AFTER DAYS 42b 真宮真吾の視点


『ああ、真吾? 悪い。行けなくなった』
「は?」
『行くつもりだったんだが、もうムリだな』
「何がムリなんだよ」
『さっきUターンしたから』
「はぁ!?」
『ほんとに悪いな。運転してるから切……』
 …………言い終わる前に切ってんじゃねぇ!!
 短い通話時間が表示された携帯電話を見ていても仕方がないので諦めて折りたたんだ俺に、隣ですでに生中お代わり三杯目を半分空けた速人が聞いてきた。
「どうした? まだ遅れそうって?」
「いや……来ないって」
「なに!? じゃあ俺がわざわざこんなところまで一時間以上かけて来たってのに、ヤツは来れないの一言で終わりなのか!? 礼良も来るから中間地点でってことでこんな遠出になったんだろうが。今居るメンツだけなら近所の居酒屋で充分だ」
 一気にそれだけ言って、残りのビールも一気。空になったジョッキ上げて、店員にお代わりの催促。
「怒鳴るなよ。わざわざってお前、哉に乗せてきてもらったくせに」
「時間と金がかかるだろうが、電車だと」
「車なんかで来たら哉が飲めないだろうが。なぁ哉?」
「……飲まないからいい」
 ああ、そう。
 軟骨のから揚げを食べながら、しれっとした哉の答え。
「プライベートでは断ってるもんな。酒」
「そうなのか?」
 座ってる位置がカウンターのちょうど角。奥から俺、哉、速人。哉に顔を向けて聞いたら、ものすごく、嫌そうな顔をして頷いた。なにか知っているような口ぶりの速人を見ると、こっちはにやにや笑ってるし。
 なんなんだ。俺が知る限りの哉は酒で失敗するようなヤツじゃないのに。でもどうしてと聞ける様子じゃないしなぁ。
「速人は相変わらずだな」
 水のように、ってよく言うけど、水は飲めないよ。アルコールだからそれだけ飲めるんだ。
「家では発泡酒」
「充分だろう、発泡酒で。俺も家ではそっちだし。哉は」
「ない」
 即答。答までに間がない返事。珍しいと言うより、初めてかも。哉ってわりと、喋る前に言葉を選ぶっていうか、相手に伝えるべき言葉を考えてる、そんな間を取ってる気がする。家でも飲まないってのは……
「引っ越し祝いだか就任祝いだかでもらったとか言う高い酒、捨てるって言うから全部もらった。言っとくけどもうないぞ」
 速人にかかったら高かろうが安かろうがあっという間だろう。
「でもなんか、生活臭漂うよな……発泡酒って」
「悪かったな所帯じみてて」
「そこまでは言ってない」
 言ってないけど、正直なところ、こんな風な速人は想像してなかったと言うか。もっと人生面白おかしく思い通りにやってそうな気がしたから。それこそ飲んでる酒は、哉が持ってたって言うような高いヤツ、キレイな女の子侍らせてやってる感じ。実際高校から大学の頃はそうだったから。
「所帯っつったら礼良だよ。もう、マジびっくり。あいつこそ死ぬまで独身だろうと思ってたのに、まさか」
 生徒に手を出すとは。
「あー。ソレソレ。うん。女子高生囲ってんのなんざ哉だけだと思ってたのに、聞いたらヤツもだろ? さすがの俺も笑ったわ」
 は?
「か……かこう? かっ!! って、え?」
 加工、下降、河口。
 じゃなくてっ!
