ケース2−4´(ダッシュ) 駿壱の場合


「あーあ、結局自分の力で戦わないのね。最後はやさしいオニーチャンに助けてもらうんだ?」
 視線があってから二秒ほどの間を置いて、田中がふっと嗤った。
 楽しそうに。
 その言葉に露骨に含まれる自分への嘲りを感じ取った華菜が、びくりと体を震わせ、首に回った腕に力がこもる。大丈夫、心配ないよ。
 より強く体に押し付けるように、俺はさらに華菜を抱きなおす。
「そんなんじゃ、いつまで経ったってガキのままね。斎藤君も、そんなちびっこの面倒みるの、大変でしょう? 本当の兄だって、そこまではしないと思うわ」
 本当の、と言う部分を、やけに強調している。「本当の兄妹ではないことを私は知っているのよ」そう言いたいのだろう。
 悪いが、俺はそんなことは一言も言った事がない。勝手に相手が誤解し、その誤解を解かなかっただけである。田中とて、そんなことで俺を脅そうと思ってはいないだろう。
「いや。そんなことはないよ。自分たちより年下の子供に優しくするのは当たり前のことだろう?」
 当たり障りのない答え。
「でもその子、斎藤君のことただの「近所のやさしいお兄さん」だとは思ってないみたいだけど? いいわね。いい男は女の子にもてて。彼女みたいな子に好かれてて、斎藤君もそれで満足してるんなら、翔子や他の同級生の女の子にコクられてもうれしくもなんともないでしょうねぇ」
「まさか。いろんな人に自分に好意を持ってもらえることはうれしいよ。」
 これは本心。
「さっすがよね。優等生の斎藤君らしいおこたえありがとう。でもね斎藤君そうやってんの見たら何て言うか、保護者っていうより」
 たっぷりとした間。
 その間もずっと田中の顔から笑みが消えることはない。
 うれしくて仕方ないのだろう。いつも彼女は俺に勝てたことがない。学校の成績が世界で一番大切だと思っているような女だ。この五年間、さぞ悔しかっただろう。
 いつだったか、卑屈そうな笑いを張りつかせて、心にもないこと聞いてきたことがある。
「斎藤君って、生徒会とか部活とか、すごくいそがしいでしょ? 勉強とかいつしてるの? もしかして、家で寝ないでやってるとか?」
 彼女が、肯定してほしかったのか、否定してほしかったのか。恐らく肯定してほしかったのだろう。けれど俺は否定した。実際家に帰れば遠野家で夕食を食べ、風呂に入り、華菜の相手をしていたらあっという間に時間はすぎている。華菜が寝るのとほぼ同時に、俺も自宅に帰って寝ていた。朝練があるので、朝も早い。しっかり寝ておかないと昼間授業中眠くなってしまう。
「俺、学校以外で教科書開いた事ないよ。授業さえ聞いてたら、大体理解できるし」
 予習も復習も、前後の休み時間や昼休みに授業のことを聞いてくるクラスメイトの相手をしていれば同じことだ。つぎの授業で当たるかもしれない個所は、当たるかもしれない人間が聞いてくるし、前の授業の難解な部分は、分からなかった人間が聞いてくれる。人に説明すれば、おのずと自分の中でも整理されるので、授業で聞いた知識は、記憶の中の引出しにきれいにしまうことができた。
 それでもわからないことは、父や母に聞けば良かった。彼らは要らないマメ知識や関連書物のタイトルまで嬉々として教えてくれるくらい知識の海が広い人たちだ。自分たちの知っている事を誰かに伝えることが心底楽しいのだろう。性格を置いておけば、いい両親に恵まれたと思っている。
 だから俺は、学校以外で教科書を開くことはなかった。
 それを言うと、田中はひどく驚いて、傷ついた顔をした。
 その時、ああ、そうなのか、と納得した。
「なんか、斎藤君、ロリコンみたいに見えるわよ」
 予想通りのセリフを、田中が吐いた。
 華菜が、反射的に体を離そうと動くのを、無理やり押しとどめる。
 ロリコンか。やっぱりそう見えますかねぇ……自分で思ってるより人に言われるとちょっと傷つくかも。
 さて、どう答えようか?
 自分ではロリコンではないと思ってるんだが、普通に否定すれば今度は俺が華菜を泣かせることになるだろう。しかし、普通に肯定すれば田中の思う壺だ。
「そうよね、斎藤君だってまさかロリコンじゃないだろうし、セックスも出来ないような子供じゃ相手にならないわよね」
 こちらが迷っている間に、田中が勝手に答えを導き出してくれた。
 さあ、回りの人たちにロリコンだと思われたくなかったらそうだといいなさい、と言わんばかりの、勝ち誇った表情。
 どうしようか?
 空を仰ぐと、そこもどんよりとした雲を流しながらも雨を降らそうか、どうしようか、と悩んでいるようだった。
 ふ、と笑えてきた。
 答えは、今抱きしめているのに。


ケース2−5 そして田中エリの場合
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ケース2−4 つづいて田中エリの場合
------------この節と同じ時間経過です

ブレス 近宮君のつぶやき
ケース2−4 つづいて田中エリの場合



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