ばれんたいん きす  3


「夏清…」
「イヤ」
 ため息みたい。黙って頭なでてた先生が私の名前を呼ぶ。
「イヤじゃなくてな、そろそろ降りてくれ」
 むー。やだ。
「でなかったらもうちょっとケツに肉つけろ肉。ホネあたんないように」
 呆れたみたいに言って太腿の下に強引に腕入れてくる。やーん、もうちょっと。
 自分でもちょーっと、先生の足に骨あたってるかも、って思ってるし、重いだろうからしぶしぶ従っちゃう。ホントは離れるのやなのよって睨んだらはいはいって顔された。むかつくーナニその余裕。
「ん」
 …………
「…何よ」
 ニヤーって。ヤな笑い方。
「いや、お前…」
 口元に手をやって、楽しそうに笑ってるの。何なのよ…もう…
「抜く時声出すよな」
 がっ!!!
「出してない出してない出してないっ!!」
 出してても無意識だもん。出そうと思ってるわけじゃないー
 ダッシュで離れて服かきあわせて。ああもう、そんなことばっかり言ってるとキライになるぞ。
 …なれないけどさ。先生、絶対それわかっててやってるのよ。余裕綽々(しゃくしゃく)? 悔しーい。
 笑いながら先生、ちゃっちゃと自分の後始末して立ち上がる。
「メシ食いに行くぞメシ」
「は?」
 白衣脱いで、私が汚しちゃったスラックスも脱いで、着替えてるのよ。一人。
「予約七時だからそろそろ出ないとやばいだろう」
「ちょっ! 聞いてない」
「そりゃそうだろ、言ってないし」
 しれっと言われたら怒る気にもなれないよ。どうしてこんなに我が道行ってるの?
「言ってよ。ご飯の材料買って来たのに」
 お刺身とか買ってたらどうしてたのよ。ほんとに。買ってないけど。
 ドアのそばにそのまま立ってたら、おいでって、自然に腰に回る腕。先生の部屋はリビングに繋がってるから出たらそのままあるわけ。あの布たち。
「で、ドレ着ていく?」
 
 さすがにさ、脇にぐー入れてもいいでしょ。力の限り。ひねりも効かせて。
 
 先生って、時々全然行動読めなかったり。『予約したから』ってほいほいついていったらちょっと見つけづらい場所にあるものの、近所のフツーの居酒屋だったり、ラーメン食べにいくって家を出て、途中に出来てるぱっとみて気に入った小奇麗な店にさらっと入ってみたり。しかも大抵アタリだし。
 今日はちゃんとしたお店をちゃんと予約したからって、ジーンズ却下。って言われても私スカートって言うか…フォーマル系ホントに持ってないのよ…
 それ言ったら、良かったなスカート増えて。だって。要らないわよあんな家の中でも着れない服…
 スカートって長くてもスカスカしてどうも落ち着かないのよね。短いのは論外だし。だから実は本当に、制服以外はあのワンピースとずるずるした例の白いやつしかないのよ。二つとも夏向き。気づかなかった?
 私のたんす開けて見た、先生がおおげさにため息。
「なんでこんなジーンズばっかり大量にあるんだ」
 え、だって全部デザイン違うのよ? 色も腰のラインも裾のラインも、毎年毎シーズン変わるのよ? まぁ着ないって分かっててももったいなくてちょっとたんすの中でグラデーション作ってみたりしながら捨てられない私がここにいるんだけど。
「仕方ないな。適当に着て出かけるか。途中で買うぞ」
 え!? それは買ってくれるということ?
「上に羽織るのあるだろ、実冴がくれたやつ、あれ持ってこい」
「あれに似合うやつ買ってくれるの!?」
 去年のクリスマスに実冴さんが、株主パスと一緒にくれたショールとポンチョの合いの子みたいな毛皮のやつ。手触り良くて高そうだからもらえないって言ったら、中古だし、私はもうデザインがかわいいから着れないしいいのよって。実冴さんとこの逢(あい)ちゃんが大きくなったらお返しするつもりだから、ムシつかないように細心の注意を払ってしまってあるのよあの毛皮。
 もう、ふかふかであったかくて気持ちいいの。あとで聞いたらなんか、今はもう殺しちゃいけない絶滅危惧種か絶滅種の毛皮剥いで作ったんだって先生が言ってた…なんでそう言うこと言うのよ…しかもウソじゃないっぽいし。
 とにかくそれ、ディズニーシーではとってもカジュアルな服の上に着てしまってたんだけどやっぱりフォーマル用だよねぇ…
 