「囲う………?」
「そうそう。囲う。しかもヤツのほうが哉より期間ながいんでやんの。高二になる直前から一緒に暮らしてたっつーんだから、かれこれ二年」
「あー……あの直後……」
 聞けば時間ぴったりじゃん。例のあそこのあの件。くっそぅ。やられた。あれからも何度か逢ってたのに、一言も言わないんだもんな。
「お? なんか知ってんの? 真吾」
「……忘れた」
「てめー都合イイ脳みそ持ってんだな?」
「そりゃな、記憶無くすのと命無くなるのとなら、記憶無くすほうとるって」
 それにまぁ、あんまり人にべらべら喋っていいことでもないし。本人たちだって、なぁ。
 その代わり、哉のことは聞かないから。速人が喋らないようなことってのは、わりと、よっぽどでしょ。
「……ふーん」
「……哉?」
 速人がつまらなさそうに相槌を打つのと、哉が立ち上がるのとが重なる。ズボンのポケットから携帯。
 そのまま短く応答してスタスタと店外へ。
「仕事か?」
「だろう。あれでかなり忙しいらしいから。土曜も毎週午前中は仕事に出てるらしいし」
「そうなのか? 俺はてっきり、副社長とかなら仕事なんかないんだろうと思ってたのに。
 大体さ、言えっての。こっち帰ってくるなら。そう言えばどうしてるのかなって思ってた元クラスメイトが、本屋に平積みされてたビジネス誌の表紙にでかでか載ってたら、びびるって」
 売られてたのは去年の二月ごろか。連絡とろうにもこっちの連絡先なんか知らないし、礼良に聞いて電話かけたら、しれっと、十月からこっちにいるとかいいやがるの。怒る気にもならないよ。
「アイツそんなもんに載ってたのか?」
「知らなかったのか? 持ってるよ俺。中にインタビューとかも載っててさ。ホントかウソか、脚色されてんのか知らないけど、一問に一人で二ページ分近く語ってるの」
 読む用と保存用の、計二冊。こう言う買い方を抵抗なくできてしまう自分ってなんだろうと思うけど。
 現在の日本経済とか、会社のこととか、かかわってる業界のこととか。写真や資料もあったけどインタビューだけで十ページくらい。前後のヒカワの特集とあわせたらトップのカラーページから三十ページ近くがすべて、氷川一色。
「あー……仕事してる時は喋ってるぞ。びっくりするくらい。俺たちといる時はサボってるけど。一回職場にかけてみ? プライベートで喋るのとは全然違う速さで喋るし意思の疎通が伺える答えが返ってくるぞ」
「……へー……想像つかん。仕事そんなに好きなのか?」
 あの哉が?
「好きでもないし、嫌いでもない」
 うわぁ。
 いつの間にか、哉が背後に。気配がないのと、騒がしいのと。
「お前、いつからいた?」
「今」
「仕事は?」
「片付けた」
 するりと音もなく自分の席に戻って、氷が全部溶けてしまったウーロン茶を飲み干しながら、哉がそっけなく答える。
「そっちの話は?」
「終わりかけてた。お前の公私二重人格っぷり」
 速人にそう言われて、哉が少し眉間に皺を寄せる。
「それとジュリチャンのこと」
「………………」
「ウソ」
 すげー目で哉に睨まれて、速人が笑った。
「……どうした? 真吾」
 いや。別に、なんでもな……くはない。
「哉が、喜怒哀楽が……顔の筋肉が……」
 それだけやっと言えた俺に、速人が壊れたおもちゃのようにまたおかしそうに笑い出す。
 本人は気付いてないから、と言う速人の言葉どおり、哉自身はどうして俺が日本語を喪失するくらいの衝撃を受けたのか、速人が壊れたのか、無表情の中のわずかな変化の中に、わけがわからないって表情で飲み物のお代わりのオーダー。
「おもしれーだろ? 彼女限定だ」
 おもしろい。確かに。
「あ」
 また哉の携帯電話が鳴り出して、哉が席を立つ。ホントに忙しいんだなとその後姿を見送ってたんだけど、飲み屋の出入り口まで行って、落としかけた携帯をなんとか持ち直したあと、くるりとUターンして帰ってきた。耳に電話を寄せるのではなくて、画面を見てたのでメールかと思ったら、テレビ電話だ。画面でかい。色もキレイ。さすがにいい電話もってるなぁ。で、映ってるのはあの子。噂の樹理ちゃん。速人の顔をみて、カンザキセンセイモキイテクダサイって。先生って柄じゃないだろ、こいつは。
「ナニ?」
『あのっ なんだか氷川さん、信じてくれてないんですけどっ』
