AFTER DAYS 267 草野君香の視点


「あああああっ 気が散るっ!! いなりん邪魔っ!! じっとしてて」
 うろうろうろうろうろうろうろうろ。冬眠前のクマじゃあるまいし。それに同じとこ動き回ってもエサはないよ。携帯電話は着信したら鳴るんだから。そんなに見てたら穴があいちゃうよ。
 今朝リカちゃんのところに、夏清ちゃんから『生まれそうだから病院行ってくるー』ってメール入ってたけど、今週三回目でしょ。毎回病院に着いてしばらくしたら治まっちゃうんだって。陣痛。
 お母さんは『初産だもんわかんなくてあたりまえよ』って言ってたけど、ちょっと行き過ぎ。
 そのたびにそわそわ落ち着かなくなるんだもん。体積、私の倍くらいある人が落ち着かないと、回りもみんな落ち着かないのよ。
「ほおーう。それはまるで俺がいなかったら集中して勉強できるような言い方だな? あ?」
 机の上の白いプリントにかかる影。
「いっ いだっ!!」
 あ? って語尾が上がったのと同時に、でかい手が私の頭をつかんでがくがくゆする。いやあぁああー 酔うぅー。
「大体、どうして、休日に、俺が、学校で、お前らの勉強の面倒みなきゃならないと思ってんだ?」
 そう。今日は日曜日。十一月最後の日。お休みの日。土曜日はクラブがあったり補習があったりするけど、日曜日はさすがに毎週お休み。でも今、空き教室には野球部員の一・二年生が二十人くらいと、他に一年A組の生徒が何人か、必死の形相で渡されたプリントと戦っている。
「それはお前らの中間テストの結果が軟着陸寸前だったからだろう?」
 そう。野球部員、みんな二学期の中間テストの成績が、一学期のときより思いっきり落ちてたの。夏清ちゃんが言うには、一年生の成績って言うのは気が張ってる一学期より、二学期の方がおちるものなんだそうだけど、いなりんはそんなことお構いなし。確かに理由はそれじゃないんだけど。
 だってがんばって練習してたんだもん。朝練は七時から一時限目が始まる予鈴までして、お昼はミーティングしたりしてたし、放課後も校門が閉まる八時ギリギリまで。夏の予選は二回戦負けだったけど、これだってすごかったんだからね。このときは一回戦で優勝候補と当たって勝っちゃったんだからね!!
 そんで、さらにがんばったから秋季大会はベスト十六まで行けたの。すごいんだからね。ほんとに。って、私はマネージャーだから別にアレなんだけど。
 負けたとき、悔しくて悲しくてもう一人でがんがん泣いてたら、一番何もしてないヤツが一番泣いてどうするってみんなに言われたんだけど、涙でてくるんだもん。みんなだってちょっと涙目になってたくせに。
「お前らどの先生も何も言わないから授業中寝まくりやがって。どうして俺が、国語や社会の模擬問題まで作らなきゃならないのか聞いていいか?」
 リカちゃんが言うには、それはインボウだって。居眠りしたら成績が落ちるのはわかってるから、いなりんへの嫌がらせでみんなほっておかれたんだろうって。でもそれだと、やっぱり原因はいなりんだろうって思うのは私だけ?
「私は居眠りなんかしてないもんっ それに私、いなりんに勉強みてって頼んでないもんっ!」
「居眠りしてないのにその成績ならなお悪いわ。どうせ家に居たって勉強もせずに菓子食いながらマンガ読んでテレビつけたまま寝るだけだろう、がっ」
 最後の『がっ』で、手を放されたときに思い切り前に首がゆれる。なんでそんなこと見てきたように言えるのよぅ? 私だって試験前はさすがに勉強くらいしてるもん。
「たいばつはんたいっ!」
 あがー。目ーがー回ったー。
「三十秒以内に『体罰』って漢字で書いて意味まで説明してみろ。できたら帰っていいぞ」
 うぐぐぐぐ。タイは『からだ』って言う字だってわかってもバツがわかんないわ。それに改まって意味聞かれるとわかんない。うーん『目』を横にしたやつと『イ』に『言』? ありゃ、違うわ。『ツミ』って言う字も似てるよね?
「体罰:身体に直接に苦痛を与える罰」
 いなりんがそう言った十秒後、ぺらりと目の前に、ルーズリーフが一枚。そこにでかでかと『体罰』って極太マジックの黒い文字。あー『言』に『リ』。惜しいじゃん、私。
「できたんで帰っていいですね?」
 そう言って立ち上がりかけたのは、保育園時代からの幼馴染で、一緒に野球部のマネージャーすることになっちゃった妃和(ひより)。あああっ 一人で帰っちゃうのー?
