To nearby for a long time −前編−








ようやく読み終わった書類に決裁印を押して「済」の箱にすとん、と入れる。
そして次の書類を手に取り、またぱらりとページをめくり書類に目を落とす――

朝から何度この作業を繰り返していることだろう。

ちらりと横を見れば、脇に積まれている決裁待ちの書類はまだまだ片付きそうになかった。
机に向かっての仕事が苦手だとは言ってはいられない。これが火影の仕事なのだ。
わかってはいるが、もう何時間書類と格闘しているだろう。
苦手なせいも手伝ってか、俺はさすがに辛くなってきていた。


そう、それに…。
今日は時間がない!のだ。


早く終わらせたいのにこれはマズい、と思いながら時計を見てそわそわしていると、火影室つきの中忍から、どうしましたか?と声が掛かる。
さすが火影補佐に直々に仕込まれているだけある。
ちゃんと仕事をしているのかと、ったくよく見てるってばよ…と心の中で呟くが、俺は何でもない、とにかっと笑って、また決裁の書類と格闘を始めた。


中忍と二人だけの部屋に書類をめくる音と決済印を押す音だけが流れていく。
そうして着実に書類の山は減ってはいくけれども。



……ダメだ今日中には終わらねぇ!



火影としては仕事を放っぽりだすのは問題があるのかもしれないが…。
普段から俺は真面目な火影サマには程遠いが、ああ、時々抜け出して一楽に行くのは大目にみてくれというか、お約束ってことで…というかだな!

そう!今日の俺はこんなことをしている場合じゃないのだ!



(俺にとっては今日は『特別な日』なんだってばよ!)



その『特別な日』を最高に盛り上げるためにしなくてはならないことがあるのだ。
目の前の書類の内容など、目で追っているだけでもう頭には入ってこない。
代わりに恐ろしく魅力的な妄想が広がっていき、うおぉー!と俺の脳内はひとりパラダイス状態だ。
頭の中はもう今日のことで支配され始め、すでに俺は仕事どころではなくなっていた。

こうなったら考えることはただ一つ。



(抜け出すしかねえってばよ…!)









今日は2月14日。バレンタインデー。
バレンタインデーなんて、いったいどこの誰が考えたことなんだろうか。

『好きな人にチョコを贈って愛の告白をする』

火の国の都で流行っていたらしいこの行事が、木ノ葉の里でもいつの間にか広がっていて、今ではクリスマスに次ぐ、『愛のイベント』みたいになっている。

でもバレンタインデーってのはいいものだ、と思う。
何たって男にとっては、バレンタインデーはハラハラドキドキのスペシャルな日だ。
たとえ義理チョコでも、もらえるのかもらえないのか、まるであてのない期待に胸を膨らませて待つ――いや、もしかしたら本命のチョコがもらえるのかもしれないのだ。
まさに男の夢、男のロマンだと、俺も世の男どもと同じように考える一人だ。

そう、考えている…のだけど。

悲しいことに俺の想い人はそんなことにはまったく興味がない。
付き合いだしてもう何年になるだろうか。
火影になったこの年まで、バレンタインデーという男の夢が詰まったこの日に、俺は想い人から一度もチョコ一個どころか何ももらったことがないのだ。
何て不憫なんだ、と思われるかもしれないが、まあ理由を聞いたら納得するに違いない。


なんたって俺の恋人は男で――

『写輪眼』の二つ名を持つ木ノ葉でも屈指の忍、うちはサスケ、なのだから。



そして火影補佐も務める、俺の一番の片腕だ。





さすがに俺も男だ。
俺も世の一般の男と同じように、チョコなんてのを好きな人からもらいたい。
だから毎年のようにこの時期になると、『チョコ今年こそくれってばよ!』とサスケに散々おねだりをしてきた。
でも返ってくる言葉はいつも同じ。

『何で男の俺がチョコやらなきゃなんねぇんだよ』

そう冷たく言い放たれるのだ…。


いつだったかサスケのあまりの冷たい言葉に、俺がキレたことがあった。
その後はチョコを巡って大喧嘩だ。
まあ俺とサスケの喧嘩だ、想像してみてくれ…。
喧嘩というより、もう乱闘に近い。
お陰でその時は俺の部屋が半壊しそうになった。
たったチョコ一個のことで、さすがに馬鹿なことをしたと思ったものだ。


そして今年もバレンタインデーが近付いてきて。
毎年凝りもせず俺はサスケにチョコをくれくれ!とねだってきたけれど。
俺はふと思ったのだ。
サスケだって男なのだ。
散々サスケからチョコがもらえないと嘆いていたけれど、俺だってサスケにチョコどころか何一つあげたことなんかなかった。