 向こうもおそらく、机の上に電話を置いているのだろう、その机を誰かが叩いたのか、携帯の画像がぐるんと天井を向いて振動でガタガタ揺れている。なんだか酔いそうな映像。そのあと奇妙な笑い声が聞こえて、画面が持ち直る。
「その前に場所移動。横で出来上がってるのからなるべく離れろ」
『あ、ハイ』
『あらぁ? そう言うこと言う?』
 携帯を持ち上げたらしい樹理ちゃんの後ろからべったりと張り付くようにして画面に現れたのは。
 北條先生。
 じゃなかった。この人こそ先生じゃない。それに今は哉の兄貴と結婚して苗字が変わって、アレ? でも離婚したんだっけ。よくわからねーや。えーっと、ミサエサン。
『せっかくおもしろいこと教えてあげようと思ったのにー』
 本当に出来上がっているのかよっぽどおもしろいことがあったのか、ケタケタ奇声を上げながら笑っている。全っ然、変わってないな。この人。
「で、なんなんですか?」
 そう、この人が俺の知る限り最強。この速人が、敬語を使う数少ない人物のうちの一人。
『あ、あのですねっ』
 樹理ちゃんからドーゾと言われて、彼女がずいっと画面に近づく。すごいなーアップに耐えられるよ。この子の顔。
『井名里さんが野球部の顧問をするって、そんなにすごいことなんですか? 学校の先生って、部活の顧問とかするのはあたりまえなんじゃないですか? さっき言ったら、氷川さんも何も言わずに電話落としそうになるし………………あの、聞いてます?』
 画面の右上に、こちらからあちらに配信されている映像が小さく写っている。こっちのは小さすぎて表情が分らないけれど、多分、あちらがわには、三人分の間抜け顔が、しっかり映し出されているのだろう。わかっていても、身動きが取れない。ああ、こう言うのを金縛りって言うんだ。
 最初にその呪縛を抜けたのは速人で、これはもう追い出される前に帰らなくてはならないだろうくらい大きな声で笑いながら壊れた。その声で、やっと俺も止めていた息がつけた。
「冗談だろ? 哉の誕生日はもうだいぶ前に終わってるぞ」
『冗談じゃないですー さっき夏清ちゃんに電話したら、どうしてか、お友達が出たんですけど、確認したらそうだって。間違いないから言いふらしてやるんだって言われたんです。あ、最初の情報は実冴さんのところにその子から電話が来たんですけどっウソじゃないみたいなんです』
 なんだか必死だ。
「樹理」
『ハイ』
「こっちから本人に確認するから」
『ハイ』
「とにかく、後ろの人にはその携帯電話を渡すな」
『どうしてですか?』
『もう哉くんの新しい電話番号なら変えた直後から知ってるわよ』
 今更遅いわーって、うしろから、高笑いが聞こえる。気の毒にな、哉。
「多分間違いないだろう、確認した返事は迎えに行ったときするから……」
『ダメよーん。樹理ちゃんは今日ウチにお泊りだもーん』
『え? え? ええっ!?』
「………今すぐ行く」
 ぶち、と携帯の通話を切って哉が立ち上がる。待て待て待て待てっ!
「何だ。もう帰るのか」
「待て!! 勘定、大至急!!」
 どうせ速人が飲んだビールに正の字が大量についていただけで、哉が出した万札一枚でおつりがきてしまった。こんなに安く上がったの初めて。ドサクサで俺までおごってもらっちゃった。
 パーキングまで哉だけ行かせるのもナンだから、男三人でゾロゾロ夜道を歩く。歩きながら速人が、俺の携帯を使って礼良に電話をかけようと試みているけど、何度やっても電波は届いているのに、電話にでない。
「マジか? ホンキか? ウソだろう」
「……確か礼良って、スポーツの中で一番嫌いなんじゃなかったっけ? 野球」
「アイツはスポーツは全部キライだろうが。ルール守るのが面倒だって」
「いや、だから、中でも。だよ。俺覚えてるもん、高校のときのアレ」
「俺も覚えてる。忘れるわけないだろうが。アレで鬼の執行部長の人間離れした恐ろしさが全校に知れ渡ったようなもんだろう。あの年のは……あたりが悪かったって諦めたらよかったのに……でもそのあとのアレはやつらの責任だからな」
「ああ、夜道の連続襲撃事件……」
 月夜も闇夜もお構いなしだったもんな。礼良のほうもわざわざ襲われるために夜中に外出してたし。楽しそうに。
「帰ってきた礼良に首尾聞いたら、準備運動にもならないとか言ってるくせに、時々返り血ついてたもんな……でも」
