でもね、そんなことないよ。みあの中に溶け込んだあんの心は、あんのものだけど、みあの心の中から出て行ったりはしない。遠くになんか行かない。ずっとそこにあるよ。
 いつだって、どこでだって、みあが思い出せばあんはいるよ。でも、もう触れないし、舐めてももらえないし、わんわん鳴いてもくれない。それは、命のあるものの別れだから、誰にも逆らえない摂理で、みあの願いを叶えてみあに泣き止んでほしくても、僕にも覆せない事実だ。きっとみあは、これからもっと悲しい別れをたくさんしなくちゃいけない。でも覚えていて、悲しい別れになるのは、それまでがとてもとても幸せだった証だよ。心が裂かれそうなくらい辛いのは、深く深く繋がってたってことなんだ。その悲しさも、辛さも、人が生きていく上では大切なことで、避けたり逃げたりしたらだめなんだ」
 繋いでいないほうの手でこめかみから指を入れて、髪をすくようにして顔を離す。
「僕のとこに来て正解だよ、みあ。僕がみあのセーフティネットになってあげる。どーんと飛び込んできても大丈夫。いっぱい泣いていいよ。泣いて泣いて泣いて、気が済むまで泣いて、思う存分泣いてから、泣き止んだらいいんだ。泣き止んだら笑ったらいい。怒ってもいい。おいしいものをおいしいって感じて、面白い物や、楽しい事を見つけるのもいい。誰もみあを責めたりしないよ。それより、きっとみんな、ううん、僕はみあが笑えばうれしいよ。
 いままであんと寄り添ってきた部分が空いてて寒いなら僕が埋めてあげる。あんみたいにあったかい毛皮はないけど、あんよりずっと長い腕で抱きしめてあげるよ。ねえ、みあ。僕はみあが好きだよ? ずっとずっとこれからも一緒にいたいと思ってるよ。僕じゃイヤ?」
 やっと焦点が合うくらいの近さにあるみあの顔が、左右に揺れる。
「……私も、廉君が好き。廉君がいい。廉君じゃなきゃイヤ。私も、廉君とずっと一緒にいたい」
 まだ目じりに涙が残る潤んだ瞳に口付けたい衝動をかろうじて制御して、これ以上みあの顔を見ていたら自分に正直な自分に敗北しそうで抱きしめてごまかす。偉そうなことを言った割に避けて逃げているなぁと、見えないのをいいことに自嘲気味に笑って、声には出さすに『よしっ』と気合を入れて体を離す。
「もう遅いから送ってくよ、みあ」
「え?」
「礼良さんも夏清ちゃんも、僕の両親も理利子も、みんなすっごい心配してたんだよ。端末持ってないから、ドコにいるかも分からなくて。ここに来たことは連絡入れといたから、きっとまだ帰ってこないってギリギリしながら待ってるよ」
「うちに、連絡したの?」
「あたりまえだよ。と言うより、ものすごい剣幕の通信が入ったんだけどね。今度からはどこかに行く時は端末持って出かけること! ここに来るなら来るで、ちゃんと夏清ちゃんくらいには言ってから来なきゃダメだよ」
 ぽかんとした顔をしたみあに、廉が両手を腰に当てたポーズをとりながらもため息混じりに言う。
「え、えと、うち、帰りたくない。ここにいたらダメ?」
「ダメ!! 絶対ダメ。そんなことしたら僕、殺されるよ? すんごいガマンとかした僕の努力が水泡に帰すよ。じゃなくて、今ちゃんと帰ったほうが、あんまり叱られずに済むから。今後の為にも絶対泊まったりとかはダメ!! それに分かってる? みあはね、未成年なの。オマケに端末持ってないの。これって実は、一緒にいる成人の僕は立派な犯罪者なのっ 拉致監禁で親に訴えられたら状況判断で初犯でも執行猶予がついても実刑モノなの。せめてお願い、十八になってからにして。ああでも僕、あと一年くらいでラスボス攻略できるだろうか……レベルマックスでも勝てる気がしないよ……」