 
 おでかけは好き。
 誰かに見つかっちゃうとさすがにやばいから、おでかけは大抵遠くまで。時々歩いて三分の居酒屋。先生の隣を歩くのが好き。ドライブも好き。先生が運転するのが好き。カーステからFMが聞こえるのも好き。先生と暮らしだして、たくさん好きになったものがある。今まで嫌いじゃなかったけどどうでも良かったことが、ある日突然だったり、徐々に徐々にだったり、色が変わっていくの。
 今まで四角くて冷たいと思ってたものが、角度を変えたらふかふかであったかかったり。先生がね、教えてくれる。言葉だったり、態度だったり、しぐさだったり。さりげなく示してくれる先にそう言う発見がたくさんあって。
 前は、知らないことは恐怖だったけど、今は、知らないことが楽しい。今まで知らなかったことに気付かせてくれることがうれしい。
 時々思いっきりウソ吐(つ)かれるんだけど。


 何にも言わずに連れて来られたのは、まず私一人じゃ入れないし、同級生とも来れないようなシックでハイソな、ブティック…というのですか?
 閉店間際だったらしくて、ブラインドを降ろしかけてる店員さんに先生が何か話し掛けるとどうぞと通された。
「先生、よく来るお店?」
「俺じゃなくて実冴が」
 ああ、納得。ディスプレイされてる服、実冴さんがよく着てるのと同系列。
「あら、最近荷物もちが変わったと思ったら、こっちもこっちでかわいらしいの連れてるのね」
 奥から出てきた、この店で一番エライ感じの人にそう言われて先生が苦笑する。先生が何か説明して、私が持ってた毛皮指差す。
「うわ、これ昔あたしがくれって言ってもあの人絶対くれなかったのよ?腐るほど持ってるくせに。そっか。実冴姐さんの最近のお気に入りは彼女か」
 お、おきにいり、ですか?私が?
 すぐに何着か服がわいて出た。店長って呼ばれてるから、やっぱり一番えらい人ね。すごい背が高くて目鼻立ちがはっきりした美人。服じゃなくて店長さん見てたら先生が勝手に服をばさばさやって。
「コレ」
 って、先生が指差したの、ワンショルダーの黒のワンピース。もちろんミニ。なんでそんな分かりやすい好みなの?
「…彼女は嫌そうよ」
 却下却下ーってカオしてたら、くすくす笑いながら、こっちはどう、って店長さんが取った服。同じ黒だけど長い袖があってスカートもロングのワンピース。肩が思いっきり開いてるけど、先生が言うのよりか断然いいです。
「着てみたら? 裾もかかとのあるやつ履いたら大丈夫だと思うわ。ディスプレイ用にかわいいミュールいれたの。取ってきてあげるわね」
 試着して、置いてもらったミュールを履く。すごいかかと。十センチ以上あるよ高さが。コルクっぽくって足の裏全体にあるからいいようなものの、細かったら歩く度にこける自信ある。
 じゃーん。どうですか?
「あらやっぱり。似合うわねぇこっちも着てみて」
 あれもこれもって。七着くらいお着替え。最後に先生が言ったやつを着てみる。一応スポンサーの要望には応えるべきかと思って。
「うわ、いやだわ」
 恐る恐るどう? って顔で試着室をでたら、店長さんびっくりした顔。なにがいやですか?
「だろ?」
 なにが!?
「あなたには悪いけど、一番似合ってるわよそれ」
 ぎゃー!! 気の毒そうに言わないでください。隣の人すごく嬉しそうですよ!?
「やっぱりこれだろ?」
「ハイハイ、あたしの負けでした。ああもうちょっと、見る目養おうかしら。しょうがないから約束どおりミュールは付けてあげるわよ。しーちゃんっパンストあるー? できたら黒のアミタイかガラタイ」
 え? え? え? チョットマッテクダサイ。
「ありますよーカウンタの下。この少女なら柄が大きい方があうと思うんで、左側の下から二番目くらいがいいかと思いますぅあ、あれなんかどうですかぁ? 先週入れたバラのやつぅ微妙に紅が入った翔子ちゃんがいいなーって言ってたの」
 残ってたかわいらしいふわふわした頭の店員さんがそう言いながら、左側の脇のファスナーに付いてたタグを取ってしまう。それってつまりそういうことですか?
「しーちゃんナイス! 翔子ちゃんには悪いけど使っちゃいましょう。どうせあと三日もしたらあの子が履くに決まってんだからこんなの」
「というより、翔子ちゃん自分が履くために仕入れたんですよコレ、絶対」
 店員さん、店長さんとパンストらしきブツとタグを交換して戻ってきた。
「ハイこれ。ガーター、つけ方分かる?」
「…わかんないです」
 なんで、こんな、先生が好きそうなのつけなきゃならないの…
 