「あーコイツ?」
 おそらく、哉にしては急いでるんだろうけど、俺たちにしたら普通ペースで前を歩いていた哉の後頭部を速人が携帯電話でつつく。
 何度目か忘れたけど、やっと礼良には敵わないって気付いたらしい相手が、矛先を変えてきた。夜遊び王だった速人は何度か、とばっちりを受けて礼良に抗議をしていた。俺は怖いから夜はナニがあっても寮からでなかったから幸い被害はなかったんだ。哉も夜に出歩くようなやつじゃないから、被害はなかった。あの日まで。
「ひでぇよな。俺が襲われても『ふーん』で済ますくせに、哉だとアレだぜ?」
 夕方。まだ明るいうちに、しかも哉に、敵は攻撃を仕掛けてきた。礼良と哉は離れてることのほうが珍しいくらいワンセットだったけど、礼良はそのとき一人で襲われるために哉は先に帰して一人遅くなってから帰っていたから。その哉も、大抵他の人間にフラフラくっついてるのに、その日はたまたま一人だったんだと思う。
 俺と違って、哉はちゃんと護身術とか習ってたらしいから、ひどい怪我はしてなかったんだけど、数人がかりだったこともあって制服ボロボロにして帰ってきたのを見て、さすがにこれはヤバイだろうと思って俺が執行部室に電話した。慌てて帰ってきた礼良が静かにキレたんだよな。
「でも……普通はしないよな?」
 闇討ちの待ち伏せ。
 哉は顔を見なかったから相手はわからなかった、って言ってたのに、礼良は多分顔なんか見なくても見当どころか確実に何年何組どの部活の誰、まで分ってたらしい。その晩と翌日の晩、二日がかりで全員にきっちり、お礼をしに歩いて、翌日から二週間くらい、闇討ちに参加していたらしい運動部の部活は開店休業状態だったから、どの部活が同調していたかは一目瞭然だった。
「アレは普通じゃねーって。やるほうもやられるほうも。部費ゼロにされたくらいでバットはないだろ? しかも金属。野球部と一緒になって他のクラブまで混じって……」
「でもさ、野球部の主将も気の毒だったし」
「野球部は自業自得。アレはあっちが勝負振ってきて玉砕したんだろうが。正面からやってダメだからってやることのセコさ。さすが運動部。あれ? 哉は? あ」
 喋っていたら哉が車を止めていたパーキングを通り過ぎていたらしい。速人が慌てて走っていく。速人のことなんか忘れて帰りかねないもんなぁ、哉。
「あ、おいっ 携帯」
「おう、悪い」
 投げるなっ。もう古いタイプだからいつ替えてもいいと思っていても、中のメモリはなくしたら連絡取れないやつがいっぱいなんだぞ。
「お前、駅? 乗っていく?」
「いや。いいや。歩いても知れてるから」
 顔をこちらに向けた速人がじゃあな、って付け加えてパーキングから出てきた哉の車に乗り込む。メタリックグリーンのセダン。見るからに高級車。さすがに、いい車乗ってるなぁ……
 左にウインカーを出して過ぎていく車にあげた手を下ろして、携帯をいれるのにポケットに突っ込んでから、おつりをそのままにしていたことに気付く。ま、いいか。次に逢う時の足しにしたら。
 一人になって、歩きながらさっきの話の発端の出来事を思い出す。
 高校二年の、ちょうど今ごろの話。二年に進級するのと同時に執行部長は代替わりをする。代替わり後の最初の仕事は、各クラブからの要望書をもとに、予算を立てた上で運営費を振り分けることだ。もちろん執行部費はクラブ運営費だけに回されるわけではなく、校内で行われる各種イベントにも使われる。ぼんぼん学校だったから、多分その予算は普通の学校の生徒会予算とかより、かなり額は多かったはずだ。それを。
 礼良は、いきなり各クラブ、みんな去年の予算の半額しか下ろさないことを決定してしまった。
 決定だ。決定。打診も相談も一切なし。いきなり決定。要望書すら取りまとめないで。
 浮いた金をすべて、校内で行われる各種イベントの充実に使うと言うことで、びっくりの予算カット。当然各部からは非難ごうごう。ゴールデンウィークが明けてからも毎日毎日抗議がやってきて、いい加減鬱陶しさにも慣れてきたころ、果し状を叩きつけてきたのが野球部の主将。
 確かに、その年、野球部はなんと春の選抜でベスト四まで進んだくらい、強かった。部員数も新入部員が大量に入って、おそらく校内一の大所帯だったはずだ。
