空高く。恋晴日和2−4


「うおーっ! 久しぶりの我が家ー!!」
「三日もあけてないだろ」
「イヤ、雰囲気ですよ。旅行帰りの」
 落ち着くーと言いながら、ソラがリビングのソファにダイビングしている。
「コーヒー飲む? 淹れるけど。風呂はいるだろ、今湯張ってるから」
「飲むー……って! 貴巳君ケガ人っ いつの間にお風呂をっ!? ソラがやりますからそんなことはっ!!」
「別に。かすり傷だし。ソラのコーヒーっていっつも味が違うんだよな。濃かったり、薄かったり。自分で淹れたほうが安定してるからいい」
 駆け寄ってくるソラを無視して、コーヒー豆を分量入れてコーヒーメーカーのスイッチを入れる。
「だ、だって、毎日同じ味じゃ飽きちゃうじゃないですかっ」
「飽きねぇよ。ってか、同じ味のがいいから美味いコーヒー出す喫茶店には常連がいるんだろうがよ」
 クポクポと独特の音と蒸気が上がる。無人ゆえの無機質な空気が、徐々に入れ替わっていくようだ。
「あ、そう言えばそうか」
 今まさにわかりましたとでも言うようにソラがぽんと手を打つ。
「コーヒーもいいですけど、貴巳君おなかすいてないのですか?」
「あのおにぎり食ったからもういい」
 常盤が沖縄限定ポーク玉子シーチキンマヨネーズをくれた時間は、昼食からそんなに時間が経っていたわけではなかった。なので、なんだか盛り上がりつつ分け合って食べている女性陣を眺めるだけで貴巳は食べず、結局羽田空港について帰りの特急に乗るまでの時間にソラに何口かかじられつつ食べた。
「あー おいしかったですよねぇ できればこちらでも売っていただけないのでしょうか」
「限定だからいいんだろ。日本人ってそう言う人種だよな。期間限定とか地域限定とかそう言うのが好きっていうか」
「そうそう。今しかないとか、ココにしかないとか。そそられますねぇ そういうの」
「商魂逞しいよな。この前だってそうじゃん。とにかくチョコ。チョコ作ってる菓子会社の陰謀だろ、あれ。いまだけチョコ。バレンタイン限定だかなんだかしらねぇけど、俺もう当分いらねぇ」
 チョコが有名な国に住んでいたけれど、バレンタインというイベントはあっても、どちらかというと男性が女性に……それも交際相手に何かプレゼントを渡したり、どこかいつもと違うレストランに誘ったりするどちらかと言うと大人の行事だ。プレゼントもチョコとは限らない。そういえば両親は子供を置いていそいそとどこかへ出かけていたのを思い出す。そもそも興味がないのだが、バレンタインになると首都の信号の赤だけハート型にマスキングされていたりするのは知っている。しかし、女の子がチョコを男の子に渡さなければならないとか顔もよく覚えていないような女の子にチョコをもらったといったことは一切なかった。
 思い出しただけで胸焼けしそうな甘いにおい。さらに漏れなくついてくる好意。包装は捲ってしまえば嵩になるゴミだし、手紙と言うものはいらなくても握りつぶして捨てるのは気が引ける。例え一方的に押し付けられたものだとしても。
「ひ、ひどいっ ソラ、一生懸命作ったのにっ!!」
「……あれ、人間の食べるもんじゃなかっただろ」
 思い出してげっそりする。朝からキッチンにこもってひたすら何かと格闘していて(月曜にやってきた通いの家政婦が絶句するくらい散らかしながら)できあがったのは食材に詫びろとしか言いようがないようなシロモノだった。
 どうやったらチョコをあそこまで焦がせるのか。元々黒いものをあそこまでケシズミと化せるのか。
 自信満々意気揚々。ハイ!! っと差し出されたブツの、とりあえずチョコの生存が確認できそうな中央部分だけ取り出していただいたが、まあ、味は。なんともはや。
「た、貴巳君なんてっ なんだかもうたくさんホイホイもらっちゃって!!」