だから、今年は。

俺から『愛の告白』をしてみようと思うのだ。



俺からサスケにバレンタインデーに何かを贈る――今さら告白も何もないのだろうが、考えただけで俺はドキドキしてきた。
甘いものが苦手なサスケだから、チョコ以外のものだよな?何がいいだろうか、とあれこれ考えるだけで楽しくなる。
まさか俺がこんなことを考えているなんて、サスケは全く想像もしていないだろう。
だいたいクリスマスにしてもそうだけど、サスケはイベントなんてのには本当に興味がないのだ。
だからサスケをびっくりさせてやろうと思う。
あのサスケから優しい言葉なんて期待してはいないけど、どんな顔をするのかあれこれ想像しているだけで楽しくて仕方がなかったのだ。



そう、仕方がなかったのだが…。



ところが現実は。
バレンタイン当日なのに何を贈るかも決めていなかったのだ。
忙しくてそれどころじゃなかったのも事実だが、間が悪いというのか何というか、このところずっとサスケが傍にいてちょっと偵察なんてできるはずもなかった。
サスケが傍にいてくれるのは嬉しいが、俺は大いに焦りまくっていた。
そして当日の夕方近くになっても火影室で机に向かっているこんな状態。

せっかくの『愛の告白』の日と決めたのに、何もできなくて過ぎてしまうのか…。


いいや!!


俺は言わずと知れた『サスケバカ』で、特に熱いイベントを大切にする男なのだ。
こんなことでいいわけがない!!
今日はちょうどサスケも他の用事でここにはいない。

となれば――



(抜け出すしかねぇってばよ…!)




俺はがたりと音を立てて椅子から立ち上がった。
気づいた中忍が不思議そうに俺を見る。
「火影様?」
ここはあれこれ理由をつけて余計なことを喋らずに即ドロンするのがいいだろう。
何しろサスケ仕込みの優秀な中忍なのだ。詮索されて考える暇を与えないように、だな…と俺は火影コートの襟元を直しながらにかっと笑う。
「ちょっと出かけてくるってばよ。お前も時間になったら帰っていいし。サスケにも先に帰っていいって伝えておいてくれ、な!」
「な!じゃなくて火影様!まだ目を通していただく書類が…!」
「じゃ、頼んだってばよ〜」
「うわぁ〜待ってください、火影様!」
サスケさんに怒られますー!と必死に叫ぶ中忍の言葉は気にしないことにして、俺は一瞬で火影室から姿を消した。







俺はアカデミーのてっぺんにすたっと下り立った。
抜け出した俺に気づいたのだろう、すかさず暗部の気配が慌てたように近付いてきた。
やっぱりそうくるか…。
護衛のつもりかもしれないが、今日は俺のウキウキ楽しいプレゼント選びの時間を邪魔されたくない。
もう時間もあまりない。
ここは本気を出していくしかないだろう。
暗部の気配は四人。
たかが火影の仕事をサボっただけの逃亡に人員をかけ過ぎだろうと思う。
まあ、それでもついてこられるならいいけどな、と俺はにやりと笑って一瞬で気配を消すとその場から飛び立った。









日はもうとっぷりと暮れてしまっていた。

(結構時間かかっちまったってばよ…)

腕の中にはようやく見つけたサスケへのプレゼントがあり、走りながら大切に抱え直す。
俺はコートをなびかせ、音を立てないように建物から建物へと飛び移り、家へと向っていた。



あれから俺は暗部を簡単に巻いて、見つかることはなかった。
まあ無理もない。
すっかりと暗部を巻いた後、俺はばっちり変化をしていたのだ。
チャクラも変えていたし、何より俺の『お得意』の女の姿に変化もしていた。
当然だが昔みたいな『お色気の術』のような素っ裸ではない。ちゃんと服を着るくらいに俺も成長?している。
何しろバレンタインデーの買い物をするわけだから、この方が便利だったこともある。

うろうろとする暗部の気配にずっと注意を払っていたけれど、しばらくすると暗部の気配は消えてしまっていた。
諦めるのが早すぎやしないか?
まあ、そのお陰で俺は買い物タイムを十分楽しむことはできたのだが、結局は散々に歩き回ることになってしまったのだ。

いや…。
いざプレゼント、と思ってみても、バレンタインデーといえばチョコが定番だ。
何しろどこに行ってもチョコは売っているが、代わりになりそうないわゆる甘いお菓子系以外のものが全然見つからなかったのだ。
食べ物は無理か、と諦め、それならアクセサリー?グッズ?と店を覗いてみても、いまいちぱっと閃くものがなかった。

