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 夏清ちゃんたちの住んでるマンションはお店から歩いて、ほんとに三分くらい。まだ新しくてきれいなところ。どうぞって案内されたのは最上階の東の端で、多分このマンションで一番いい部屋なんじゃないかな。
「樹理ちゃん寝るの和室でおふとんだけどいい?」
「うん」
「一緒に寝ていい? ふとん並べて」
「うん」
「お風呂一緒に入ろ?」
「うん。え?」
 え? あれ? なんだか勢いで頷いたけど。え?
「んじゃ寝るのこの部屋だから。お風呂入れてくるねー」
 問い返すタイミングを逃してしまうくらい自然に夏清ちゃんがリビングから消えてしまう。
 あの、お風呂って。
「どうした?」
 次にとるべき行動が見つからなくて呆然と立ったままの私に、うしろから声がかかる。追いかけっこみたいにしながら帰ってきた私たちのほうが当然家に着いたのは早くて、いま入ってきたばっかりの井名里さんが手に持った私のバッグを和室の入口に置いてくれる。
「あ、あの、すいません。ありがとうございました」
「どういたしまして」
 駅からそのままお店に行ったから当然私の荷物はそのまま持って行ってて。お店を出るとき持ってもらって、そのまま。
「やたら軽かったな」
「そうですか? 旅行の荷物はなるべく少なめにしてるからかな」
 あるものは貸してあげるって言われたからバッグの中身は着替えとパジャマくらい。
「連休中いるんだろ? 夏清が三泊するとか言ってみろ、ものすごいぞ」
 このくらい、って両手で荷物の大きさのジェスチャー。
「そんなでかいカバンもってないわよ。このくらいだもん」
 リビングに帰ってきた夏清ちゃんが、大げさに広げられた井名里さんの両手を掴んで縮めようとするんだけれど、井名里さん全然表情変えないまま幅をキープ。夏清ちゃんだって力の限りみたいなのに。一見静止したような力の攻防。夏清ちゃんが唸りだす。
「ほれ」
「うっぎゃ!!」
 いきなり腕の力を抜いた井名里さんに対応しきれず夏清ちゃんが変な声をあげてつっこむ。
 目にもとまらぬ速さで夏清ちゃんが井名里さんから離れて私を盾にするみたいに後ろに回りこむ。
「ぎゃーもう。なんでそんなことばっかりするの!?」
「おもしろいから」
「いやーもう、むかつくー」
 私の後ろで歯軋りしそうな夏清ちゃんにそう答えて、井名里さんがものすごく慣れた手つきでお茶を淹れてるの。この二人、すごくテンポが速くてあっという間においていかれちゃう。
「ドーゾ。夏清も飲むだろ?」
「うん。樹理ちゃんココ座って。先生ってねぇこう見えてなぜかお茶淹れるの上手いんだよ」
「『こう見えてなぜか』は余計だろうが」
 さっきまで怒ってたのに、ころんと感情がひっくり返ったみたいに笑って夏清ちゃんがダイニングテーブルまで私を引っ張っていく。
「だって謎だもん」
 勧められた席に座って、出されたお茶を飲む。それだけなんだけど夏清ちゃんがそう言いながらにっこり。こっちみてるの。自分の湯飲みに手も触れずに私の感想待ってるっぽい。
 うん。びっくり。おいしいの。お茶の葉もきっとそれなりのものだとは思うんだけど。
 コーヒーとか紅茶とかは、淹れ方凝ってる人って大勢いると思うのね。その二つって本当に淹れ方だけで味が素人でもはっきりわかるくらい違うもの。
 それに対して日本茶ってわりと日常にあって、淹れたらいいや、ってくらいでしか淹れないし、飲むほうもそんなに考えて飲まない。
「うん。おいしい」
「でしょ?」
 でも、知らないだけで日本茶の淹れ方はちゃんとあって、ちゃんと淹れたらやっぱりおいしい。
「温度と、時間。かな……感覚?」
 つぶやいた私に、井名里さんが笑う。