 長い手を顔の前でクロスさせて、廉がぶんぶん頭を横に振ったあと、ガックリ力なく床に両手をついてくず折れる。
「あの、廉君?」
「いや、うん、こっちの話。とにかく帰ろう。一緒に謝ってあげるから」
 一頻り落ち込んでから、廉が立ち上がり、携帯端末を取り上げる。
「ああそうだ。ちょっと待ってて。確かこっちの引き出しに……あったあった。ハイ、コレあげる」
 言いながら引き出しを漁って、紐を通す為の穴が空いている以外何の刻印もない、まったいらなツマミ部分と、そこから伸びた直径三ミリほどの円筒形をした差込部分の先には、何もないよりはマシだろうと言う風情でつけられた平らなでっぱり。昔読んだ子供向けの探偵小説の挿絵にあった様な、前方後円墳型の鍵穴に差し込めそうなおもちゃのカギ。あげるという言葉に条件反射のように出したみあの手のひらに転がす。
「ここのカギだよ。端末のセンサにかざしたら勝手にキーデータがインストールされてこっちはただの棒にもどるから。インストールゲートは夏清ちゃんに開けてもらってね」
 廉の説明の間も鈍色に光るカギを珍しいもののようにじーっと見つめている。
「初めて見た?」
「こういう形のは初めて見た。教材のは、四角いチップだし」
 未成年の携帯端末には、子供が勝手にデータを取り込めないようにセキュリティがかかっている。学校でインストールされる教材用のデータ以外は、保護者の端末と同調させてゲートを開く必要がある。
 廉の渡したカギは、携帯端末にデータとして入れないと作動しない。端末を介して使えば、誰が侵入したのかも分かる仕組みになっている。まあ、そうは言っても裏では違法な端末も出回っているので、それで百%犯罪を防ぐことはできないのだが。
「そのほうが収まりがいいからね。コレはまあ、カギだからカギの形にしたかったみたい。分かりやすいでしょ。みあが来たい時にここに来ていいよ。あ、ただし、夏清ちゃんと僕には連絡頂戴ね」
 使った食器を食洗機に入れてスイッチを入れ、リビングを覗くと鍵を乗せた両手を胸のあたりでささげるようにして立ったままのみあを玄関に促す。
「……いつでもいいの?」
「いつでもどうぞ。僕がいない時でも別に構わないから。でも僕もここには寝に帰るくらいだから、何にもないけどね。みあのお屋敷や氷川の本家と比べたら狭いし。それでもいいなら、だけどね」
 そんなことはなんでもないと言うように、みあが首を横にぶんぶん振る。そしてうれしそうににっこりと笑って廉を見上げた。
「ありがとう」



 夜の高速を飛ばせば、ノロノロとした道を迂回しながら、歩道や二輪専用道を走ることに比べて十倍くらい早い。その上、高速に乗ってしまえば運転はオート化されているので、運転手が車内で本を読むことだってできる。逆にセルフで運転した方が、混乱や渋滞を引き起こすことになってしまう。
 初めは廉の仕事の話や、出張先での笑い話、みあの学校の話をしていたが、みあがクラスメイトと廉の昔の歌をよくカラオケで歌うと言う話から、いつのまにか車内は廉の一人カラオケ状態になっていた。
「すごい、私、キー三つ下げないとサビがきついのに……なんでそんな高い声でるの……」
 さすがに以前と同じキーでは声が出ないけれど、二キー下げればギリギリ音が取れる廉の声に、みあが大きく開けた目を瞬かせてびっくりしている。
「それはねぇ デビュー前に血を吐くかってくらいレッスンしたから。一年くらいずーっと、声の出し方と音のとり方とダンスの基礎をみっちりやったからだよ。地声はもうこんな低いけど、声帯開いたらまあそれなりにってことかな。三キー下げなら上等だとおもうよ。この曲のサビは殺人的に高いから。会社の女の子ともカラオケ行くけど、五キーでもキツそうだもん」