そして時間だけが過ぎて、俺が途方に暮れて歩いていた時だった。
ふと目の前の店の入り口にあるポスターが目に留まったのだ。
陽が落ちかけた夕闇の中で、明るいオレンジの光で照らされたポスターが、まさに俺の心を捕らえていた。


俺はそのポスターに引かれるように、店の扉を開けていた。






家の近くまでくると、部屋に灯りがともっているのが見えた。
サスケも家に戻ってきているようだった。
そして腕に抱えたプレゼントをちらりと見て、俺はふっと微笑んでみたりしたが、思いっきり大事なことを忘れていたのに気づいたのだ。

(そういえば俺ってば、抜け出してきたんだっけ…)

途端に俺の背中に冷たいものが走る。
とにかく厳しい厳しい火影補佐サマなのだ。
家まで辿り着いたものの、俺はサスケに悟られないようにいったん屋根の上に降り立った。

抜け出したのはこうしてサスケへのバレンタインデーのプレゼントを探したかったからで…。
プレゼントをそっと脇に置き、屋根の上で座り込む。
いやいや、理由が何であれ、仕事を放り出して抜け出したのだ。怒られるに違いない。
けど今日は仕方がないだろう。理由を言って出かけるなんてできなかったんだし、と腕を組みながらうーんと唸る。

怒られるのは甘んじて受けるとして…。
どのタイミングでプレゼントを渡せばいいんだろうかを考える。
怒られる前に勢いで渡すか?もしかしたらお叱りも半減するかもしれない。
いや、それじゃあムードがない。
俺は散々一人頭の中でシュミレーションを繰り返していた。

ふと横に置いていたサスケへのプレゼントに視線を移す。
必死になって探したプレゼントに、俺はそっと手で触れた。
心がふわりと温かいものに包まれる。
そしてサスケに対する愛おしさと溢れる想いが心の中に満ちてくる。


そうなのだ。
仕事を放り出してでも、とにかく今日は『特別な日』にしたかった。
そのために、俺はどうしてもサスケにバレンタインデーに何かを贈りたかったのだ。
これしかないじゃないか、と自分の気持ちを振り返って俺はじっと考える。
もうあれこれと考えても仕方がない。
潔く自分の気持ちを素直に伝えるのみ、だ。


俺が考えをそこまで辿り着かせた時、いきなりベランダ側の窓がからからと開く音がした。
ぎくりとしていると、下から声を掛けられる。

「おい、そんなところで何やってる。降りて来い」

不機嫌そうな声の調子に、冷や汗が出る。
やっぱり怒ってるってばよ…と先ほどの潔く素直に!の決意が揺らぎそうになる。
暗部は簡単に誤魔化せた気配断ちも、サスケにはやはり通用しない。
そう、サスケには誤魔化しはきかない。いやサスケに対して誤魔化そうとすることが間違っているのだ。

(よっしゃ!キメるぞ、俺!)

気合は十分、怒っているサスケへの怖さが半分(いや本当に怖いんだってばよ!仕事に関しては特に)。
俺はプレゼントをそっと手に取ると、見られないよう背中の後ろに隠してベランダへ降り立った。



窓からリビングに入ると、サスケの姿はなかった。
あれ?と思っていると、サスケはしばらくして寝室から出てきて、服やシーツを持って洗面所へまた消えていった。
サスケはすでに着替えていて部屋の片づけをしていたようだった。ここのところ部屋に帰れないくらい忙しかったことを思い出す。
二人で暮らし始めてからは、家事全般が苦手な俺に代わってサスケにはずいぶん負担をかけてしまっている。
悪いなあと思いつつも、俺はサスケに甘えてしまってるなあ、と甘えが許されている自分が嬉しくなる。
ほわわんと幸せな気持ちに浸っていると、サスケが洗面所から戻ってきた。
顔は…怖いくらいに無表情だ。
(お、怒ってる、よな…?)
俺の身体に途端に緊張が走り、サスケの出方を伺うように見つめる。