「お前だってたくさんホイホイ配ってただろうがよ。将人にまで」
 ソラから預かった将人分のチョコは、市販のものだったが。
「ソラのは友チョコだからいいのです!!」
「なんじゃそりゃ」
「貴巳君がもらったのなんか、ほとんど本命だったじゃないですかー!!」
「ちょっと待て。ナニがどう違う!? おんなじじゃねぇかチョコなんて」
「義理と本命はぜんっぜん、違います!! しかもめちゃくちゃ大量にっ!!」
「俺は別にくれって言ったわけじゃなくて、そんなの勝手に持ってきたやつばっかりだろ!?」
「そう言うのはもらってもソラのは食べられないって一体どういう了見ですかー!!」
 ……じゃあもっとマシなもん作ってくれ。
 確かに。たくさんもらったが。笑莉も貴巳と将人に同じものをくれた。二月十三日の金曜日、朝学校について、貴巳が困惑しながら机の中からチョコを発掘する姿に日本の二月の風物詩みたいなものだから気にするなと言いながら袋がいるなら貸してあげるわとやたらファンシーな柄のエコバックを差し出して。貴巳が通う高校は、校内土足だ。下駄箱はない。一人に一つ廊下のロッカーが与えられていて、そちらにはカギがかかる。なので必然的にチョコを仕込めるのは机の中くらいなのだ。貴巳は教科書や辞書などもロッカーに入れているので、机の中はあまりモノが入っていなかったので入れ放題だ。
 とは言え、机に入っていたくらいの量だから、まあ何とかカバンに入れて帰れないこともないと笑莉の申し出を一旦断ったのだがそのあとも、休み時間のたびに徒党を組んでやってくるのだ。見るのもはじめての、だから名前も全く知らない女の子たちが。
 笑莉の好意を無碍にするつもりはなかったのだが、さすがにデフォルメされたネコとウサギが原色のお花畑で踊っているような袋は使えず、購買のおばちゃんにビニール袋をいくつか分けてもらったのだが、おばちゃんからもチョコをもらった。アメのように個包装された小さいやつを三つ。
 若い女の子だけならともかく、貴巳たちと同じくらいの子供がいそうなオバちゃんまで参加しているとなると、もうこれはお祭りの一つだと理解して家に帰ったのだが。
 本当の戦いは翌日だったのだ。朝からソラはキッチンを立ち入り禁止にして何かと戦っていたし、どうやって家を調べたのか、午前中に二組、午後から三組チョコ持参でやっぱり知らない女の子が尋ねてきた。昼過ぎごろ、まだキッチンを占領して立ち入らせないソラの様子もあって、さすがにこれはヤバイ祭りかもしれないとうすうす気づいては来ていたが、すでに他の子からもらっているので、休日にわざわざもって来てくれたものを断る理由が見つけられない。あの子のは受け取っておいて私のはどうして断るの? とか言われたら、理由がない故に言いよどんでしまって貴巳が敗北するのだ。大抵はチョコを渡したい子とそれを応援する子の組み合わせなのだが、最期の五人組など「この中の誰を選んでも恨みっこなし」の取り決めをしてきたのだと言う。自分たちの中から選ばれるのがデフォルトなところが恐ろしい。
 で、極め付けがソラのチョコだったのだが。
 ここで「だからバレンタインってなんなんだ!?」と叫んでも自分に罪はなかったと思う。ニッポンのしきたりなんて実際知らなかったし。
 でもソラから返ってきた返事は「貴巳君なんかもうしらない!」だった。いや、知らないから教えてほしいのだが。
 結局翌週の月曜日に「日本のバレンタインについて」将人からレクチャーを受け、手紙が添えられていて差出人が書いてある分については片っ端から片付けて行くことにした。答えは簡単ストレート「付き合っている人がいるから」だ。誰ですかと聞かれれてごまかしているうちに噂が尾ひれをまとって笑莉が交際相手にされていた。最後のほうになると貴巳が言う前に「相田さんならあきらめます」とか言われて、否定しても信じてもらえずもう勝手にしてくれと言う心境だった。