「明野(あきの)はそれが英訳できたら帰っていいぞ」
「君香とハードルの高さが違います。それに今日は現国と数Iと世界史をすると言うことだから英語は辞書がありません」
 普段なら学校に置きっぱなしにするけれど、さすがに試験が近くなってきたから持って帰ってしまってるんだよね。
「じゃあおとなしくプリントやってろ」
 しぶしぶ妃和が座ったのと同時に、今度は後ろからシロちゃんの声。
「体罰……inflict corporal……キミちゃんならpunishmentのほうがしっくりくるかもね。Teacher inflicted a punishment on the mischievous girl」
「あああっなんかそれ意味わかんないけどむかつくわ」
「コイツはgirlじゃなくてchildだろ?」
「ちゃいるど!?」
 少女ではなく子供!? でもなんか、シロちゃんがナニ言ったか大体わかったわ。
「答えられて例文まで作ったんだから、帰れますよね?」
「白身のほうは数学のプリントの最後の問題が解けたら帰っていいぞ」
「こんなの解くのに今知ってる公式だけだと何行かかると思ってるんですか。裏面使っても終わりません。さっきからずっと聞こうと思ってたんですけど、部員でもないのに僕、こんなところに呼ばれたんですか?」
 すごい。シロちゃん解きかたわかるの!? 私はさっぱり。数学の最後の問題。文章題なんだけど、ぜんぜんわかんない。
 ちなみにシロちゃんは今朝突然いなりんに呼び出されたの。
「一蓮托生だろ。あと子守。ひとり足引っ張ってるのはお前の管轄」
 先生の言葉に、周りのみんなの視線が私に。
「なにようっ 中間テストで赤点とったの、私だけじゃないじゃなーいっ!!」
「僕はなかったよ」
 にっこり笑ってシロちゃんが言う。そりゃシロちゃんは頭いいもん。
「でも君香が赤点獲得総数最高だったよね。総得点数は最低だったし主要教科の平均すごかったよね」
 妃和まで語尾にハートマークがついてるカンジでにっこり笑ってる。ちなみに妃和は国語と世界史は満点に近かったんだけど、数学と英語が私と同じくらいの得点。
「どーせ私はマグレで高校受かったのよー」
「泣いてる暇があったら一問でも自力で解いてみろ」
 いやよぅ。大体なんなのこんな難しいプリントつくっちゃって。B組なんかさ、現国の田中先生が担任なのね、中間テストのとき、試験前にもらったプリントにあった問題がほとんど出てたんだって。クラスの成績が上がらないと、先生を審査する指導ナントカってのでいい点がとれないから、自分のクラスだけひいきする先生もいるって。それはちょっと卑怯だと思うけど、いなりんは全然そういうの考えてないよね。中間だって自分のクラスから赤点だしてるんだもん。
「先生、このプリント、もしかして以前のテストそのままですか?」
 ものを考えているときの癖で、シャープペンシルを親指に引っ掛けてくるくる回しながらシロちゃんがつぶやく。
「あたりまえだろう。今年の試験問題も作らなきゃならないのに、別してプリントなんか作ってられるか」
「じゃあ三年前の?」
「三年前!? リカちゃんたちこんな難しいのやってたの!? でもシロちゃんどうして三年前のってわかるの?」
「リカちゃんが去年と一昨年、井名里先生の授業受けてたからだよ。新城東は今は一学年六クラスしかないけど、リカちゃんたちの年まで七クラスあったから、二年や三年の選択数学なら掛け持ちはできても、一クラス週五時間ある数Iは多分二人の先生が分担することになる。そしたら必然的に三年前しか受け持てないでしょ」
「なるほどー」
 ちょっとよくわかんないけど。
「白身、お前よくそんなことが理路整然と出てくるな」
「キミちゃんに『どうして?』って聞かれるの、慣れてますから」
「でもコイツ、多分半分も理解してないぞ」
「いいんです。ちゃんと説明したらわからなくても納得してくれるから」
 ………ほんとのことだから言い返せないわ。
「でもこれすっごい、難しいよ。ほんとにこれ、因数分解の問題? ワケわかんなくても引っかかれバカヤロウな雰囲気ビシバシ伝わってくるよ。ナニコレ、最後の問題って配点二十五点!? これ一問落としたら七十五点しか取れないの? いなりんって昔のほうがいじわるだったんだねー ひぎゃ」
 いじわる、って言ったあたりでまたでっかい手に頭が固定されて、親指と人差し指で両側からぎりぎり。
「いたいいたいいたいいたいっ!! ゴメンナサイ、もう言いませんっ まじめにやります」