「廉君カラオケ行くの!?」
「行くよー 最近の曲も歌うけど、やっぱ自分の曲がラクかなー 体が覚えてるし」
「そんなことしてバレないの?」
 名前も一緒だし……と先ほどより驚いている様子のみあに、廉が笑う。
「バレないバレない。誰もRENが男だ何て思ってないもん。僕はその間はニューヨークにいたことになってるし、RENはあっちでも……まあ日本人にだけど認知されてたから日本にいなかった僕がリアルタイムで知ってても不思議じゃないし。これっぽっちも疑われてないよ。『歌えるなんてすごーい』とか言われるけど、まあ僕らの年代なら男女問わずみんな知ってるしね」
 ナビゲートしている端末が、高速の降り口が近いことを告げる。勝手にウインカーが作動して、離脱レーンに入り、徐々に減速して、ゲートを抜けた後はセミオートになるので、人間が加速をかけないと車はそのまま止まる。一般道でオートなのは、急な障害物や、前方の車の動向によっての減速時に限るように設定してあるので、実質は廉が運転をしなければならないからまじめにハンドルをにぎる。
「なんか、緊張してきた」
「何でみあが緊張するの。僕のがどきどきしてるよ」
「そっくりそのままその言葉返すよ。どうして廉君がどきどきするの?」
「いや、まあ、いろいろ。ほら、一緒に謝ってあげるし」
 周りの建物が徐々に低層化していき、大きな一軒家が目立ち始める。夜の住宅街はすれ違う車もなく、しんと静かだ。
「みあ、なんかしゃべっててよ」
「なんで? じゃあ何かラジオか曲かけようよ。廉君のでいいから」
「のでいいとか……スタンダップ、RENの曲を全てノーマルで再生」
 がっくりしながらも音声で端末を操作して曲を再生する。
「ごめん、そう言うつもりじゃ……」
「え? うんわかってる。大声で歌っていい?」
「ドウゾ」
 かわいい女の子としか思えない声と、いつもより少し高いけどちゃんと男性の廉の声がきれいに重なる。
 同じメロディラインなので厳密にはハモっているわけではないけれどオクターブが違うのでどちらか一方だけを聞くのとは違って不思議だが、目を閉じて聞き入ると、元々同一人物の声なので耳には心地いい。
「みあ? 寝た? もうすぐつくよ」
「ん……寝てたかも。廉君の声、気持ちよかった」
「みあは歌うまいよね。ちいちゃんの妹とは思えないくらい」
 門扉のない門を車が通り、駐車スペースに止まる。
「……お姉ちゃんは……なんて言うか、完璧な人間はいないんだなって思う、あの歌を聞くと」
 容姿も脳みそも超一流なのに、みあの姉はなぜか歌だけは下手だ。それも超がついていいくらいに。単調な童謡ですら異様なくらい音をはずす。小さい頃、さすがのみあも『もういいよ』と、止めてしまったくらいに。もう根本的な部分でリズム感がおかしいとしか思えない。タタタンタ、だよと教えても、たたんたた、で再生されてしまうのだ。当人の中で変換されてしまうらしく、どうがんばっても直らない。
「あれで僕が歌ってた歌とか作詞してたとか、確かに不思議だよね。どんな神業だったんだろうって今でも思うよ。ちいちゃんがつけた歌詞、リズム取りにくくて大変だったけど、あの子の中身って根本別次元なんだもんなぁ」
 車から降りて、いない人間のことを事実であるが悪し気に言って気を紛らわせながら、廉が玄関でインターフォンを押そうと伸ばした手がまだ宙にあるうちに、中からばーんと扉が開いた。
「みあ!? アンタはどうしていつもいつも突然いなくなってっ! どんだけ心配したと思ってんのよっ!!」
 逆光の向こうから現れた人物にぎゅうっと抱きしめられる。