 誤解を受けたことを謝ったら、笑莉は非常にサバけた様子で「まあ女子でよく一緒にいるのは私くらいだものね。ほっといたらいいのよ。そのうちみんな忘れるわ」とちょっと底が知れない感じのアルカイックな笑みを浮かべていた。
「市販のはまだほとんど置いてあるけど、他の手作りっぽいのは食わずに捨てた。さすがに知らねぇヤツが作ったもんは、ムリ」
 レストランとか、そういった場所で供される食べ物はそれなりのプロがそれなりに気を使った場所で作っているものだし全く気にならないのだが、なんと言うか今回のブツはどれもいろいろなものがこもっていそうで食指が動かなかった。
 ソラ作の、あの得体の知れなさからすると机の中に突っ込まれていた顔も見たことがない人物の手作りらしきもののほうが数倍マシそうだったが、やっぱり食べるのは躊躇した。申し訳ないのだが。
「だから、手作りで食ったのはソラのだけ」
「え。そうなのですか?」
「……そうなのですよ?」
 出来上がったコーヒーをマグカップに注ぐ。ソラのほうにはすでに牛乳が半分くらい入れてある。かなりぬるいカフェオレになるが、猫舌なのでそのくらいがちょうどいいらしい。
「知らなかった俺も悪かったけど、次の日から三日くらいかけて名前が分かる分は『付き合ってる人がいるから』って全部断ってきたし」
 ただし、学校内でヘンな誤解を受けたことは黙っておく。
「大体さ、どうして大して話もしたことないのにあの熱意なのか……」
「そりゃー 貴巳君がカッコいいからですよ。真実ちゃんにも聞いたら『もてるかもてないかというカテゴリ分けなら絶対もてる方』って言われたし」
「なんだそりゃ」
「多分日本人ウケする顔なんだろうって。ほら、貴巳君って色々混ざってるじゃない、だからその人種のイイトコ取りっていうか、貴巳君の顔って日本人離れしてるけど、ホンモノの白人より近寄りやすそうなんだって。日本語も話せるし。そう言う意味で勝手に王子様認定しやすいんじゃないかって。実際会話したら口が悪いのわかるけど、遠めに眺めてる分にはわかんないから」
「おーじ……」
 真実に言われたことをおそらくそのまましゃべっているソラの前で貴巳がテーブルに沈む。なんなんだ、それは。
「思い出したんだけど、ソラがいたときもそうだったよ。帰国子女クラスのハーフとかクオータの男の子や女の子はめちゃめちゃモテてたなぁって。ファンクラブとあったと思う。三年でも、わざわざバレンタインには登校して目当ての下級生にチョコ渡してる子もいたのですよ。その気になったら貴巳君、学校でハーレム作れるかも」
「作るか。そんなもん。俺はソラだけで手いっぱいだ」
「それってなんか、手が空いたらいいかって聞こえます」
 ソラが二の腕をテーブルにつけてもたれるように両肘を突いて、手の上に顎を乗せている。
「んじゃ言い直す。ソラがいたらそれでいい。他いらない」
 同じような体勢をとってソラを見ると、にこーっと笑って頭を撫でられた。
「そうなのですよねぇ 貴巳君って。こうしてるとどうして私あんなにテンパってたのか思い出せません」
「なに、テンパってたって」
「いやー 貴巳君おいてったら誰かとデートでもしちゃうんじゃないかと気が気でなかったというか。だからもう絶対見えるところにいてほしかったと言うか。まあ、そう言うことです」
 貴巳の髪を指に絡めて梳いて、ソラがため息を吐く。
「んなわけねぇだろが。各方面に迷惑かけやがって」
「えー だって。色々心配だったのですよ」
「ヤキモチ?」
「んー……多分。なんていうか、昔から知ってる分、ソラは貴巳君のこと客観的に見れないし、どんだけカッコいいかとか、そう言うの今まで気にもしてなかったのですよ。貴巳君は貴巳君だから。だけど今回思い知らされました。でもだって貴巳君、絶対家でじっとなんかしてなかったと思うし。誰かと出かけたりしなかったと言えますか?」