 必死で謝ったら、手が外れた。人間の頭がつかめる手って、ムダにでかいと言っていいよね。
「ちなみにそのテストの最高点は九十八点で……」
「九十八!?」
 ひいぃぃぃ。きっと夏清ちゃんだ。
「最低点は十二点」
 それはきっとリカちゃんだ……
「決めたわ。十二点より上になるようにする」
「あほう。せめて倍取らないと赤点だ。それにお前ら、今は教科書もノートも見放題だろうが」
「見、見てもわからないもん……でもこの最後の問題をインスピレーションで……答えをっ! そしたら一気に二十五点よ」
 こめかみに両手を当てて脳内にいるプチキミカーズ総動員。
「キミちゃん……数学の文章題とかは、解き方のプロセスと答えが全部あって配点どおりの点数がもらえるんだよ。答えだけだと普通半得点。そういえばキミちゃんって中学の頃こういう問題、丸暗記で思い切りヤマあてて正解するか、無回答かどっちかだったよね……」
「え?」
 はん、とく、てん?
「お前、中身、草野そっくり……答えしか書いてなかったら白身のいうとおり十二点だからな、その問題。答えがあってるのに点数半額ってなんだっていちゃもんつけるなよ」
 飽きれたようないなりんの声に顔をあげると、本当にバカにした顔でため息ついてるの。ちょっとまって。点数半額でいちゃもんって……
「……じゃあ、リカちゃんはココの答えだけ合ってたんですか……」
「リカちゃんらしいわ」
 シロちゃんも妃和も私と同じ考えだったみたいで、同時にため息をついている。
「この問題、正解したのは草野だけだったからな。ムカつくことに」
 ええええっ!? 夏清ちゃん間違っちゃったんですか? でも二点しか減点されてないってことは、ものすごく惜しい不正解だったんだろうな……っていうより、ものすごく些細なミスで減点されちゃったんだろうな……やっぱりいじわるじゃん。
「解きます」
 そう言って、座りなおしたシロちゃんの目つきが変わる。
「私も、現国と世界史は終わったから、まじめにやろうかなー数学」
 終わったの!?
「見せないから」
「けちーっ」
 上履きをぱたぱたさせながら抗議していたら、前のほうの席についていた先輩がこっちを振り向いた。
「先生」
 ごめんなさい。うるさかったですか? うるさかったですね。ハイ。もう静かにします。
「なんだ?」
「イエ……電話、鳴ってますけど」
 あ、ほんとだ。私の頭掴みにきたとき、手に持ってたの教卓に置いてたもんねー。鳴ってる鳴ってる。
「いっ」
「うわっ」
「ったー」
 擬音ひとつだと、すごくしょぼくて鈍い音だったから、それをみていた人の口から、思わずでた言葉。何のことはなくて、足元見えてなかったいなりんがむこうずね打ったの。にぶーく。慌てなくてもさ、昨日の練習中にもあったじゃない『ごめん、治まっちゃったから迎えに来て』
 そんなこと思いながらこっそりあとくっついていって、こっそり近くで電話の内容チェーック。そのあたりは抜かりないです。私。
「もしもしっ!?」
 そんな大きな声出さなくても聞こえるってば。
 教壇のところは一段高くなってるから、そっちから回り込んで、なおかつ教卓の上に上って、耳の位置をいなりんと同じ高さに調整。
『………………先生?』
 電話の向こうの夏清ちゃんもいなりんの大声に吹き飛ばされたのか、返事がすごく遅かった。
『あの、ね………ごめん……』
 ああ、やっぱり。いつもと同じだ。おんなじだよーって顔してみんなのほう見たら、それでも期待してたらしくて、なんとなく緊張してた空気がため息といっしょにへにゃっとなる。
 
 
『…………もう生まれちゃった』
 
 
 ………………………………
「えええええっ!?」
「うわっ! キミちゃんっ!!」
「君香なにやって……っ!!」
「あれ?」
 えーっと。
「そんなところで立つなー!!」
 視界がナナメ。
「いったー……い」
「痛いのはこっちだ早く降りろっ!!」
 ちょっとびっくりしちゃってよくわかんないんだけど、とにかく私、教卓傾かせて落ちたみたい。教卓もコケてるから。で、杉本前キャプテンが下敷きになってるの。
「ナイスキャッチですキャプテン!! あの時もこのくらいカッコよくフライが取れてたらよかったですよね!!」
「君香お前……恩人の古傷えぐってるんじゃないっ! そんなことどうでもいいから早くどけ!! 人の上で座りなおすな!!」
 ……ゴメンナサイ。でも杉本前キャプテン、いつからここに?