 
 かかと高いミュールは歩きづらいし、ガーターベルトはなんかごわごわするし。
 知らなかったわよ。カーターベルトのあの紐のとこ、下着の下になるのなんかっ!あーもう、歩くたび動くたびに変。店員さんが『慣れたら平気よ』って言ってたけど、慣れたくないです。あんまり。この感触。
 お店から車に帰るだけでなんだかもう疲れた…
 しかも。右前にスリットが入ってるの。立ってたら全然分からないけどざっくり。ストッキングの一番上のレースのとこが見えるくらいの位置までっ!! しかもここ、一番上のゴムが強くなった部分だけなんで赤いの!? 全体はところどころダークな赤が入ってるものの黒いのよ? しかもすごい微妙な色なの。真紅なのに明るい色なの…アズキ色じゃなくて。えーっと、トマトケチャップみたいな色。カゴメじゃなくてハインツの。黒とのコントラストがもう自分でがっくりくるくらいいやらしいカンジ。
 スリット。車に乗って押さえてないとなにげに座ってるだけで広がるのよ。ぎゃーもうなに? ドコ触ってんのよぅ!! 確かにこの車、オートマだから左手お留守になっても平気だろうけど、頼むから両手でハンドルもって。オネガイ。
 パンストもミュールもオマケしてもらっちゃった。パンストはともかく、ミュールは高そうなのにあの人ヘーキでしたよ。
 帰り際に今度はゆっくり一人で来なさいって言われちゃったよ…どうせ全部先生にツケたらいいからって。
「ねぇ先生」
「なんだ?」
「間違ってたらとっても失礼なこと聞いていい?」
「どうぞ」
「あの人、店長さんって」
「あ、わかったか。元同級生だ。今は女だぞ」
 うわ。やっぱり。前に男子校だったって聞いたから、同級生ってことは当然男。だってローヒールのパンプスで先生と身長つりあう女の人は、いないと思うよ。
「アレも実冴に人生狂わされて道踏み外したクチだからな」
 せんせい、『も』って…『も』って…他にもいるんですかそう言う人…言葉にしなくても伝わったらしくて、信号待ちでこっちに見てニヤリって。いいです。怖いからあんまり聞きたくない…
「昔はモテたぞ。女に」
 だと思う。性別変わってもきれいな人って、土台からきれいだもん…きっと美少年だったことでしょうよあんな美人。
「しかも変なクセがあってな、彼氏持ちにしかモーションかけないんだ。女が落ちたらゲーム終了。先輩後輩同級生、昨日の親友のまで獲ってたからな。で、大抵ド修羅場。ヤツにだけは彼女ができても見せるなってのが仲間内の暗黙の了解。かわいくてもそうでなくても、彼氏がいる、ってだけでヤツの守備範囲。この前逢った神崎っていただろ」
「理右湖さんと桜ちゃんと椿ちゃん」
「じゃなくて医者」
 知ってて言ったんだってば。うん、先生のことずーっと貶(けな)してたあの人ね。言ってる事は概ね合ってて正しいし、その通りなんだけど、先生のこと貶されるとなんかむかつく。しかもそれが真実だから余計むかつく。
「あいつが最多だな。彼女獲られた回数。中学から高校まで六年で、足の指まで足しても足らないくらい獲られてたんじゃなかったか」
 ひー。獲る方も獲る方だけど、獲られる方も獲られる方だ…神崎さんって確かになんか、女の子タラシてたっぽいもんね。
「そんなことやってても女が途切れたことなかったから、アレは絶対女好きだってみんな言ってたんだけど」
 けど?
「どっちかって言うとキライだったのかもな。自分がほしくても手に入らないものを最初から持ってる女って存在そのものが。だから男と付き合ってて幸せそうにしてるのを引き裂いてめちゃめちゃにしたいわけ。モーションはやつからかけるけど、告白は女からさせるんだよ。男振らせて。で、しばらく付き合ってポイ。付き合いだすと同時に次の獲物探してるからな」
 うわ。サイアク。