「べっ……つーに、友達と会うくらいだったろ」
 そう問われて、考える。家で寝るとか言っていたが確かに、ソラのいない家にいたとは思えない。とは言え、出かけるなら将人か笑莉くらいなものだけれど……
「あ! 今なんか動揺した!!!」
「し、してねぇよ!!」
 笑莉を思い出して、付随して例の誤解を思い出して、ふと視線を泳がせた貴巳に、がばっとソラが身を起こしている。
「してるっ! すごいしてるっ!! やっぱりソラのことなんかほっといて誰か女の子と遊ぶつもりだったんだっ!」
「違うって。多分将人か相田とはあってただろうなって思っただけでっ!!」
「あー エミリちゃんかぁ エミリちゃんもくれてたんだよねぇ チョコ」
「もらったけどっ 将人と同じのだっ」
「ムキになるところが怪しい……」
「カンベンしてくれよ、もう。ホントに相田は友達なだけだから。来年はソラ以外の受け取り、拒否るからさ」
 起き上がって少し冷めたコーヒーを一口飲んで、半眼になってピンクのマグカップを口元に当てているソラを見る。
「拒否るから、頼むし、来年は市販のにして」
「………やっぱり貴巳君はオトメゴコロをぜんっぜん、理解していないのです」
「なら上達して」
「………」
「上達する自信がないなら溶かして固めるだけにして」
「……え。チョコって溶かして固めるだけなのですか!?」
「……知らなかったのか?」
「…………火を入れるべきかと……」
 マグカップで顔の下半分を隠すようにして先ほどとは一転した上目遣い。意図的でないならなお性質が悪い。
「……風呂、先入ってくる」
「えっ!? えええっ!? 貴巳君、手っ 手は大丈夫なのですか!?」
「大丈夫だろ。ぬらしてもいいって言われたし。勝手にはがれるまでこのまま貼りっぱなしだってさ」
 怪我をした腕を上げるが、厚手の長袖のパーカーの袖の下なので見えない。
「いやっ だからっ か、体とかあらえるのですかっ!?」
 怪我をしたのは利き腕とは逆の左腕だ。確かに皮膚がひっぱられるような感覚は時々あるけれど、洗えないことはないと思う。
「洗えないっつったら洗ってくれるの?」
 だからほんの冗談で。いつものつもりの軽口で。けれどそう言ったあとソラを見るとぼんっと顔を真っ赤にして、こくんと一度顎を引いて、そのまま下を向いてしまった。
「や、だって。ソラのせいでケガしてしまったのだし」
「洗うってことは一緒に入るってことだけど」
 今まで一度だって。両思いになって何度も体を重ねても、それだけはだめですと頑なに拒否してきたのに。
「あ、あらう、だけ。だしっ」
「ふーん。じゃ 頼む。あ、服着たまま却下な」
 うっと返事に詰まっているソラを置いて、洗うだけで済むと思うなよと思いながら、先に入っておくと言い残して風呂場に向かう。だめだ。ココで鼻歌とか歌って陽気にするのは多分絶対だめだ。と、無意味に奥歯をかみ締めながら。


 真ん中が折れて開く浴室のすりガラス越しに見える人影とか、ごそごそ聞こえる服を脱ぐ衣擦れの音だけで、否が応でも期待は高まる。
 遠慮がちにドアが細く開く。
「あの、体洗うなら上がらないと……」
「まだあったまってないし。服脱いだなら入ったら? 寒いし」
 無言の躊躇。
「あの、あっち向いてて。ってか、目、瞑っててください」
「ハイハイ」
 素直に言われたとおり顔を背けて目を閉じていると、ざばざばっとかけ湯の音がする。そのすばやさはナニと目を開けたら、するりと白い足が伸びてきて、あっという間に肩まで湯の中に、まさに飛び込んできた。少し湯がこぼれて、湯気が昇る。
「いつもより濃くしてみましたが」
「ど、どうもっ」
