ケース5−0 ここで天の声


「ふっふっふっふっふ」
「佐貴ちゃん、嬉しそうね…」
 時刻は午前四時五十分。場所は両家の玄関ポーチ。
 男二人は車を庭の下にある車庫に入れるため家の裏手に行っている。
 昼頃に帰ってくる予定だったのが、道彦の仕事の関係上、どうしても帰ってこなくてはならなかったので宇都宮の実家で仮眠を取っただけで早朝の帰宅となったのだ。
「でもほんと、おばあちゃん何ともなくて良かったわねぇ」
 ほわほわと笑いながら、由紀子が自宅の鍵をあけようとかばんに手を入れてそう言う。
「私的にはもう逝ってくれてよかったんだけど。まー最初から仮病くさかったし」
 祖母が「もう死ぬ、由紀子たちを呼んでくれ」と佐貴子の母、美岬に訴えて、そのうるささに負けて美岬が佐貴子に電話をかけてきたのだ。
「わたしや道彦君がいて華菜や駿壱がいないの見たばーさまの顔!! はーなんか、積年の恨み晴らした気分よ」
「佐貴ちゃん、嘘だってわかってたのに行ったの?」
 昔から佐貴子は祖母に大変嫌われていた。美岬とも、テレビドラマよりも壮絶な嫁姑の戦いが繰り広げられていたのである。今でこそさすがに年のせいかおとなしくなりつつあるが、毒舌ぶりは健在である。今回佐貴子が嬉々として見舞いに行くと宣言し、子供たちの帰りを待たずに仕事を切り上げてまで行ったのは、ただ単に嫌がらせのため以外なんでもない。
 祖母は両親を早くに亡くした由紀子をそれはもう溺愛していた。ので、今現在を持ってしても由紀子の旦那である道彦は祖母に口も聞いてもらえない状況である。
 逆に佐貴子の旦那である希一と息子の駿壱は祖母のお気に入りで、ことあるごとに駿壱に「父親似でよかったねぇ」と言っている。その度に「顔は私に似てんのよ」と返す佐貴子も佐貴子だが。
 華菜が生れてからは、恐らく祖母の中で華菜のランクが一番上だろう。
「甘いわよ。ばーさま! 華菜はこの私が戴くんだから」
 しんとした閑静な朝の住宅街に佐貴子の高笑いが響いた。
「佐貴ちゃん……ご近所に迷惑よ……それより、ごめんなさい、私の鍵華菜に渡してて、うちの鍵ないのよ。入れてくれる?」
「いいわよ。どうせだからこっちでなんか食べない?」
「そうねぇ、生姜ごはんだし、お茶漬けしましょうか?」
 ガチャガチャと鍵を開けて玄関に入ってまず佐貴子がその異変に気づく。
「あれ……華菜、こっちに居るわよ」
 そろえられた小さな革靴と、無造作に脱ぎ散らかされたバスケットシューズ。
「あら。ほんとだわ」
「まーさーかー」
 とたんに声をひそひそモードに切り替える佐貴子。
「許されることと許されんことがあるのよ〜」
 いいながら、顔はニヤニヤ笑っている。人の弱みを握るのが、三度の飯より好きなのだ。対象が息子であっても容赦はない。というより、親にさえ隙を見せない息子の弱みを握ろうと、虎視眈々狙っているような状態だ。
「佐貴ちゃん……ホントに楽しそうね……」
 あきれながらも由紀子も佐貴子について足を忍ばせながら二階へ向かう。
「でもねぇ、私、駿君ならいいかも」
「なにが!? いいってなにがっ? 今本気でなんかあったらあんた正気保てる!? 駿なら大丈夫とか思ってんなら歌ってあげましょうかこの場で!?」
「あら、ピンクレディーね? いっしょに歌う? だってほら、駿君なら絶対華菜のこと大事にしてくれるでしょう?」
「いやまあそりゃそうだろうけどさ、いくらなんでもあんた気ぃ早過ぎ」
「え? 佐貴ちゃんは孫の顔って早くみたくない? 年の差なんてどーってことないわよぅ」
「……十も離れた道彦君相手に十八で華菜生んだあんたが言うと洒落になんないわ。私もさー 道彦君なら大丈夫って思っちゃったのよねぇ……あのときのばーさまもすごかったよねぇ……良く道彦君殺されずに済んだなと思うもの」
 実際、由紀子に「子供できちゃった♪」といわれた直後、隣で申し訳なさそうにしていた道彦をこぶしで殴りつけた人物の言ってよいセリフではない。
 そっとドアを開ける。ベッドの位置が天井まである本棚に阻まれているため、本の山を崩さないようにしながら、進む。
「うーわー」
「まー幸せそうにねてるわねぇ……まだ朝も早いし、このままそっとしといてあげましょ」
 華菜に乗られているのか蹴られているのか、駿壱の表情は眉間にしわが寄っているのでどう見ても「幸せそう」ではないのだが、確かに華菜はパジャマ代わりのスウェットを着て、布団から半分出たままうにゃうにゃと口元を動かしながら「幸せそう」に寝ている。
「そう言えば、華菜ってうちに一人でいたことって、ないわねぇ……」
 小学校に入学したときに自分の部屋で寝るようにはなったが、家の中には誰かがいた。真っ暗でしんとした家に華菜は慣れていないはずだ。
 駿壱が華菜にべたべたに甘いのは周知の事実である。今まで彼女の一人も作ったことがないところを見ると、駿壱が華菜を恋愛の射程距離内に含めているだろうということも聞かずとも分かってしまう。
 そんな中で、華菜に「一人でいるの怖い」とか言って泣きつかれれば、今までの彼のイメージからして、こう言った状態になることは容易に想像はつく。いろいろな状況判断から、何もなかったであろうと想像するのは大人の甘さであるが、それはひとえにこれまでの駿壱の努力の甲斐あっての誤解だろう。
「ちっ 何もなしかい」
 部屋を後にしながら、佐貴子が悪態をつく。何かあったと分かれば、駿壱はつるしあげを食っていただろうが、何もなければないで悔しいらしい。あとから帰ってきてもよかったものを、わざわざ夜討ち朝駆けで帰ってきたというのに、このソツのなさが気に入らない。二人の眠るベッドのうえは、昨夜の名残の色はひとつもない。完璧に。
「駿君……かわいそうに ……」
 何も考えずにべったりくっつきながら寝たであろう自分の娘の姿と、きっといろいろなものと葛藤の末に眠りについたのだろう少年の姿が想像できて、由紀子がつぶやく。
 さすがにここでナニかあったかもしれないとは思っても、大人は精神的安静を保てる方向を信じようとする傾向が高い。
「由紀子ー 茶漬け食べよう」
「はーい」
 進入したときと同じく、そっとドアを閉めて、由紀子も階下へと降りていった。


ケース5−1 最後に駿壱の場合

ケース4−5 駿壱の場合



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