「え? 音? 気にするな、なんでもないなんでもない。で? ああ、そうか。連絡? そんなもんあとから俺がしとくから休んどけ。じゃあ今から行くから」
 いなりん病院行っちゃうの? じゃあ今日はこれで……
「いいとこに来たな、杉本」
 電話を切ったいなりんがにっこり笑って杉本前キャプテンが起き上がるのに手を貸してる。私は? 私は放置ですか!? 女の子なのにっ!!
「ええ、まあ。自分の息抜きも兼ねて陣中見舞いに。で、何があったんですか?」
 陣中見舞い? あ、ほんとだ、私の下敷きになったとき放り投げたのだと思われるお菓子やジュースが散らばってる。
「ちょっと病院行ってくるから、俺がいない間こいつら見ててくれ。一人も逃がすなよ」
「えーっ」
「やかましい。お前が一番時間がかかるだろうが。予定してる時間までに終わらなかったらお前だけおいてカギかけて帰るからな」
 いぃいぃやーぁーーぁあっ!!
「あ、生まれたんですか? おめでとうございます」
 あ。お祝い言うの。
 忘れてた。
 忘れていたのは私だけじゃなかったみたいで、いた人間がいっせいに、なんていうか体育会系イントネーションで『おめでとうございます』合唱。
「おう。じゃあな」
「マッテクダサイ!!」
「あ?」
 そのままでていこうとしたいなりんの背広のすそを掴まえる。
「どっち?」
 自分でいうのも変だけど、目がキラキラしてると思う、今。
「どっち? ねえ、男の子と女の子っ! どっちだったんですかー?」
「何でお前に言わなきゃなんねーんだ」
「だって! 聞かなきゃ気になってもう勉強どころじゃありません!!」
「賭けの配当が、か?」
「え?」
 ナンデバレテルノ?
「お前が俺に敬語を使うときはなんか企んでるときだからな」
 げ。
「や、やだなー ソンナコトシテナイヨー」
「どもりながら棒読みで、目ぇ泳がせてなに言ってやがる」
 ……………ダメか……しかたないな、リカちゃんが夏清ちゃんに教えてもらうまで待つか……だいたいさー今は生まれる前にわかるもんなのに、生まれてからのお楽しみとか言って、聞かないでいるんだもんこの夫婦。
「……それじゃあ僕が責任を持ってリカちゃんから集めた賭け金を没収して……現金は問題になるからダメでも出産祝いに何か買いますから、教えてもらえませんか?」
 あああっ シロちゃんっ!! アナタ、なんてことをっ この賭けの元締めまでばらしたし……
 でも、散らばったお菓子やジュースを拾うのを中断して、立ち上がってまじめな顔でそう言ったシロちゃんをみて、教室の前にある出入り口の戸に手をかけたいなりんが振り返ってちょっとだけ笑った。
 先生が一度、目を閉じて、息を吸って。でも緩んだカオ引き締めるのに失敗してるよ。
 どきどきって音が背景に大きな文字であるような、そんなひとコマ分の沈黙。賭けとかそういうのじゃなくても、やっぱりどきどき。
 いなりんの唇が、やたらゆっくり動いた気がした。
「……ついてたってさ。男だよ」
 ひらりと手を振って出て行ったいなりんの影が廊下側のガラスから消えるのと同時に、低い地鳴りみたいな、うをーってカンジの、悲鳴……とはちょっと違うか……まあ、そんなのが響いて、教室の中の空気がガタガタした。
「男の子!! 一人か」
「あーオレ女にかけてた」
「一人だろう……ふつう」
「やっぱり一人か。双子じゃなくて」
「結構大勢かけてたよね、穴狙いで男女の双子とか五つ子とか。穴にならないくらい」
「盛り上がってるとこ悪いけど、ほんとに没収するから。言ったからには。よかったね。祝儀改めて集める手間が省けて」
 なんとなく自然に円陣になって部員のみんなと喋っていたらにこにこしながら、集めたお菓子たちを、やっぱりいつのまにかだれかが起こしてくれた教卓の上において、シロちゃんが自分の席につく。わかってるわよぅ、そんなこと。
「シロちゃんってば、もう。リカちゃんにも連絡あるはずだから、別にいなりんに聞かなくてもすぐわかったと思うのに」
「いや、先生、しないつもりだったと思うよ、リカちゃんには特に。夏清さんにもしなくていいってさっき言ってたでしょ? 賭けしてたのはずっと前に気づいてたんじゃないかな。そりゃあ明日くらいにはわかっただろうけど、それだと僕たちは、ほんとに悶々として勉強どころじゃなかったと思うけど?」
 ………いなりんなら……そのくらいするかも。じゃああれはいたわりに見せかけたけん制!?