 入浴剤を多めに入れて、しっかりとミルク色をした湯はほんの少しの深さで何も見えない。
 貴巳に背を向けるようにして湯に浸かっているソラは肩より少し長めの髪をゴムでまとめているので、いつもは見えないうなじにところどころ後れ毛が落ちている。
「なぁ ソラ。知ってる?」
「な、なにを?」
 ついっと身を近づけると、ソラがちょっと前のめりに逃げている。
「後ろ向いてるほうが」
 湯の中は見えない。
「いろいろやりやすいって」
「んぎゃあ」
 そーっと潜水していた腕がその細い腰を捉える。ぐいっと引き寄せられて、空気中とは違う抵抗にソラがバランスを崩して何の色気もない悲鳴を上げた。
 さすがに怪我をした左腕は湯から上げたまま浴槽のヘリにおいて、右手だけで胸や腹を撫で回す。見えなくて手探りな分、ちょっと遠慮のない触り方になってしまうけれど、成人が二人も入れば広くはない浴槽内だ、ソラに逃げ場はない。
「やんっ ふ……あんっ 貴巳君のえっち。ケガ、してるのにっ」
「だからかすり傷だって。別に洗えるし、体」
「じゃあなんでソラがここにいるのですかっ!」
「ソラが入りたがったから?」
 ヘリにしがみついてソラが顔を赤くして貴巳を振り返る。
「ちが!! ……きゃっ!!」
 隅っこに逃げようとしていたソラを再び引き寄せる。ソラの背中と貴巳の胸をくっつけて、ケガをしている左手でソラの両手首をまとめて捕まえ、足を使って拘束する。
「逃げてんじゃねぇ」
 耳元に唇を寄せて囁いて、首筋に唇を這わせる。
「んっ はんっ…… やぁ……」
 甘く息を吐くだけで腕を解いても抵抗らしいことをしないソラのその胸の柔らかさを堪能する。蒸気と汗が混じった雫が頬を伝う。
「はぅ も、貴巳く……」
 ソラが軽く身をよじる。開放すると、くたっと浴槽のヘリにもたれかかっている。
「のぼせた?」
「貴巳君の意地悪ー こんなことする為にソラは一緒に入ったのではないのですっ」
 先ほどよりもずっと赤い顔をしてソラが唇を尖らせる。
「洗ってくれるんだろ?」
 湯の音を立てて、無造作に立ち上がった貴巳を、ソラが見上げる。
「ほんっと。見られんのイヤなくせにじーっと見るよな。見るのは好きなわけ?」
「ちがっ!! 違うってば貴巳君のバカー!!!」
 勢いソラも立ち上がって貴巳を睨んでいるが、真っ赤な顔をしていてはその効果は薄い。
 しばし裸で見つめ合って。
 唇を重ねて、重ねるだけで止まらなくて、濡れた背中を抱き寄せて、己の背中にもしっとりと暖かい手がまわされて、より深く深くキスを繰り返す。
 唇を離すと、ソラが貴巳を上目遣いに睨んでつぶやいた。
「ちょっと、見とれてただけだもん」
「それ、違わないし」
 笑いながら浴槽から出る貴巳をぽこぽこ叩きながらソラが続く。
「ホント、体洗って終わりとか思ってた?」
「……………」
 問われてソラが視線を下に向けて小さな声で。
「……あんま、思ってなかった」
「だろ?」
 貴巳の手がソラの顎を捉える。再びキスをしながら、濡れたからだに手を這わす。背中、肩、胸、お腹……
 移動する手が下腹を撫でる。誘うように心持ち開かれる足。誘われて滑り込む手。
 指を潜り込ませれば、他の肌に珠になっていた水とは全く別の液体が絡む。狭い浴室にソラの吐息交じりの声と水音がよく響く。執拗にそこをかき回している間に徐々にソラの体が逃げていて、浴室の壁に背をつけている。
「実はかなり期待してた? とか」
 否定なのだろう、ソラが首をゆるく左右に振っているが、触れたときにはもうすでにソコは潤みきっていた。指を入れてかき混ぜるたびに途切れることなく蜜をあふれさせる。
 意地悪く問いかけながら身をかがめて胸に顔を寄せる。柔らかい弾力のある肌と、硬い頂。舐めてついばんで転がせば、それにあわせてソラが声を上げて体をひくっと震わせる。