 前年度功績のあったクラブっていうのは、主将もアクが強くて馬力がある場合が多いから、ゴリ押しでは予算から大抵多く付く。執行部長は二年生で、各部活の主将はまだ三年生がやってることも影響してる。けれど執行部長と犬猿の仲だったりすると話は変わってきて、個人的な理由で予算がつかなかったりカットされたりって言うのは何年かに一度は起こる事件だ。で、そのときの力関係で、その後の方向が決まってくる。
 何の確執もなかった場合なら、決算額までは行かなくてもその半額はつくもんなんだけど、野球部は前年の決算額からみれば八分の一かって、額しかつかないことになってしまった。部費は減る。部員が増える。確かにひどい話だけど、野球部の前年度の決算額はイチ部活と考えたら結構高額だったし、前年予算の半額でも他の部活から比べたらダントツ多かったんだけど、野球部の主将は納得いかなかったらしい。
『スポーツがどんなものか知りもせずにこんな暴挙にでやがって。お前の得意なスポーツでいいから正々堂々と勝負しろ』
 って。
 さっき速人が言ったとおり。
 決闘って呼ばれてたけど、文字通り闘って決めるのだ。各部活の主将はいつでも執行部長にそれを申し込むことができて、執行部長は断ることができない。全ての権限が委ねられて好きなことができる執行部長がその職務に就任後断れないのはこれだけだ。
 場所は放課後の食堂だったんだけど、聞いた瞬間、周りにいたヤツらは野球部の主将、殺されるかもって思ったよ。俺も含めて。礼良の得意な運動……体を動かすことっつったら格闘技しかないもん。しかもルール無用。主将サン、高校からの追加組で、井名里礼良の恐ろしさを本当の意味で理解してなかったんだと思うけど、確かにその場は固まった。
 勝負の形にはいろいろあって、一対一でやる勝負もあれば、団体競技もある。
 そもそも執行部員の最高定数が十二人なのは、サッカーが十一人でやるスポーツで、高校にあるクラブの試合までならメンツで対応できるように、なおかつ十一ではなんとなくハンパだから、という理由から。ウチの高校にはそれ以上の人数で試合をやる部活はなかった。
 もちろん執行部側は他から、ドコからでも人間を調達することが許されていたから、極端な話、決闘を申し込んできたクラブの部員が主将のやることや人格に不満があった場合執行部側について、勝負に勝ってしまうなんてケースもあったらしい。
 熱く燃えてる、っていうより、頭に血が上ってるだけの野球部の主将には大したダメージじゃなかったんだろうけど、礼良が言った言葉に、周囲にいた俺たちの体感温度は摂氏零度から絶対零度まで急降下。
『じゃ、野球やりましょうか』
 にっこり笑って。
 そのセリフに一人だけ沸騰してた野球部の主将がルールも知らないのかって怒鳴り散らすし、他のメンツも巻き込まれたらたまらないから逃げたいけど逃げられないし、どうしよう。な、状況。
 野球なら最低九人いるのに、執行部員は三人。しかもそのうち一人はボールが来てもよけないような気がする人物、哉だ。反射神経は鈍くないから実際そんなことはないんだけど、イメージとして役に立たなさが目立つ。俺だって、体育でやれば人並みだけど、スポーツは好きじゃないから甲子園まで行ってしまったような連中と勝負になるわけがない。そうなってくると、当然矛先がほかに向かう。多分、礼良に指名されて断れるような人間は、そういなかったはずだ。問答無用で巻き込まれる可能性が高い。
 みんながそう思っている、水を打ったような沈黙の後。
 怒鳴られた当人は全く気にしてなくて、知ってますよと言ったあとえんえん二十分くらいかけて野球のルールと歴史と、なぜ野球が九回で終わるようになったのか。なぜ野球は九人でやるのか。ストライク、バッターチェンジ、アウトカウントが『3』なのに対してボールカウントが『4』なのは、どうしてなのか。外野からバックフェンスまでの距離が球場ごとにバラバラなのはどうしてなのか。baseballを『野球』と訳した人物の話。どうでもいいような野球に関する雑学を語ったのち。
『別に公式試合じゃないんだから、人が決めた数に拘らなくても、手っ取り早く一対一で、ストライクを同じ数投げて、打った数で勝敗をつけたらいい。今からやってもいいですよ』
 しれっと。にっこり。この笑顔、もちろん目は笑っていない。そういう時が一番最高に怒ってる時なんだけど。野球部の部長が気付くわけもなく。
