ケース3−1 華菜の場合


「華菜、鷹の台駅、次だよ」
 んが。
 あれ? 私寝てた?
 駿兄の、肩ではなく腕にもたれかかっていた頭を慌てて起こして窓の外を見ると、雲が出ているせいかもうすっかり暗くなっている。
「目は平気?」
「うん。さっきより軽くなったよ」
 腫れや充血を押さえる目薬と、冷やしたハンカチと、夢も見ないくらいの爆睡で、自分でも分かるくらい目の周りがスッキリした。
 独特の発音で『まもなく鷹の台、鷹の台』と降りる駅が読み上げられ、膝の上にバスケットを抱えていた駿兄が先に立ち上がった。
「やばいな、この空。本気で降るな。傘買うか」
「大丈夫だよ。走って帰れば三分もかからないし。もし降っても、お母さんがきっとお風呂湧かしてくれてるから少しくらい濡れるくらい平気」
「そうか? じゃあそうしようか」
 電車を降りて、階段を昇り、改札を抜けて私達は少し早足で歩いた。いつの間にか競争みたいになって気がついたら走ってる感じ。
 って言っても走ってるのは私だけ?
 コンビニのあるこの角を曲がったら、家まで二百メートル、ってあたりでおでこに雨粒。
「わ、降ってきた」
「急げ! 全力疾走!!」
 きゃー
 一気に勢いよく降ってきた雨の中を駿兄が手を引いて、私は体が浮いてるみたいに走って、家までジャスト三十秒くらい。良く分からないけど楽しくて、キャーキャー笑いながら。
「あ、れ?」
 玄関ポーチのひさしの中に入って、駿兄のめったにない間の抜けた声が聞こえて、見上げて、私も気づく。
 駿兄の家、斎藤家の電気が玄関の外の灯りも含めて全然付いていないのはいつもの事だけど、うちまで真っ暗、っていうのは、私、生まれて初めてかもしれない。
 試しに玄関のノブをひねっても、鍵がかかっていて回らなかった。いつもお母さんがいるから、私は家の鍵を持って歩かない。
「まいったな。由紀さん買物かな?華菜もウチ入って」
 がちゃがちゃと斎藤家の玄関の鍵を開けて、駿兄がドアのなかに入れてくれる。
「あ」
「え?」
「置き手紙だ」
「なに?」
 斎藤家の玄関に、ペーパーウェイトの代りにウチの玄関に鍵が乗った、紙切れが一枚。お母さんの字だ。
『おばあちゃんが倒れたので私と道彦さんと佐貴ちゃんと、希一さんの車で宇都宮まで行ってきます。今日は帰れないと思うので、晩御飯はこっちの家の冷蔵庫に入れてあります。レンジで温めて食べて下さい。由紀子 五時半』
「五時半か……入れ違いだな」
「おばあちゃん大丈夫かな?」
 宇都宮のおばあちゃんはお母さんや佐貴子さんのおばあちゃんで、私や駿兄から見たらひいおばあちゃんになるひと。たしかもう八十過ぎてるはずだけど、今年のお正月に行った時なんかまだまだ体も頭も至って元気で、やしゃ孫が生れるまで生きてやるって言ってたのに。
「何かあったら電話があるだろうし、華菜は家に帰って着替えとってきな。俺は風呂湧かしとくから」
 靴を脱いで家に上がり、鍵を私に手渡すと、駿兄が「風呂洗ってないだろうなー」と呟きながら家の中に消えていった。
 確かに、雨に当たった時間は短かったけど、バケツひっくり返したみたいにすごいのが降ったから、服が結構濡れてる。
 どきどきしながら自分の家の玄関に鍵を差し込む。
 誰もいない我家はビックリするくらい静かで、ちょっと怖い。私は走って脱衣所から部屋着にしてるスウェットとかをひっつかんで、外に出て、鍵をかけて開いたままの斎藤家の玄関に飛び込む。
 はぁー 怖かった。
 勝手に上がり込んでリビングに行くと、駿兄がココアを入れてくれていた。
「飲み終わるころには風呂が沸くから、華菜一緒に入ろうか?」
「はいいぃいぃぃぃぃっ!?」
 にっこり、じゃなくてなんかもう、ほら、えっと、にやり? そう!! ニヤリって笑って平然と言い放った駿兄。びっくりして声が上ずって渡してもらったココアのマグを危うく取り落としそうになったわ。
「う、そ。俺はあと。Gジャン着てたからそんな濡れてないよ」
 びびびびびびび、びっくりした……
 まだバクバクいってる心臓を押さえて、深呼吸。せっかく顔の熱が引いたのに、なんだかもう、体中の血が集まったみたい。
 ちがうじゃん、いつもと逆だわ。ウチで駿兄が入るときいつもいっしょに入るとか言ってたのは私のほう。で、いつもダメって言うのが駿兄のほう。
「ごめんごめん。もう言わないから。一人で入れる?」
 いにょーんと両側のほっぺたがつままれた。
「はひれる」
「じゃあもうそろそろいい頃合いだから、行ってきな。ココアは上がってから温め直そう」
 今度はいつもの笑顔で、駿兄がそう言って立たせてくれる。
 何か言いたかったけど上手く言葉が浮かばなくて、私は逃げるみたいにリビングを飛び出してしまった。


ケース3−2 引き続き華菜の場合
------------本筋・・・?こちらへ先にお進みください ケース3−2´(ダッシュ) 駿壱の場合
------------上と同じ時間経過なので飛ばしても
         ストーリは続きます

ケース2−6 華菜の場合



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