「え? お姉ちゃん?」
 このままその胸の中にいたら窒息しそうで、みあがもがきながら顔を上げる。
「あの、ちょっと、苦しい。それに私、そんないつもいつもいなくなってないよ。これで二か……って言うか、どうしてお姉ちゃんがここにいるの?」
 わからないことだらけで、みあの頭の上にクエスチョンマークが踊っている。
「ほらほら、そんなとこに居ないで。中に入りなさい。廉君もどうぞ。色々迷惑かけてごめんなさいね」
 放っておいたらいつまででも玄関で妹を抱きしめ続けるであろうちいと、予期しない事態に動きが止まってしまった廉を、夏清が促す。
「お姉ちゃん、大ちゃんは?」
「ん? 島に置いてきた」
「またそんな、かわいそうなこと……」
「ウソだよ。さっき空港に送ってきたの。オーロラ撮影会とかに呼ばれてて、ノルウェーに行ったよ。あ、それより今回は愛杜(まなと)も来てるんだよ」
 だまされてふくれっ面でみあが見上げると、にっこり笑っているその人は、自然にくるくるする髪を無造作にひっつめて、クタクタになるくらい着潰したと思われる長袖のTシャツにジーンズといういでたち。昔この家にいた頃はもっとおしゃれにしていたと思うのだが、島民三百人あまりの場所に住みだしてから、かなり構わなくなってしまっている。どんな格好をしていても、人目を引かずにおれない人なのだが。
「愛杜君来てるの? うわぁ 久しぶり。この夏は遊びに行かなかったから、二年ぶりくらいかな。おっきくなった?」
「うん。ニョキニョキ育ってるよ。みあより背が高くなってる」
「えええー また私が一番チビになるの? 愛杜君にだけは勝ってたのに。でもなんで? 一応学校あるよね? 今はまだ」
「ちょっと色々頼みたいこととかあってね。本人も連れてきた方がいいかなと思って……」
「お取り込み中悪いんだけど、誰の話?」
 廊下を歩きながら、ポンポン会話を交わす姉妹に、やっと廉が口を挟む。
「え。あれ? 廉知らなかったっけ? 言ってなかった? おかしいなぁ 愛杜引き取ったのってもうかなり前なんだけど、言ってなかった?」
「えっ!? 廉君知らないの!? 私も言ってなかったっけ? 言ってないかも。愛杜君がお姉ちゃんとこ来たの、結構前だよね?」
 足を止めて異口同音。妙なところでそっくりなのだ。大事なことほど忘れっぽいとか。
「うわー ゴメン。えーっと、何年前だ……うん、愛杜が七歳だったから七年前か……
 島にね、ちっちゃい診療所があって、医者は週一で通いなんだけど、常勤で看護士さんはいてくれてるのね。愛杜のお母さんももともと本土の人なんだけど、島にきてくれて、医者より頼りになるくらいいい看護士だったんだけどね、若くてもあるんだよねぇ 突然死っていうの。ホントに、ある朝起きてこなくて、そのまんま。
 当人に親兄弟もいないって話だったし、シングルマザーで、子供一人になっちゃったんだけどちっちゃい島だからさ、施設とかないし。本島にもないから、愛杜は東京に行くことになったんだけど、島に残りたいって本人が言うから……」
「……引き取ったと?」
「うん。まあ、養子とかじゃなくて、未成年後見人だから愛杜の苗字もそのまんまなんだけどね。母親が遺した保険金とかもあって管理も誰かがしないとダメってこともあって、面倒見るくらいいいかなって。ウチ、子供いないし。でもほら、愛杜も来年から高校生になるし、通信でもいいかなと思ったけど、やっぱり生身で友達作った方が後々いいかなぁとも思って、来年の春からこっちの学校に入れようかなと。で、ここに居候させてもらおうかと」