「それを最初に見抜いたのが実冴。あの時は笑ったぞ。ヤツに逢って開口一番『アンタ女嫌いでしょ?』だからな」
 笑えなーい…笑えないよそれ。
「自分さえ知らない自分に気付くってことは、当人にとっていいことばっかりじゃない。でも一生気付かないよりはマシだな。進んだ道が正しいか正しくないかなんて人間死ぬまでわかんねーんだから、いまの自分にとって最善の道を取るしかないだろ。結果ヤツはああなって、家族からも勘当されて。でも無理して男やってたときよりは、ちゃんと生きてる感じがして俺は今のヤツの方がいいな。神崎は今でも怒り狂ってるけど。女がキライだったんなら人のモン獲ってんじゃねぇって」
 ほら、笑えない。
「…先生も、彼女獲られた?」
「俺か? 居ないもん獲られるわけねーだろうがよ」
「ちょっと待って先生、中学高校六年間彼女の一人もいなかったの!?」
「お前、今ものすごくひどいこと言ったぞ気がついてるか?」
 ごめん、言ってから気付きました。
「…俺の場合は女が、って言うより人間が嫌いだったからな。その頃は」
「その頃は、じゃなくて今もでしょ?」
「今は嫌いじゃないな。かといって好きでもないけどな。他人は他人だってわかっただけだよ」
 うーん。先生を変えたのもやっぱり実冴さんなんだろうか? だろうなぁあの人、無駄にパワーあるもの。
「そんな難しい顔するなよ。お前のことは好きだから」
 うわぁ。どうしてそんな言って欲しいことさらっと言っちゃうんでしょうかこの人は。
 でもでもやっぱり。
「先生を変えるのは私がいいなぁ」
 私を変えるのが先生なら。
 きっと笑ってるよ。いつもみたいに。
 言ってからめちゃめちゃ恥ずかしくて先生のほう見ないで窓の外見てるから、想像だけど。
 話をしてたから気付かなかっただけど、今ものすごく山の中じゃない? 街灯も少なくて、対向車もなくて、真っ暗な道。今住んでるところ、私がいた町より都会だけど、北條先生が住んでるとこより田舎。ちょっと走ったら田んぼあるし、こうやって山があるし。ってか、ドコ連れて行かれるんですか?
「先生、ココドコ?」
「ん? 山の中」
 分かってるわよそんなこと…
「安心しろ、もう着くから」
 先生がそう言ったのと同時くらいで、カーブの向こうが明るくなった。広い駐車場が、橙色のライトで月の中みたい。その奥に、お菓子みたいな建物。壁がチョコレートみたなレンガ。屋根がビスケットみたいなの。
 んで、看板に『RESTAURANT WILDCATHOUSE』
 ゴメンナサイ。帰っていいですか? 見た瞬間回れ右しかけた私の腰掴んで先生が笑う。これで玄関に『どなたさまもどうかお入りください。決してご遠慮はありません』とか………本当に書いてあるし。ガラス戸に金文字で。ぎゃーもう私、やせてるしきっとおいしくないから帰っていいですか?
「大丈夫だって、普通のレストランだから。こないだ話してて思い出したんだ。聞いたらキャンセル出て空いてる席があるっつーからとってみた」
 いいながら先生が玄関を開ける。半円形の部屋になってて、カウンタに紳士が一人。その後ろにドアが…七つ? 三階まであるから合計二十一室。
 いらっしゃいませ、って紳士が言う。先生が名乗ると、金色のタグがついた鍵が一つ。ホントにココ普通のレストランですか? 違うこと目的にしたとこじゃないですか? え? 上着取る?あとで木の枝に引っかかってるとか、そう言うオチ期待していい? ってかできればそのオチがいい。今考えてる最悪のシナリオよりはそっちのがいい。
「ほれ、何してんだ。行くぞ」
 ちょっと待って。このミュール、歩きづらいんだから階段一人で昇れないと思うの。
 差し出された腕に掴まる。先生の持ってるキーのタグには202。つまり二階。よかった三階じゃなくて。じゃなくて!! ドア開けたらいきなりベッドとかあったらミュール脱いで走って帰ってやる。
 