「ナカ、出さないからこのままシテいい?」
 胸から鎖骨、顎の下と徐々に顔を上げて、一旦お互いの顔が見える距離まで顔を離す。
 貴巳の首に手を回して肩にしがみつくように立っているソラが頷くのを見て、片方の膝裏に手を入れて持ち上げる。いじりやすく広がったソコをさらに愛撫して、かき回す。
「ひぁっ! やっ たか、みくんっ も、そんなしたらっ んっ!! ひゃあん!」
 熱くぬかるんだ場所に侵入したとたん、ソラが体を振るわせる。ナカも収縮するようにうごめいて、何も隔てるものがないので軽く達したのがわかったけれど、このタイミングでこちらまで気持ちよくさせてしまうのは少々反則だと思う。まだもったいないからガマンするけど。
「イった?」
「ん……ごめ……」
「いい。けど俺まだだから続けていい?」
「ぅん」
 ぐいぐいと腰を押して密着して離れる。単純な動きだけれど、拒絶されても止まらない。
「あ、やんっ あっ いぁっ んぃっ」
 すがりつくように、しがみついてくるソラを抱きしめる。突き上げるたびに耳元にかかる声と息。その声が反響して微妙なタイムラグを伴って繋がった部分から漏れる音とともに体に戻ってくる。
「すげえ みっちみちでぐちゃぐちゃでなんかもう、めちゃめちゃイイんだけど」
 もう少し、あと少し快感をむさぼりたい。けれど限界はすぐそこで、長くこうしていたいと思いながら、体は今すぐにでも昇り詰めたいと心地よい場所を往復する。
 肌と肌が重なって離れ、あわせて入って抜けば滴るような水音がして、深く奥まで侵入して腰を回せば、空気が混じってより粘着質でいやらしい音がこぼれる。
「ん、なんか……あっ 貴巳君……がっ 入ってから……はぁ……も、やぁっ そこ、こすれっ!! うぁんっ もぉ ずっ……っとぉ あたま、まっしろ、かも」
 汗と蒸気のせいで頬に張り付いた髪を払って、その頬に口づける。
「もうイきたい?」
「んん……イき、たい」
 勢いと速度を増して動いて、口を開けるだけ開いて口づけを落とせば、求める舌に答えるように絡み付いてくる。ふるふる揺れる胸を片方掴むように揉みしだいて、ただひたすら。
「あっ だめぇっ!! やっ イくっ!! あああああっ……」
 最初から充血して奥から入り口までみっちりと咥えこんでいたナカの重圧が強烈になる。
「ぅくっ」
 まだあと少し。そんな名残を振り切って腰を引く。荒い息を吐きながら見下ろすと、白い肌に飛んだ微妙に半透明な白い体液が、ゆっくりその肌を舐めるように重力に引かれて落ちていった。


「うへー のぼせたですー」
 冷たいテーブルにソラがつっぷして手を顔であおっている。冷蔵庫からスポーツドリンクを出して体の欲するまま飲み下し、三分の一ほど残ったペットボトルをまだ赤い頬に乗せる。
「ちべたっ!!」
「飲めば?」
「……アリガト」
 差し出したスポーツドリンクをぐびぐびとあおってソラもあっという間に全部飲み干す。
「あ、ごめん、全部飲んでしまいました」
「いいよ、俺がほとんど飲んだんだし」
 空になったペットボトルを受け取って、流しですすいでコップ立てにさかさまに突っ込む。
「おあー なんか猛烈にお腹がすいたですー あ、でもだめー 八時過ぎてるですよー ああー この三日ほどあんまり食べてないから今頃空腹感来たー」
 またテーブルに突っ伏して、ソラがぐだぐだとつぶやいている。
「どうしよう。なんか食べちゃおうかなぁ それともガマンするか……明日の衣装がハラだしだとやばいですしなぁ うがー」
「ソラさ」
「なんですかー?」
「いっつも食べるもんとか気にしてたんだな」
「そうですよー さすがにお見苦しいものを人様に晒すわけにはまいりませんから。腰掛バイトのお天気お姉さんですが結構いろいろがんばってます」