 島にも学校はあるが、小学生も含めて四人しかいないのだ、生徒が。授業のほとんどが通信学習なので、離島にいても基本的な学習提供においては格差はないし、運動の面でもほとんど年中泳ぐことの可能な海があり、狭いながらもグラウンドもあるのだから基礎的な部分は都会の子供より高いのだが、やはり歳の近い子供たちと集団で行う競技を一度もせずに十代を終わるのは、いろんな可能性を具現させることなく終わらせると言うことになる。
「愛杜って結構頭良いし、運動もそこそこだと思うんだよね。七年前はともかく、一度島を離れてもいい頃だと思うんだ。現に高校からは本土や本島に行くって子は少なくないし」
「ホント? 愛杜君こっちに来るの!?」
「その相談に来てみたら、お父さんはビリビリしながら端末睨んでて話しかけられるような状態じゃないし、お母さんに聞いたらみあがいなくなって廉のとこに行ったみたいとか言うじゃない? もう、それどころじゃなかったよ。あんが死んじゃったって聞いて、見送り云々じゃなく本当にもっと早く来たかったんだけど、海の具合が悪くて。ごめんね?」
「ううん。明日もいる? 一緒にお墓にいこ」
「いるよ。こっちで片付けたい仕事もあるし、一週間くらいの予定。それよりもさぁ これまたさっき連絡があったんだけど。うん、廉には朗報かな。今、お父さんいないんだ」
「「えっ!?」」
 叱られる覚悟で帰ってきたみあも、何かしら嫌味を言われるつもりで来た廉も、ニヤニヤ笑いを噛み潰したような顔のちいに、同じタイミングで反応する。
「ってか、もうすぐにぎやかになると思うよ。まあ、立ち話もなんだし、つかの間ゆっくりしよう」
 リビングのドアを開けて、ちいが廉、みあ、夏清の入室を促す。
「愛杜君っ 久しぶりっ!」
「久しぶりー みあちゃん、あんちゃん死んじゃったんだってね。大丈夫? いなくなったって聞いて、すごく心配したよ」
「うん、もう大丈夫。ごめんね、心配かけて。それより相変わらず真っ黒だね。あ、この人がね、廉君。で、廉君、こっちが愛杜君」
 テーブルの向こうから、身軽な足取りで細身の少年が急ぎ足でやってくる。男の子にしては少し長めの髪は全く染めていないのだろう真っ黒で、さらに肌も小麦色だ。身長はちいの言うとおり、みあよりも少し高いくらいか。
「こんばんは。香坂(こうさか)愛杜です。みあちゃんから色々聞いてたけど、ホントにカッコイイ人だね」
「でしょう?」
 みあと両手を合わせてぺちぺちタッチしながら一緒にニコニコしている様子は女の子が二人いるみたいだ。
「こんばんは。氷川廉です。ちいちゃんがこんなかわいい子隠してるなんて知らなかったよ」
「隠してないってば。廉も遊びに来れば良いのに、来ないからすっかり言い忘れてたんだよ」
「うわ、人のせいにした」
「お茶が入ったから、座って話したら?」
 まだ入り口付近にたむろしている四人に、夏清が苦笑して声をかける。
「みあ、おなか空いてない? おにぎりくらいならすぐできるけど」
「ハイ! 僕おなか空いてる。だってみあのこと待ってて何にも食べてないってこと今思い出したから」
「私もっ お父さん居ないって聞いたらなんだかものすごくおなかが空いてきた。お姉ちゃんと愛杜君は?」
「みんな食べるなら、私たちもなんか頂戴」
「じゃあ何か作るわ。大食らいも帰ってくるみたいだし」
 挙手する廉とみあに、ふうと息をついて肩をおろし、夏清がやれやれとでも言った風でキッチンへ消える。
「あ、そうだ。なんで礼良さんいないの?」
 入れられたお茶を飲みながら、廉が思い出したようにちいに聞く。
「うん、私が来て、廉から連絡があったすぐ後に、お父さんの端末にお兄ちゃんから連絡が入って」
「お兄ちゃん? 久しぶりの所在地報告? それともまた子供ができたとか?」