「あら、早い」
「ん?」
 窓に手を当てて外を見ていた妃和のつぶやきにそっちに行って背伸びをすると、ちょうどいなりんのヤクザな車が校舎うらの駐車場を発進。ほんとだ。早いよ。だってここ、三階の端だもん。教員用の昇降口使っても驚異的な速さ。
「井名里先生って、足速いよなぁ」
「うん、ダッシュもロードもまだダレも勝ったことないだろ」
 すごいスピードで車が校内を突っ切って、ここまでタイヤの音が聞こえそうな勢いで車が校門のところを直角に曲がって消えていくのを集まってきたみんなで見送る。いってらっしゃーい。
「井名里先生が本気で投げたボール、誰もまだ打ってないし」
「そうそう、守備練習してて、打球来なくてヒマだなーっと思ってたら、いきなりベンチ脇からボールが飛んできてみろ。怖いぞ。アレだけ離れてても当たり所が悪かったら死にそうなくらい重いから。球威」
 しかも、一塁側のベンチからレフトへ。この場合途中の人間もボーっとしてたら巻き込まれる可能性がある。すごくキケン。
 いなりんってさ、卑怯なんだよ。顧問がボールを隠し持ってるような野球部がほかにある? 突然どこからともなくボール取り出してあっという間に振りかぶって投げてるの。
「っていうか、オレはあの人が一度もジャージ着ないのが不可解で。試合のときは監督用のユニフォーム着てるけど、放課後はいつも授業やってるときの服装のままだろ? 家でどんな格好してるのかすっげー気になる」
 この間リカちゃんといっしょに家におしかけたときはフツーのシャツと……確かジーンズだった、気がする。
 ゴメン、よく覚えてないや。
「革靴であの瞬発力も。先生が履いてる革靴ってもしかしたら特注? TPOにあわせてスパイク仕様になるとか」
 それは、ならないとおもうけど。
「夏合宿の晩飯のカレー。平気そうに食ってたよな……」
「な、なによその目っ! ちょっと辛かっただけでしょー? 苦情は勝手に激辛十倍のルー足したリカちゃんに言ってよ」
 みんなの目が『ちょっと?』って。それを作ったのは私と妃和と、あとからやってきたリカちゃん。確かにちょっと、辛いって評判の草野家カレーと比べても、辛かったかもしれないけど、夏のカレーはアレくらい辛くないとキマらないでしょう!?
「そういえば、君香もガツガツ食ってたよな」
「外見だと甘口カレーを少ししか食わないみたいなのに、先生やコーチより食ってただろう、お前」
 食べたって言ってもおかわり一回しただけでしょう? カレーはおかわりをするものでしょう? おかわりをするのはカレーくらいよ!! いつもいつもどんぶり三杯食べてるような言い方しないで。
「私ばっかり大食いみたいに言わないでよっ あの人たちのほうがたくさん食べてたもん」
「そりゃあ」
「でかいもん、あっちは。それで考えるとお前、燃費わるいなー」
 燃費?