「うん。沖縄でもあの酒豪に囲まれて酒も飲まずにお茶もほとんど飲んでなかったし食うほうもそんなにだったし。飲み食い大好きなの知ってるから、余計すげぇなって思った」
 ソラの向かいに腰をかけて、万歳をするようにテーブルに張り付いているソラを見る。
「ふふふふふ。そう言っていただけるとガマンする価値もあるというものです。ああでも、お腹すいたー」
「おにぎりちょっと食っただけだったしな。でもなんもないだろ、今日は特に」
「カップ麺……は、だめだ。胃腸に残る……」  通いの家政婦には週末は家にいないことを伝えているので、いつものように作りおきがあるわけではない。
「菓子とかは?」
「そうですねぇ 高カロリー低蛋白なものがあればいいのですけれど。ない」
「ああ、アレは」
「なんですか?」
「チョコ。まだあるけど、冷蔵庫に」
 市販の、それもかなり高価な部類に入りそうなチョコは軒並み「要冷蔵」商品だったので、いくつかは冷蔵庫の奥に無造作に積まれている。
 低蛋白かどうかは知らないが、高カロリーであることは間違いない
「んむむむむ」
「ゴディバのも一つあったぞ。好きなんじゃねぇの? あれ」
「………負けました。敗北です。ゴディバ食べたい」
 何に負けたのか知らないが「こうさーん」と言いながらソラが両手を上げている。冷蔵庫から出してテーブルに置くと、いそいそと開封してかわいらしいハートの形をしたプラリネを一つ取り出して、ぱくんと一口。
「うわ。おいしー バラジャムー」
 結構なサイズの箱だったにもかかわらず、入っていたのはハート型のプラリネが四個とバラの形をしたチョコが一つ。次々に口の中に放り込んで、うっとり味わっている。
「ごちそうさまでした」
「そんなんでハラの足しになるのか?」
「血糖値が上がれば満腹中枢が誤解するので暫く大丈夫です。まあ、寝るまでくらいは」
「ふーん。他にも何個かあるからソラが食えば?」
「貴巳君甘いのダメでしたっけ?」
「そうじゃないけど、別に腐るもんでもないし、またハラ減ったときソラが使えばいいと思っただけ」
「ダメですよぅ 食べといてなんですけど、みんな貴巳君に食べてほしくてくれたわけですから」
「俺がもらったもんなんだから、俺がどうしようと勝手じゃん」
「もー やっぱりオトメゴコロを分かっていないのです」
「分かってたまるかよ、そんなもん。俺みたいのが分かってたら気色悪いだろ。それにくれた子に気ぃ使ったら絶対お前怒るし。不機嫌になるし」
「………とにかくっ もうソラは食べません。これ以上敗北を重ねるわけには行かないのですよ」
 だからなにに。と、問うてもこちらが理解できる答えが帰ってこない気がして、好きにしてと立ち上がってゴミを捨てる。
「ならさっさと寝たら? 満腹中枢が騙されてるうちに」
「え?」
「ナニ?」
「いえ、貴巳君があの一回で終わりにするのかとちょっとびっくりしたのです」
 本当にびっくり、という顔をしてソラがぽろりと本音をこぼす。
「ふぅーん。いいけど? するけどいくらでも? したいわけ? もう一回といわず何回でもさせていただきますが?」
 意図的に目を細めて、唇の端に笑みを乗せて。おそらくこの上なく邪悪な顔してるよなと心の隅っこで笑いながら。
「いっ! いえっ!! さすがにアレは一回で十分ですっ!! 今日はこのへんでっ!! それじゃ私、寝ますっ!!」
「あ、待て。聞きたいことが一つと言いたいことが一つ残ってんだ」
「なななななっ なにでしょうかっ!?」
 顔に「動揺」と言う文字を貼り付けているかのように、その動揺っぷりはいっそ見事だ。
「ソラ、血ぃつながってないって言ってあったんだって? 今回のメンバーに」
「うぇ!? あ、ハイ。はじめっから。って言うか、全部ぶっちゃけて貴巳君連れて行かせてって常盤さんに泣き付いたから」