『俺が負けたら去年の決算と同じ額を差し上げますよ。何に使おうがどうしようが口も出しません。その代わり、そっちが負けたら野球部への支出はゼロにさせてもらいますから』
 去年予算の半額と言っても、もう一回言うけど野球部の予算は他より多かった。半額にすることを決めてからも、礼良が野球部だけどうにか減らしてやろうとブツブツ言いながら考えていたことを俺と哉は知っていた。なんて言うのか、口には出さなくても甲子園がナンボのもんじゃ、って態度で。
 十分後にグラウンドで勝負。と言うことが決定して、負ける気なんかさらさらなかったのだろう野球部の主将が、二つ返事で了解したあと、首を洗ってなんとやらって定番の捨てゼリフを残して元気に去っていった。
 野球部主将がいなくなっておそるおそる、礼良に野球やったことあるのか聞いたら。
『少年野球のチームになら小学生のとき頼まれて入ってたけどな。忙しいからって一回も練習行かなかったから。
 ダレがまじめにやるか。あんなどろくさいアソビ。野球なんか真面目にやるやつらの気が知れん』
 なんかなー……口から邪気が出てるような笑顔でそう言って、ぐるぐる腕を回しながら歩いていく礼良の後ろ、くっついて決闘場までお供して。
 学ランは脱いだけど、ジャージに着替えるわけでもなく、しかも靴は革靴のままで……
 先攻後攻というか投打どちらを選ぶかのじゃんけん、あろうことか哉にさせて、案の定負けて(だって哉、最初に出したの出しつづけるから。面倒がって。最初の一撃で勝てなかったら絶対負けるんだ)向こうは打つ気満々でバッターボックス。
 練習投球はって聞かれて、しとけばいいのにいらないとか言うからもう、ぶっつけ本番。そのころには校内中に野球部主将vs執行部長、決闘をするって情報が駆け巡っていたらしくて、それはもう、野次馬の山。中等部の生徒まで来て、普通に練習試合をするよりもギャラリーは多かった。
 で。
 言うまでもなく、その後闇討ちされてるくらいだから礼良が勝っちゃったんだけど。
 勝ち方が怖かった……野球部の主将、甲子園で四割近く打ってたって一緒に見てた野次馬が言ってたから、いくら礼良でもダメだろうと思ってたのに。結局一度もバットを振らせずに三振。野球なんかそれこそ授業でやる以外したことない素人の俺でもわかるくらい、礼良の投げたボールは速かった。
 ただ速いボールなら、多分打たれてたんだろうけど。一球目はド真ん中だったし。
 同じボールが次も行っていたら、速くても打たれてたんだろうけどっ。
 二球目、思いっきり、暴投。
 本人は手が滑ったって言ってたけど、あれは、絶対狙ってた。笑顔で謝ってたし。一球目よりすごい速度のボールが、野球部の主将の頭があった位置を抜けてフェンスに激突。張替えが行われてなかったら、今もそこはへこんでると思う。
 三球目がわりと緩めだけどきれいに内角の下。四球目も少し速度を上げた同じ位置。野球をやってるやつが言うに、投げるのも打つのも難しい位置らしいんだが、野球部の主将はそこに来なくてもバットは振れなかったと思う。なんて言うか『俺の投げたボール打ったら殺す』くらいのオーラがこもってた。うん。実際アレが当たってたら、あの人死んでたかもしれない。
 そして、半ば放心してる野球部主将にかわって俺たちと同じ学年の、一応、甲子園でも通用したエースが投げたボール、第一球を思い切り振りぬいて、場外まで打ち返してゲーム終了。快音って言うのなんだろうなってくらいキレイな音を響かせて、その余韻が消えたころ、金属バットを地面に立ててグリップの底に左手をついて。
『じゃあ、約束どおり、野球部には予算決算ともにゼロ円ってことで』
 今度こそ腰が抜けたらしい野球部の主将に、トドメの笑顔で言い放って、悠々と帰ってきた。
 野球やったことあるだろ、って言った俺に、練習は行かなかったけど試合には何度か出て、投げたりしてたって。いけしゃあしゃあと。でもおもしろくなかったのは本当らしくて、五年の半ばくらいに辞めたんだそうだ。
『忙しいから練習にも出ていないのに、時間があうときだけ試合に出させていただくのは他の人にも悪いですから』
 とか、心にもないこと言い放って。
 本心は『練習してもどうしようもないお前らとはこれ以上一緒にやりたくない』ってことだったんだろう。