「両方。って言うかね『今空港についたんだけどー電車ないしタクシーに乗るお金もないから迎えに来てー』だって。私もさすがに朝から船出して車に乗ってで体力限界だし、仕方ないからお父さんが行ったの」
 ちいが健太ののんきそうな口調を真似る。
「空港って、どこの? 日本の?」
「私がさっき行ってた空港だよ。ホントにもう、飛行機に乗る前に連絡してくれたら、私らだって機材とかもあって大きい車レンタルしてるし、ちょっとくらい待ったって乗っけて来てあげたのに」
 無意味に紅茶をぐりぐりかき混ぜながらちいが頬杖をつく。
「それもね、子供四人連れて帰ってきてるの。なんか、もう一人出来ちゃったのがわかって安定期はいんないと家族で来れなくて、とりあえず自分のことは自分でできるの連れて来たんだって」
「……なにしに?」
「まずは本の宣伝したいみたい。英語で書いてても元々日本人だし? 翻訳も自分でやったとかで、結構真面目に日本で売る気みたいだよ」
 健太は、世界中の教育現場とその裏側を渡り歩いて見て聞いて比較した本を数冊手がけている。というより、本の売り上げと講演会の出演料、それらの映像資料などが生活の収入源だ。活動できる時間をほぼ全てフィールドワークに徹しているが、他に類をみないほどのデータ量で構成された内容が教育者には好評で、本も映像資料も世界中でダウンロード閲覧されているので、それなりの収入にはなっているはずだ。
「日本も十年以上離れてたし、データだけじゃない現場がみたいとかで、暫く居るらしいよ。しかもこの家に居座る気満々」
「それはあなたもでしょう、ちい」
 おいしそうなニオイを伴って、夏清がお盆を手にやってくる。
「私は半々だよ。半月こっちで、半月あっち」
「お姉ちゃんも帰ってくるの!?」
「うーん。弁護士とかの有資格者が私しかいないから、あっちにもいないとだめなんだけどね、ローカルでテレビに出るから、それの収録もあって来年からは半分くらい東京かな。愛杜のこともあるし」
 小さな島で弁護士の仕事なんてあるのかと言うと、案外必要とされているらしい。普通なら行政書士がするような仕事も、その資格者が居ないところでは雑務もちいのところに持ち込まれる。裁判沙汰とまでは行かなくても、狭いながらも小さないざこざは起こるので、双方の言い分を聞いて仲裁するのも六法全書と肩書きが片手にあればなんとかなる。
「……どうしてかしらね、集まる時は集まるというか……」
 皿を運んだり並べたりするのを手伝う為に席を立ったみあが、湯気の立つご飯の入った茶碗を廉に渡しているのを見ながら、夏清がつぶやく。
「案外さ、あんが呼んだんじゃない? 自分が居なくなって、みあが寂しくなるから全員集合! って」
 いただきますと両手を合わせて箸を持ち上げた廉が、味噌汁片手に何気ないように言った言葉に、夏清が頷く。
「そうかもね。そう言えばね、みあが生まれた時も突然健太が帰ってきて、家族が揃ったのよ。みあが一人じゃ寂しくて呼んだんだってみんな納得したのよねぇ きっとみあが寂しくならないようにって、また兄弟一緒に暮らせるようにあの根無し草を呼んだのね。あんはみあのこと、すごく大事にしてたから」
「え? 逆じゃなくて?」
 廉と一緒に食べ始めた愛杜が真っ黒い目をきょとんとさせて小首をかしげているのをみて、ちいがくすくす笑う。
「あんはずーっとみあのお姉さんだったんだよ。みあがあんのことをものすごく頼りにして大事にしてたのと同じように、あんは、みあのこと世界で一番大事にしてたんだよ。そりゃあ自分が死んだあとのこととか、気がかりでしょうがなかったでしょうよ。実際、端末置き去りで失踪するし」