 泣き付いたのか。
「だったら俺にも言っといてくれたらよかったのに。余計な気ぃ使って損した」
「言わなかったほうがよかった?」
「いや。よかったと思う。そっちのがやっぱいいよな。俺も言っとく。友達には」
「うん。でも余計な気を使ったって、もしかしてコッソリ……」
「違う。誰が夜這うか。無理して弟のフリして損したって言ってんの。知ってるなんて知らないから、ホントは血のつながってない姉弟だってバレないようにすんげぇ気、使ったんだけど」
「あははー そっか。ゴメンゴメン。ま、ソラの部屋には貴巳君は入れなかっただろうけど」
「なんで?」
「だってソラの部屋、常盤さんの部屋通んないといけないつくりだもん。アイドルガードなんだって」
 そう言われて思い出したら、ソラはいつも常盤と同じドアからリビングに出入りしていた。あのドアは厳密には常盤の部屋のドアということになるのか。
「んじゃ昨夜。どうやって出てきたんだ?」
「常盤さん割と早めにつぶれちゃって先に寝てたのです。んで、ソラは飲まずに最後までお付き合いして、ハナっから部屋に帰ってません」
「あ、そう」
 だから常盤も知らなかったのか。
「どっか行きたいですねぇ。今度はふたりで」
「旅行? ならバイトでもするかなぁ」
「大丈夫ですよ? ソラ、高額アルバイターだから」
「ヤだよなんか。ソラにだけ出させるの。一応俺男だし」
「そういうもの?」
「そういうもん」
 ふうんと納得していなさそうな返事をして、沈黙が訪れる直前にソラが立ち上がる。
「んじゃ。私はこれでっ」
「や、大事なことがもうイッコ」
「ハイ? まだあるのですか?」
 肘を付いて両手を組み、その上に顎を置いて、ソラをちらりと見上げる。
 さすがに目を合わせたままでは言えないので、すすっと視線をそらせて。
「悪い、さっきちょっとナカにでたかも」
「え。」
「ごめん」
 両手を合わせて頭を垂れて反省のポーズ。暫くそうしていてもソラがじっとこっちを見て何も言わないので、ちらりと横目で窺うと目と目があった。先にふっと笑って表情を崩したのはソラで。
「まあ。しょうがないですよ。いいよって言ったのはソラだし。多分、明日か明後日にはアレが来るから、大丈夫だと思うし」
「え?」
「や、だから、あんま気にしないで」
「気にするだろ、それ」
 急に立ち上がって近づいた貴巳に、ソラが体を引く。
「そんな、だいじょ……」
「大丈夫じゃない! そう言うこと言っとけよ。あああ。そう言えばこんくらいに来るんだったっけ」
「え? えっ!? ええっ!?」
「アレきたらまた暫くできないだろっ 昨日おとついもしてないのにっ!」
「ちょっ……」
 ソラが左足を引くのと、貴巳が右足を出す動作がステップのようにシンクロする。
「部屋行くぞ部屋っ! もう一回。や、あと二回だけさせて」
「うそー!? ちょっと待ってっ! そんなしたらまたお腹すくっ!!」
「安心しろ。まだチョコあるから」
 腰を引き寄せて顔を寄せれば、それが予定された振り付けのように自然に唇が重なる。ソラの咥内に残ったチョコとジャムの甘さをむさぼって、名残惜しくて幾度も軽くその唇をついばむ。
「んもう、本気?」
「本気。さすがに旅行帰ったばっかだし、アレで終わらせようかと思ってたけど撤回。前ソラが言ってたじゃん。スイッチ入ったみたいな? でも結構、ソラもアレだけじゃ物足りなかった?」
「………まあ、それは……」
 ちょっと正直に言い過ぎたかもとソラがうつむいて鼻でため息のような息を吐く。
「ならいいじゃん。しよ?」
 いやなんかいろいろよくないような気がしますと言うソラの呟きを無視して、その手を引いた。






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