 中学一年のときの礼良は、表向きだったんだろうけど、ひとかけらも嫌な顔をせずに休み時間とか、クラスメイトたちとバスケやサッカーなんかの相手をして、ちゃんと遊んでやっていた。礼良を自分のチームに入れたら凄くゲームがやりやすくて、いつの間にか勝っているって言うのは、そういうことをしなかった俺も知ってるくらい有名だったし、いろんなクラブから勧誘も来ていたけど、角が立たない言葉をさがして全部断っていた。
 後になって思えば、ただ単にルールがあるスポーツというより、他人と折り合いをつけないといけない団体競技は総じてキライだったんだと思う。あのころの礼良は本当に怖いくらい気ぃ遣いだった。人より細かいところまで気がついてしまうから。そしてそういうところをさり気にフォローできるもんだから、余計。
 何でもできるから、逆に何かに絞ることが出来なくて、本人に頂点を目指すつもりがないから、回りの期待が煩わしくなる。何も出来ない人間からすれば、それはとてつもなく贅沢な悩みなんだろうけど、お前は出来るんだからとやりたくもないことを強要されるのは、俺だっていやだから。
 礼良くらいの運動能力レベルの人間は、この国のトップクラスへ行けばけっこういるんだと思う。そして強いことが当たり前の世界でなら、何かひとつを選ぶことができたのなら、礼良はもっと楽に生きることが出来たはずだと思う。あの学校は関東じゃトップ三に入るくらいの進学校だったけど、それでも礼良の器としては小さかったって事なんだろう。
 誰もみんな、あるものは使わなきゃもったいないって言うけれど、それはやっぱり、礼良の能力を自分たちの都合のいいように使いたいって言うことだったんだ。
 人より秀でた力は、劣る人を補うためにあるわけじゃない。中学二年の時キレるまでの礼良をちゃんと思い出すと、なんでもほいほいやってくれていたわけじゃなくて、できることは断らなかったし、滅多になかったけど、できないことはちゃんと断っていた。そして自分が加わることによって不公平になるようなことは極力避けていた。
 どうしてそこまで気を遣って、ってくらい、なにをしても誰にもばれないように、不自然にならない感じで手を抜いていたことに気がついたのは、後になってからだけど。
 あのころ、ほとんど毎晩、夜中に突然、夢から逃げるように跳ね起きていたことも知っていた。最初のころこそ声をかけていたけど、いちいち謝られるのがイヤで気がついても寝たフリをすることにした。そして、起きたらおそらく朝までちゃんと寝てなかっただろう事も。俺はすぐ寝ちゃってたんだけど。それも、二年のあの成績表オールイチ事件以後は、そんなことも減っていっていた。卒業する頃には、朝俺が起こすまで寝ていられるようになっていた。
 
 物腰も当り障りも柔らかかったけれど、断る態度は頑なな感じで、だから、思わず聞いたんだ。
 もしかして、全力でなにかをするのが怖いのか? って。
 あとにも先にもあの質問の時だけだったっけ。礼良が虚を衝かれたような顔したの。そのあと逆にどうしてそう思ったかって聞き返されて、自分でも深く考えて口にした質問じゃなかったから、理由を上手く答えられなかった。体(てい)よくはぐらかされたんだけど、今聞いたらどんな答えが返ってくるだろう。
 
 駅の改札でカードをかざして構内に入った直後に、電話が鳴り出す。昔は電話が鳴ったら誰もが自分の携帯電話を確認、なんて笑えるシチュエーションだったけど、今はいろんな音源だからさすがに誰も俺の着メロには反応しない。
「もしもし?」
『電話、バカみたいにかけてんじゃねぇ。出られないって悟れって速人に言っとけ』
「言っても直らないって。それにもう分かれたし」
『もう終わったのか?』
 あっという間だなと言いたげに礼良がつぶやく。誰かさんのおかげでね。
「お前も今いいの?」
『今さっき車止めて歩いてる最中。で、なんだ?』
「ああ。礼良お前、野球部の顧問だって?」
『なんでお前が知ってんだよ』
「多分ミサエサン経由。心当たりないの?」
『ある。けどこんな早く知れるとは思わなかったな』
「やっぱりホントなのか。でもどうして。礼良、野球キライじゃなかったのか?」
『まさか。野球自体に何の恨みもつらみもないけど、やってる奴がキライだったんだよ」
「あ、っそう」
 …………じゃあアレは私怨だったのか?