 果たして。
 
 普通だったよ。うん。ドア開けたらフツーに赤のクロスの上に白のクロスがかかった広いテーブルと椅子が二つ。照明は全部間接。部屋が扇形だから奥に行くほど広くなってるの。奥は全部はめ殺しのガラス窓。窓の外は夜景。山のギリギリに建ってて、すかーっと景色が見渡せる。いつからいたのかウェイターが一人。
「ナニ想像した?」
 拍子抜けしちゃって開いてたわ半口。そんな私見てニヤーって先生が笑ってそう言う。ぎゃーもう分かってて説明も何にもしてくれなかったでしょう!?
 
 
 おいしかったです。なにがって料理。多分フルコース。なんで多分なのかっていうと、フルコースなんて食べたことないからなにがフルコースなのか私の中に比較対象がナイ。デザートはやっぱりチョコレート。ドーム型のアイスとババロアにチョコクリーム塗ってあるの。かかってるんじゃなくて塗りました、ってカンジの。きっとフツーなら物語の中の二人を指してて『まあ、おちゃめさん♪』くらいで済むんだろうけど食べてて複雑な気分。でもやっぱり食べちゃうのね。
 先生に聞いたら、ココは全部個室なんだって。完全プライベート。カップル専用ってわけでもなくて、記念日はやっぱりちゃんとしたとこで食べたいけど子供が小さくて人の迷惑になるし、って家族とかも利用できるの。つまりココも、実冴さんご家族御用達のお店。知れば知るほど底なしってカンジで分からなくなるなぁ、あの人。
 デザート食べて、ご馳走様をしてお皿が下がる。食後の飲み物は先生がコーヒー。私がミルクティー。
 先生ってねぇ車を運転する時はホントに一滴もアルコール入れないのよ。全然飲まないの。多分好きだと思うのに。お酒。だから今日は代わりに飲んでみました。甘いやつ。おいしかったよ。
「夏清」
 なんですか?
「手ぇだせ、手」
 て?
「じゃなくて、逆」
 言われて右手を出してみる。はいって。逆? 左手? 右手引っ込めようとしたら、ああもうって。だからナニ?
「手のひらじゃなくて、甲」
 いいながら手を掴んで、内まわし。だって、何かくれるなら手のひらでしょ?
 あ。指輪だ。銀かプラチナの細いリングに、水色の石。するするーって薬指。うわぁ確かに、これは手のひらより甲のほうがサマになるよねぇ
「これって給料の三ヶ月分?」
「お前ね、いくら安月給でもさすがにコレの三倍はあるぞ」
 やっぱり? それでもけっこうなお値段だけどね。
「そっちは卒業してからだな」
「うん。ありがとう。でも私、もらいっぱなし? ニッポンのバレンタインなのに」
 家にあるのは別にして、この服も、ここも、指輪も。
「その服はオプションだろ。飯は食いに出るつもりだったし、ソレは…」
 ソレってこの指輪? これはなに?
「…………クリスマスからあったし」
「な!? なんですかそれ!? じゃあ二ヶ月近くこの指輪はそのポケットの中で眠ってたってこと!? なんでもっと早くくれないのよ!?」
「お前がいらないとか言うからだろう。おかげで渡すタイミングなくしてずーっと気になってたんだぞソレ!!」
 うわ、また人のせいにするよ。ヤな感じぃ。あの時は私の夏のわがまま聞いてもらったからなんとなく断っただけじゃない。ほしかったわよそんなのなら!!
「いらないなら返せ」
「やだ」
 ホントにとられそうだったから慌てて左手で覆って、隠す。だめ、絶対返さない。
 にらめっこして、結局私が先に笑って、つられたみたいに先生が笑う。
「そろそろ帰るか」
 一息ついて、先生がそう言って立ち上がる。うん、もう帰る。
 あれ?
「うわ、危なっ!!」
「きゃ」
 不覚。私が悲鳴あげるより先生のほうが速かったよ。
 しまったわ。忘れてた。私、いつもよりも地上から十センチくらい高いところにいるのよね…はーびっくりした。
「あの、もう平気だけど?」
 こんなにべちょーってくっついてたら、逆に歩きにくいです。
「ふーん」
 うわっ!なんでいきなり離すの!? というより、ほらこけろ、みたいな感じで体離されたら反射的にしがみついてしまうわけで。あわててバランスとろうとした私を見て笑ってるのよ。
「ほらな?」
 むかつくーひどいわ。いいわよ。くっついてぶらさがってやる。
「ほんっと、おもしろいな、お前」
 先生、触ってるとこ腰じゃなくてお尻だよ。人がくっついてるのいいことにドコ触ってんのこの人!?
 それでも、スタスタ…じゃなくてゆっくり。私に合わせてちゃんと歩いてくれてるんだけど、ぎゃーもうホントに人がいるから大声出せないの知ってて撫でてるでしょう!? 恥ずかしくないのかしら。
 いつもね、あ、かっこいいな、って思ったあとがコレ。なんかもー…全っ然、締まらないよ…
 