「そうなんだ。島にも一緒に来てたもんね。犬がケージにも入らないでおとなしく船に乗ってくるの、ボク初めて見たもん」
 小さな島なので、本島との間にも定期運航の船はない。なので、漁船に乗せてもらうか、海上タクシーを使うのが交通手段だが、ちいは自分の船を持っているし、船舶免許も取っているので、犬が放されていても誰に咎められることもないが、人間用の柵しかない船の船首に、四足でバランスをとりながらちょこんと乗っていたあんの様子を思い出して、愛杜が感心したような顔をしている。
「でも、端末も持たずに出かけるのはダメだよ。島でだって持ってないと叱られるのに。こんな都会で……何もなくて良かったけど」
「んもぅ 今日のことは心配かけて悪かったと思ってるもん。端末は本当にすっかり忘れてただけだよ」
 自分のご飯を置いて席に着いたみあが、ちょっと顔を赤くしながら抗議する。
「あ、お母さん、これ、端末に入れて」
 自室に忘れて置き去りにしていた端末が、なぜかキッチンのカウンタに置かれていたのでご飯と一緒に持ってきたみあが、廉からもらった鍵をポケットから出す。見るからに鍵といったそれを見てちいが手を伸ばす。
「なにこれ。キー?」
「うん、廉君ちの」
「ふうーん」
 ニヤーっと笑ってみあに鍵を返したちいに、廉がなんですかとでも言いた気に憮然とした表情を作る。
「みあ、これは本当に廉君のおうちのキー?」
「え? うん。さっきもらったの。入れたらダメ?」
 改まった様子で夏清に問われて、みあも少し居住まいを正す。
「………廉君がみあにくれたのなら、いいわ。入れてあげる。でも、廉君のうちに行く時は絶対親に連絡を入れること。遅くならないように帰ってくること。それと、次にまた居場所が分からないようなことが起こったら、この端末からはそのデータは削除する。いい? 長々と説教はお父さんにお任せするとしても、一言だけ言わせて、もうこんなことは二度としないで」
「はい。ごめんなさい」
 深々と頭を下げたみあに、固い表情を作っていた夏清がふっと表情を緩める。
「端末を貸して。入れてあげる」
 夏清のものと、みあのものを並べて置いてリンクさせて、インストールゲートを開いて鍵をかざせばすぐに終了だ。みあの端末が軽い電子音で完了を知らせる。
「それと廉君」
 もしゃもしゃとご飯を食べていた廉が、突然夏清に呼ばれて、まだ口の中に食べ物があるのか口をあけないまま『ハイ?』というような表情で顔を上げる。
「今日はお世話になってありがとう。同じことを二度言われたくないのは廉君も同じだとは思うけど、私も言いたいことはあるの。それ食べ終わったらちょっと時間もらえるかしら? とりあえず、生活態度は改めてね? みあが泣いて帰ってきたら、やっぱりこのデータは消すから」
 にっこり。
 お互いに笑顔だが、若干廉が押され負けている。何気なく空気が冷たくなったような気がするし、視界の端に映るちいも、おかずを摘んだ箸が途中で止まっている。
「………善処します」
「それと、私の端末、夫婦でリンクしてるから離れてても操作内容は筒抜けなの。きっとあの人が帰ってきたら改めて別室に呼ばれると思うから、今から覚悟しといてね」
 背中に冷や汗が流れるような感覚を覚えながら、廉が引きつった笑顔のまま頷く。
 古今東西、RPGでは大抵はラスボスと戦う前に、必ず一度瀕死に陥るのがセオリーだっけ、と妙に納得して、廉は再び箸を動かした。できるだけゆっくり。



                       2009.10.06 fin






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