「生徒も気の毒に……」
『バカか、気の毒なのは俺のほうだよ。余計な仕事が増えたんだからな』
「でも受けたんだろ?」
『まぁな』
「俺が甲子園に連れて行ってやるぞって?」
『なんだそりゃ。連れて行ってもらうんじゃなくて自力で行くんだよ。あいつらが勝手に』
「ひっでぇ」
 でもらしいか。そっちのほうが。
「急いでるとこに悪かったな、それが確認したかっただけなんだ」
『ふーん。ま、昔のこと知ってたら確認したくなるのも分ってやるよ』
 なんだその態度……
「今思い出してたけど、やりたい放題だったもんな、あのころ」
 結局礼良は本当に野球部の予算を全てカットしてしまって、さらに成績が悪ければ補正予算を組む時にまたカットするって言い放って、最初に言ってた運動部執行部長闇討ち事件へと発展させた。完膚なきまでに返り討ちにされて、それからは誰も表からも裏からも、文句を言える根性の座った人間はいなかった。今でもウチの高校が、野球部が死ぬほど弱いのは、絶対あの時叩きのめされたせいだ。逆に野球部とサッカー部は部ぐるみでいがみ合っていたせいもあってか、サッカー部は闇討ち事件に関与してなかった。
 そのせいかどうかは知らないけど、サッカー部はその年度にソコソコの成績を残して、最終的な決算額としてソコソコの支給額をゲットし、現在も時々国立に顔を出したりしているし、在学中からどこかのプロチームに入ったりするヤツもいたりする、ソコソコいけてるチームを編成している。
『……そうか?』
 そして浮いた執行部費は本当にイベントごとに当てられて、体育祭の優勝チームには全員に各種金券配ってたし。ちなみに優勝したのはウチのクラスが属するチーム。
 ほかにも校内での、なんていうか学習発表みたいなことをするのが毎学期あって、そういうので上位入賞した人間にも順位ごとに金額の上限が決めたけれど、原則本人がほしい物を賞品にするってやったし。これはさすがに、自分たちはでなかったけど。
「まさかアレでセーブしてたとか言うなよ。文化祭の校内発表日にやった宝捜しで見つからなかったチケット関係、金券ショップに持ち込んで現金化したりとか、バレたらさすがにやばいコトしてただろうが」
 小額のチケットや、ウケ狙いのお米券、駅前商店街の商品券、新横浜博多間の新幹線片道チケット、市内バス回数券なんかは小口で現品を分りやすいところに隠したからほとんどでたけど、目録しか置いてなかったこともあって、目玉賞品だった旅行券と、図書券、CDチケット、学食の食券。食券以外の三つ、見つからないままタイムアウトで執行部が没収。
 でもな。給水塔に登って見下ろしたら屋上のコンクリートが少し削ってあって濃淡の差で文字が見えるようなのだったり、生物部が飼ってるカエルのハラに直接マジックで書いてあったり、理事長のもってる扇子に書いてあったりなんていう目録があるなんて誰が思うんだよ。
 ちなみに、屋上に上ってグラウンドを見下ろしたら、そこに設営されたテントの屋根に黄色いペンキで「ハズレ」って書かれたものが見えたはずだ。
 もちろん最初から見つからなかったら執行部長である俺のもの、がんばって探せよってことだったんだけど、実はあの時、総額で百五十万以上の金券没収したから。ほんの少し図書室の蔵書の補強に使ったけど、ほとんどは執行部活動費とあわせて全部闇に葬った。その年の年末、試験休み、執行部以外のメンツも一緒に一週間近くその金で日本国内豪遊したから俺も共犯なんだけど。
『権限内だ。若気の至りってことで笑って許される』
 いや……多分、おそらく絶対、確実に犯罪だったと思う。
「でも今回のは、本気でどういう風の吹き回し?」
『心配しなくても天変地異は起こらねーよ』
「はぐらかすな」
 正直に答えるなんて思ってないけどさ。
 速攻でそう言いかえすと、電話の向こうでおかしそうに笑っている。
『人間、時々限界確かめてみたくなるだろう?』
「教師になるときもそれ言ってなかったか?」
 生徒……気の毒に……
 それに礼良の限界ってドコよ?
「楽しんでるならいいんだけどさ。お前が進んで人中(ひとなか)に入っていくなんて思わなかったから」
『別に進んでやってるわけじゃねーよ』
「でも、イヤなら頼まれてもやらないだろ? 面倒なことを楽しもうって気になったなんて、大した変化。よかったな、何か一つ大事なもんが出来て。」
『……………真吾、お前ほんとにイヤな奴だな』
「誉めても何も出ないから。あ、電車来た」
『こっちも着いた』
「あ、そうだ。お前何だったんだよ、急に帰ったりして」
『ん? ああ、朝は調子がよかったからって無理して行きたくもないところに行って、案の定、気分悪くなったらしいから迎え』
 主語を意図的に取ってるだろう。あの子ね。カスミチャン。
「大丈夫?」
『いや、これから店に入るからわからん。じゃあな』
「おう。また」
 電話を切ると同時に、目の前に着いた電車のドアが開く。
 席が空いてないわけじゃないけどそのまま立って、外を見る。
「ホントに、大した変わりよう」
 哉が来るって言ったら、先に入ってた用だって断って来るやつが、Uターンだって。
 何でも出来るから、何にもしなかったやつが、野球部の顧問だって。
 でもずっと、なにか誰にも譲れない『たった一つ』を選ぶことが出来たなら、きっとお前は楽になれるって思ってた。
 ネオンが途切れた窓に、一瞬映った自分の顔が、バカみたいに笑っていた。

                                        2002.10.15=up.





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