 
「悪い、起こしたか?」
 んー? 目の前がテールランプ。あ、珍しいな。先生が急ブレーキ踏むなんて。あれ? いつから寝てたんだっけ? もしかしなくても乗ってすぐかも。
「だいじょー……」
「うわ、もうホントそれ外せ、お前」
 ナニ? 私はこう、ただ目を擦ろうとしただけ。顔に持っていこうとした右手、腕を先生の左手が止める。目の前に指輪の石。あ、やば。コレ刺さったら怪我する。
「だって、指輪なんて初めてするんだもん」
 知らない間にシートも少し倒れてて、腰から下は先生のコートがかかってた。体起こしてから気付いたんだけどね。ミニスカで足開いて寝てるのは…ちょっとヤバいよね…できれば起きてる間もこのくらいの気遣いして欲しいわ。
「やっぱり、学校にして行っちゃだめだよねぇ」
 右手を上げて、窓から入ってくる街灯にきらきら反射する指輪を見る。
「安心しろ、俺が取り上げてやるから」
「うわ。それでそのまま質に持って行くんでしょ?」
「よく知ってるな」
 肯定しないで否定してよ…
 車の時計を見たら、寝てたのは十五分くらい。すごい山奥に連れ込まれた気がしたけど、それは服を買うために寄り道したからで、今通ってる道はもう大通り。家まで三分もかからない場所だから、わりと近いのかも。あの店。ああ、なんで『山猫軒』なのか聞きそびれちゃった。
 あっという間に家になんか着いちゃって、帰ったらやっぱりあの服が山になってるわけ。やばいわ。制服もしわだらけ。なんか、テンション下がる光景…そんなことばっかり言っててもしかたないから冷蔵庫開けて、ああやっぱり。袋ごと入ってるよ…せめて出してから…冷凍食品がっ!! 忘れてた…やばーい。溶けてるかも。
「なにしてんだよお前は」
 ナニって分類。野菜は野菜室! 肉はチルド!! 冷凍食品は冷凍庫!!! どうして貼るカイロまで冷蔵庫に入れるの!?
 チョコとホイップは外。アルミのカップも外。
「今から作るのか?」
「ウチで作れって言ったの先生じゃない。うーんでも、着替えてこよう」
 汚れたらヤだもんね。せっかくの服が。ガーターも取りたい。違和感少なくなったけどまだなんか変な感じ。
「手伝ってやろうか?」
「…………なにを?」
 聞くまでもないわよ。言う前に脇のファスナーおりてるの。なんて言うの? 行動力とかそう言うのじゃないなにかで動いてるわよね、この人。
「着替え」
「だったら別に触らなくていいでしょう?」
 左手が服の中。右手がスリットからスカートの中……
「もったいないだろ?」
 ………なにが? 先生もっともったいないこといっぱいしてると思うけど。
「コレもうちょっとつけとけよ」
 言いながら引っ張らないで!! ガーターベルトっ!! 下着がずれる!! やめてーいやーん。
「服は脱いでいいから」
「そっちのほうがいやよっ!!」
 だからちょっと聞いてる? ワンショルダーだからって引っ張り降ろさないでよ!? 背中あいてるのもあってこの服ブラつけられないの。前にはちゃんとソフトカップ入ってるから服着てる分にはいいけど、降ろされたらお終い。ぎゃーもう、やっぱりあのロングのヤツが良いって言えばよかった…
「料理するならコレだよな」
 ああもうやっぱり。メイド服取ってるこの人。チョットマッテクダサイ。どうしてそれになるの? ジーンズにトレーナ着て、普通のエプロンつけたらいいじゃない。
「やだもう。さっきやったでしょ? もう先生のお願い聞いたじゃない。約束通り一個」
「ひとつなんて言ったか?」
「言った!!」
「お前は言ったかも知れないけど、俺はそれでいいとは言ってない」
 あが。ナニソレ。先生、それを人は屁理屈と言うのよ? 知らないだろうけど。
「服着るのいやならコレだけとか。あ、これだけのほうがいいな」
 だけって。中の服落として、白の、白のエプロンだけだよ。アナタが今持ってるの。
「いーやーだー」
 泣く。そんなんだけなんて泣く。ってかもう泣いてやる。
「いやーもう本気で変態。絶対いや死んでもいや」
「泣いても無駄無駄。ウソ泣きするときお前、クセがあるの気付いてるか?」
「え? ウソ!? どんな?」
「ウソ」
 ぎゃーもうはめられた!! はまった自分が信じられない!!
「観念しろ観念。いやならナニも着なくていいぞ」
 もうどれもいや。ホントにヤダ。一番いやなのはホントに嬉しそうにしてるこの人がいやっ! 楽しい? ねぇ楽しい? 背中で黙々とボタン留めてるけど。胸もとフリルしかないの。前の部分も短くて、フリルがどっさり。あと、ハイウエストって言うか、ウエストが広いの。胸の下からおヘその下までウエスト部分…伸びる生地じゃないのにどうしてこんなにぴったりなんですか? むしろ食べた分ちょっとキツイ?
「何でサイズが合うか知りたそうだな」
 いや、あんまり知りたくないです。
「店でこのくらい、ってやったらコレ出してきたぞ」
 言いながら、腰から前に回した両手の親指と人差し指で円を作る。そんなアバウトな…
「………イマイチ」
 そのひろーいウエストより広い、脇から出てるリボンを後ろで結んで…なにが不満ですか? ひとにこんなカッコさせといて。
 あーでもないこーでもないって。リボンいじってるの。ああわかった。思ったよりリボン大きかったから想像と違うんだ。メイドさん用のエプロンだから、リボン大きくて後ろも覆っちゃうからワンピースとかわんないのね。ラッキー。
「切るか」
「このままでいいからっ!!」
 どうしてそうあっさり変なこというの!?
「ならコレとろう」
 取らなくていいっ!! 下着に手なんかかけないで。ぎゃー…………
「いいだろ別に見えないし。手、離せって」
 良くないわよ。全然違うわよ。誰が離すか。
「が、ガーターなら外す」
「それはつけとけ」
 なんですかその命令形!?
「切るぞ?」
 真顔で言うな真顔で!! 怖いから、ホントに怖いから。
 