「えと…。ただいまってばよ…」
頭を掻きながら無理矢理笑顔で言ってみたが、『おかえり』の言葉はない。やっぱり怒ってる…と俺の笑顔も引きつる。そんな俺とは反対にサスケは無表情のままで腕組みをして、俺をじっと見据えていた。
「…で?どこへ行ってた」
サスケがいきなり直球で問いかけて来た。素直に言いたいところなのに、俺は妙に言い訳じみた言葉しか出てこなかった。
「あー…ちょっと行きたいところがあって、その…」
「本気で気配消してまで行きたいところって、どこだ?」
今日のいきさつは隅々まで暗部から報告されているのだろう。まあ当然だろうな。
順序立てて説明した方がいいのだろうが、俺が本気を出して抜け出したことを指摘されるとどこから言ったらいいのか考えあぐねていた。
すると黙ったままの俺を見つめていたサスケが深い溜息を吐いた。
「お前がそこまで本気出したってことはよっぽどだったんだろう…。護衛なんかつけずに一人で行きたいところもあるだろうがな、あまり暗部を困らせるな…」
俺はサスケの言葉に驚いた。
何?サスケってば怒ってないのか?と俺はもろに驚いた顔をしてサスケを見つめた。
「サスケ、怒ってねぇの?俺、すんげえ怒られるって思ってたんだけど」
するとサスケは今までの無表情だった顔をむっとしたように表情を変えたと思ったら、不敵にふっと口元だけを緩めた。
こ、怖いってばよ…やっぱり!と俺はサスケの顔から目が離せなかった。
「怒られるって自覚はあったわけだな…。というか、お前…俺を鬼のように言うなよ。ちゃんと理由があるんだったらそんなに怒ったりしねぇだろうが」
いや…理由があっても怒られる、と思う、と俺はちょっと反論したくなった。
だが理由があったとしても、いつもくだらないことだから怒られるのか。
「それでその理由ってのは話を聞かせてもらえるのか?ついでに後ろに隠しているものの理由も聞きたいんだがな」
サスケの言葉に、驚かせようとしていた俺の目論見が半分崩れる。
火影コートを着ていてうまく物自体は隠せているつもりでも、俺が後ろに何を隠しているのか、サスケにはわかっている口ぶりだった。
忍の嗅覚からすれば気づくのが当然といえば当然だ。
それよりも俺が抜け出した訳を言いやすく、かつ絶対に言わなければならないように誘導するサスケの言葉の操り方には本当に敵わないな、と俺は苦笑するしかなかった。
俺はひとつ息を吐くと、後ろに隠していたものの正体を明かし、それを両手で包んだ。


「…薔薇?」


俺の腕の中のものを見ると、サスケは驚いた顔をした。
サスケへのプレゼントで選んだもの――それは艶やかなくらいに真っ赤な薔薇の花束だったのだ。


サスケは花だとは思っていたみたいだったが、まさか薔薇の花束だとは思わなかったようだった。
「お前…、まさかこれを買うために抜け出したのか?」
サスケのこめかみが少しひくっとしたのを見て、ヤバい!と俺は慌てて言った。
「い、いや、正確にはこれを買うためじゃなくて…!今日抜け出したのは…お前に贈るプレゼントを探すためだってばよ」
「俺に、…プレゼント?」
そう、と言って俺は両手の中の花束を見つめる。
「今日…バレンタインデーだろ?俺、毎年サスケにチョコをくれってねだってきたけど、俺もサスケに何にもあげたことなんかなかったなーって思ってさ」
ここまで言ってから俺は薔薇の花束からサスケへと視線を移す。
「だから今年は、俺からサスケにバレンタインデーに何か贈ろうって」
サスケの瞳も花束から俺へと視線を移していた。俺はサスケの瞳を真っ直ぐと見つめる。
俺は真っ赤な薔薇の花束を持ったまま、サスケの目の前まで近付いた。
「サスケは甘いものが苦手だから代わりになるものって思ってさ、もうすんげえ探し回ったんだけどなかなかなくってな。だから時間が掛かっちまったってばよ」
ちょっと苦笑してサスケの瞳をさらに見つめれば、黒の瞳が本当に綺麗に揺らめいていた。
サスケの瞳は綺麗なだけじゃない。
俺しか気づけないその瞳の奥に潜む優しさを感じ取って、俺は改めてサスケのことが好きだと、深く熱い想いでいっぱいになる。
「バレンタインデーには好きな人にチョコを渡して愛の告白をするんだろ?今さら告白も何もないんだろうけど…」
いったん俺は言葉を切って、すっと息を吸うと、俺の言葉を黙って聞いてくれているサスケの胸の前に薔薇の花束を捧げて言った。



「俺の愛を捧げるのは一生お前だけだ。だからずっと俺の傍にいてくれ」



今日のバレンタインデーを『特別な日』と決めて、サスケにずっと伝えたかったこと――

ガキの頃には衝突ばかりで、途中には離れ離れになる空白もあった。
それでももう一度俺の目の前に帰ってきてくれて、気がつけば恋に落ち、互いに忍の道を歩みながらここまできた。
身体を繋げればわかることでも、言葉で表すことで伝えることができる大切なものもあるのだ。
だからこそ伝えたかった俺の気持ちであり、心の底からの言葉だった。




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