「高級車並み燃費の軽」
「あはは。ターボついてるもんな、お前。ムダに加速して、ぶつかりかけて急ブレーキ。間に合わなくて当たったら自分から突進してっても、止まってた相手のせいにするタイプだな」
「『なんでこんなところに壁があるの!?』とか『こんなところに車を止めている人が悪い!!』とかな」
 なんなのー? 車のことなんかわからないけど、バカにされてることは分かるわ。言いたいこといってるわねー
「井名里先生はターボついた四駆動? 瞬発力も持続力もあるうえに、車体重いのに小回り効いててやたら燃費よさそうだよな……多少の事故じゃ壊れなさそうだし」
「さっき、弁慶打っても平気だった。声も出さなきゃさすりもしなかったよな」
 そう言えば。みてた人間のほうが痛そうな声上げてたもんね、あの時。
「いなりんの神経ってやっぱりゾウ並み?」
「…………君香よりはよっぽど繊細だと思うよ」
「それってどういう意味?」
「そういう意味」
 しれっと妃和がそう言い終わるのと同時に、ぱんぱんと手を打つ音。振り向いたら杉本前キャプテンがあきれたカオで立っている。
「差し入れ食ったら休憩終了。先生がまたここに来たらすぐ帰れるようにとっとと済ませろー 特に君香」
 そう言って、お菓子の箱の角で私の頭をぱこぱこ叩く。あ、このチョコ好き。もらっていい? 独り占めするけど。
「特に私ってなんですかー?」
 ちょうだいって出した手の上にチョコの箱。杉本前キャプテンありがとー。
「特に君香だよね」
「そう思ってなおかつ幼馴染なら……」
「自分でやりなさい」
 けちーっ
「分かったって。数学以外なら教えてやるから座れ」
「キャプテーン……それが一番問題なんですぅ。見てくださいよこの問題」
 ぺらりと、まだ何もできてない数学のプリントを見せたら、杉本前キャプテン無言のまま停止。やっぱり。三年生でもわからないんじゃない、この問題。
 でも、いなりんが早目に帰れるようにってのは反対じゃないから、ちゃんとがんばろうっと。あと期末も。みんなから赤点が消えたら、やっぱりいなりんへの風当たりは弱くなるだろうし。
「…………って……分かっててもわからーんっ!!」
「やっぱり……キミちゃんが一番危ないよね。いろんな意味で」
 シロちゃんのため息交じりのセリフに、みんながいっせいに頷いた。
「輝志郎ってば、十五年一緒に生きてきて今頃気づいたの? 君香はリカちゃんよりずっと危険な生き物だよ」
 数学の教科書をめくりながら、妃和がすごくなんでもないことみたいに、とんでもなくシツレイなコトをつぶやいた。リカちゃんにほとんど毎日無理難題ふっかけられてしごかれてるみんなが笑っている。ウケてるの!?
「歩く核爆弾みたいなリカちゃんより危険ってどういう意味よー!?」
「二人の発言、リカちゃんにちくろうっと」
「いやぁああぁぁあぁっ モトはといえばシロちゃんの発言が原因っ」
「原因じゃないモトってなに? キミちゃん?」
 うぐう。くそう、言い返すのよ私っ!! 何か言い返すのよっ!! 負けちゃダメだわ。
「……だから、どうしてお前らはそうやってすぐ脱線するんだ……」
 向かい合ったまま笑顔のシロちゃんの頭をぽんぽんってして、プリント放り出して振り返って戦う気満々の私の襟首掴んで机に向かわせた杉本前キャプテンが、ため息と一緒にそう言った。
 えへ。
 やります。ハイ。
 まじめにプリントに向かって、シャープペンシルを握って考える。
 あ。そうだ。
 リカちゃんまだ知らないんだよね。電話したほうがいいかなぁ。
 ほかにも一年A組のみんなにも言わなくちゃだしー……
 病院いきたいなー
 いきたいなー
 いきたいなー
 いーきーたーい、なー
「なら済ませろ」
 何も言ってないのに、なぜか考えてることが分かったらしい杉本前キャプテン。あらん。なんでわかっちゃったですか?
「手を動かせ。とにかく何かで埋めればいいんだろ。一人も逃がさなかったらいいんだから、別にここにいなくてもいいだろうし」
「あ。キャプテン頭いい。それならすぐ終わりますよねっ みんなでお祝い行ってもいいですよね?」
 いひひー適当にいれちゃえ。最初の計算問題から、と。
 さっきまでとうって変わってがりがりとプリントを埋めてる私の横から、シロちゃんが顔を出す。最後の問題もさっきの私たちの窓際談義に加わらずに解いてたみたいだから、きっともう終わったんだろうな。こっちはほんとにちゃんと。
「また、そんなことして……あとが怖くないの?」
「いーの。どうせ考えても正解できないもーん。できたっ 次」
 現国のプリントに挑みだした私の机の上から、杉本前キャプテンが数学のプリントを取った。
「よくもまあ……コレだけ……適当に……」
「すごいで…………うわ」
 それを見たシロちゃんが呆れたように言ったせりふを止めて、意味不明のうめき声を上げた。
「どうした?」
「キミちゃんって時々、怖い」
 なにが?
「……最後の問題……僕と答えがいっしょだよ」

                                        2002.10.22=up.





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