 …………負けた。
 
 なんでもう私こんなカッコでチョコ刻んでるんでしょうか? 背後からめちゃめちゃご機嫌なピンクと紫が混ざったみたいな変なオーラが出てるんですけど。ああもう、振り返るの怖い。とにかくちゃっちゃと終わらせよう。できたら部屋に逃げる。もういやだからねこんなのは。
「いっ……だー……」
 ぎゃー切った。ほんとに切れた。服じゃなくて指だけど。まだほとんど刻めてないのに。なんかもう落ち着かないカッコしてるからだよ。
「大丈夫か?」
「んーへーひ」
 平気平気。ちょっと刃があたっただけ。舐めたら治る。熱かったら耳。切れたら口。これってどうしてか無意識でやっちゃうのだけど、なんでですかね。
「平気って、見せろ」
 口から出したら濡れてるのとでじわーんって血がにじむ。血が見えたらちょっとイタイかも。
「大丈夫。ちょっと手元狂っただけ、ばんそうこう貼ってくる」
「もういいよ」
 キズ舐めて、困ったみたいに笑う。いいっていわれたらでもやらなきゃって思っちゃうのはなぜ?
「悪かったな」
「…もう、ホントに、謝るなら最初から」
 しなきゃいいのに。ああっ!! そんなのバリバリ食べてもおいしくないでしょう!? 加工用の割チョコ。
「おんなじだろ?」
「おなじだけど」
 なんだか釈然としません。それならやっぱりおいしいチョコ買った方が良かったじゃない。明日になったら安くなってるから買ってきてあげようか?
 食べて笑って、ホントに甘いキスして。
「風呂入って寝るか」
 
 
 フツーに頭洗って体洗ってお風呂入って、そこまではいいの。完璧。
「だからホントに、椅子より先にベッドだったんだってば。新しくするの」
「いいだろこっちの方がくっつけて」
 自分が平均よりでかいってこと認識しての発言ですか? くっつくのは別にいいんだけど。壁と先生の間にいるときの圧迫感、あれなんとかして。
 最近本当に使ってないもの。自分のベッド。今年に入って何回だっけ。ほとんどこっち、先生のとこに入り浸り。
 頭乾かしてそっちに行ったらそのベッドに腰掛けて手に持ってるのはなんですか。
 …そりゃまぁただ『ぐう』って寝るものだとは思ってなかったですけど、何ですかコレ?
「なにってはちみつ」
 ……………………諦めてなかったんかい。ホントに今日はたたみかけてくるわね。
「逃げるなよ」
「逃げるってば、お風呂入ったのに」
 自分の部屋に帰ろうとした私を掴まえて後ろから抱きしめてそのまま自分が下になるみたいにしてベッドに転がる。
「別にお前につけるとか言ってないだろうがよ」
 笑いながら体を離す。
「じゃあどう、す…るの…ぎゃーもう先生なにしてるの」
 塗ってるの、自分のに塗ってるの、それ舐めろってことですか? ことなのね?
 泣きそうになりながら先生の顔見たら、またこれが嬉しそうに笑ってるわけ。
「舐めて」
 やだ。
「お前が言ったんだろうが、なんで自分だけって」
 それはナースになったとき終わった話題だと思ってました。どうしてそんなどうでもいいことばっかり覚えてるの? 別に舐めたいとか思ってないから、私。
「気持ち悪かったらやめるかもな」
 そのセリフも、覚えておいてよちゃんと。
 
 
 甘かったです。もういろんな意味で。
 だって気持ち良くないわけないじゃない絶対。普通にしてても気持ちいいのに。結局知らないうちにこっちも塗られてるし。あーもうべたべた。誰がこのシーツ洗濯すると思ってるんだろう。ちゃんと落ちるか不安だわ。
「や…めっん」
「やめていいのか?」
 だから聞く前に動きとめないで。
「ん…や…離して」
 無意識で反っちゃった腰の下に片腕入れて動けないようにしないで。なんかも、いつもならぺたってカンジであたる肌と肌が微妙にねとねとしてて変なカンジ。ぬるぬるじゃないの。ねとねと。体温ではちみつの水分って気化するから、異常に粘りが強くなって摩擦係数も上がるって言うかもう私なに考えてんだろう。とにかく動けなくされたら違うこと考えるしかないじゃない。
「ん、ふにゃっ…に…んくっ」
 はちみつがべったりついた指が唇をなぞってから口の中に入ってくる。長い指が舌に絡まって、甘いのと指の刺激で唾液が増えるのが自分でもわかるけど、ああもうだめだ。やっぱりダメになっちゃう。絡まる指を追いかけて舐めてると音がたつ。わざと空気が入るように先生が指動かすから、なんか私がやらしく舐めてるみたいに聞こえる。息するので精一杯。飲み込めない液体が唇の端から溢れるの、先生が舐める。
「すっげー甘」
「あっ」
 あたりまえでしょう、って言おうと思ったのに。
 急に動かないで。思い出したみたいに腰揺らさないで。もうぐらぐらする。アタマに近いところ刺激されてたから。場所は遠くなったのに、やっぱり神経は一直線で。耳にかかる息まで甘い気がするのはどうして?
「あっぃいっんっ! くぅっはんっ!!」
 唇から出てくるのは言葉じゃなくて音。ただの声。いろいろ我慢しようとしてるの。これでも。でももう限界。ギリギリ。だからもう降参。これ以上我慢したら壊れちゃうよ。
「いっ! も…だめっ…っく…」
「夏清」
 ベッドが軋む。世界が揺れる。きっと今、地震が来ても気付かないよ二人とも。
 言葉にするまでの躊躇も戸惑いも恥ずかしさも、口をついて出た瞬間ウソになるくらい叫んじゃうよ。
「礼良ぁんっ! いいっ! よぅっんっ…!! やんっいい」
 ああもうきっと。どっかいっちゃう。掴まえてて。どっか行っちゃうなら二人がいい。
「イクっぅんっ!! はぅっ! もうイっちゃう!!」
 しがみついて離れないで繋がってて。
 ああもう、死ぬほど気持ちいいかも。
 
 
「もーやだ。絶対やだ」
「だから謝ってるだろうが」
「反省の色が全然ないじゃない!! もう絶対使わないで」
 もうなんでこんな怒ってるかって言うと。
「ハイハイ絶対使いません。しっかし。まさかはちみつで………」
 笑うなぁ!! もうほんと、なんで私だけこんなになっちゃうわけ?
 食べても別にアレルギーとかは起こらないし、自分でも信じられないんだけど、もう、塗られたとこ赤くなってるの。かゆいし。
「わかったって。今日はもう学校休んでいいから、な?」
 こんなことで休むなんていやよ!! 誰も知らなくても自分が知ってるからこんな理由絶対いや。
 前にクリームでやられたときはべたべたぬるぬる油分が気持ち悪かったから速攻お風呂入って洗い流したんだけど、今回の敗因はあのまま寝ちゃったってことよ。はちみつ自体だめだったのか、それに入ってる凝固防止剤とかそういうものがだめだったのかは知らないけど、なんかが反応してるの。はちみつが美容と健康にいいなんて、金輪際信じないから!!
「休まないわよ!! 行くわよ意地でもっ」
 もうその上、制服は微妙に皺になってるの。スカート、椅子にかけておいたのにいつのまにか落ちててよれよれ。
 とりあえず肌の方は目に見える部分は大丈夫だから、バレない…はず。草野さんだけには気をつけとこう。
「今晩は絶っ対!! 自分の部屋で寝るから!!」
 車で行く先生と、徒歩と自転車の私。先に出るのはもちろん私。
「あ、ちょっと待てって」
 まだ人の不幸を笑ってる先生にそう言いきって、かばんを持ってリビングを出ようとしたら呼び止められた。ふん。無視してやる。
「待てって。もう怒るなよ」
 そう言って、後ろから首に何かかけられる。下を向いて確認したら、細くて黒い皮ひも。
「ポケットだと無くすぞ。それにつけとけよ」
 こっそり入れたのになんで知ってるの…
「………チェーンとかのほうがいい」
「んなもんつけて、またかぶれたらどうすんだ? お前」
 かぶれたとか言わないで!! なんかもう、小さい子供みたいじゃない。
「俺が平気でお前がダメってことは、お前の方が肌弱いってことだろうが。今度ちゃんとしたプラチナか銀のヤツ買ってやるからそれまでコレで我慢しとけ」
「ほんと?」
「ホントホント。でも本気で体やばかったら休めよ。別にお前一日くらい行かなくても平気だろ」
「うん。でも行く」
 外れないように皮ひもに指輪入れて、シャツの中に入れる。ちょっと冷たい。
「じゃぁ、学校で」
「おう、気ぃつけてな。ネコに轢かれるなよ」
 先生、それいつも言うけどなんかのおまじない?
 背伸びしてキスして。もう一回。
 
 うーん。
 もうヤダって思っても、どうしてこんなタイミングよくかっこいいんだろうこの人。
 結局惚れた弱みですか。

                                      2002.2.14=up.





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