「え? 樹理ちゃん秘訣わかったの?」
「秘訣、って言うか。うーん」
 もっと言ったらセンスの問題? ってことは、聞いてもわかんないな。他の人には絶対同じには淹れられない気がする。
「誰かのために淹れたお茶って、絶対お茶以外のものも、入ってると思うよ」
「そうかな」
 くすぐったそうに笑って、夏清ちゃんが自分のお茶を飲んでる。
 他愛のない話題と相槌とツッコミ。言葉が途切れる間がないくらいぽんぽん交わされる会話。とてもじゃないけどついていけなくて、ただ聞いてるだけ。だけ……だけど、ただ聞いてるだけで充分おもしろい。この二人の会話。
「ところでな」
「ナニ?」
 途切れたタイミングに、井名里さんがなんだか改まった口調。
「風呂は? 止めなくていいのか?」
 夏清ちゃんが叫んで、慌てて席を立つ。
「もう先生、結構前から気付いてたでしょう!? なんで言ってくれないのよぅ!!」
 答えを聞く前に、夏清ちゃんの姿はリビングから消えてしまう。ちょっと遠くから、やっぱりまた、篭ったような悲鳴が聞こえてくる。それを井名里さんが楽しそうに笑って聞いてるの。
「ほんとに、分ってたのに言わなかったんですか?」
「どう思う?」
 質問したのに逆に問い返されちゃった。
 どう答えたものかって考えてると、そんなに真剣にならなくてもって止められちゃった。夏清ちゃんならここですぱんって切り返しちゃうんだろうな。間髪いれずに。
「いつもならな、忘れるなんて滅多にないんだけど」
 はい。
「今日はかなりうかれてるから」
「浮かれてる?」
「家にお泊りの友達呼ぶのははじめてなんだってさ」
 氷川さんから連絡があって、私がここに来るって決まってからの夏清ちゃんの様子、井名里さんが本当に楽しそうに喋ってるの。家中ものすごく気合入れて掃除してたとか、今日、私からの連絡を電話の前で待ってたこととか。明日一緒にどこいこうか、とか。
「まぁいつでもドウゾってこと」
 さらりとそう言ったあと、ダイニングテーブルの下にあるマガジンラックから新聞を取り出して、広げて、井名里さんが視線を落とす。
「……ありがとうございます」
 夏清ちゃんが来て来てーって言ってくれたから来ちゃったんだけど、ここはやっぱり二人がいる場所で、なんかお邪魔かなって。思ってたんだけど。
 あ。
 って。アレ?
 ああ。もしかしなくても私、気を遣ってもらってるんだ。
「樹理ちゃーんっ!! 頭洗うのシャワーじゃなくても平気? はってあるお湯も誰も使ってないから変わらないはずなんだけど、イヤならシャワー使ってくれていいんだけどっ……ちょっと温度が高くて、しかも量あって、いま水足したんだけど、もースリキリいっぱいいっぱいってカンジなの」
「うん。構わないよ」
「ごめんね、でも捨てちゃうのもったいなくて。着替え取ってくるからちょっと待ってて」
 うん。それ分る。貧乏くさいと言われてもやっぱりもったいない、って思っちゃうことたくさんあるよね。
 荷物からいるものを出してると後ろで着替えを取って戻ってきた夏清ちゃんと井名里さんの景気よく会話が交わされてるの。
「じゃあ先生、私たち先に入るね」
「ハイドーゾ」
「覗いちゃダメだからね」
「………お前なぁ」



 はー。
「至福ー」
 スポンジあわあわにして、自分の体洗いながら思わずつぶやいたら、先に湯船に浸かっていた樹理ちゃんに不思議そうな顔されちゃった。
 いやもうだって、ひさしぶりなの。邪魔されないでお風呂に入るの。
「ええっ!? お風呂一緒に入るの!?」
 で、一緒に入るって言ったらものすごーっく、驚かれちゃった。
「え? 入らない?」 
「入らないっ!! 別々っばらばら」
「言われない? 入ろうって」
「言われないっ!!」
 そんな真っ赤になって力の限り否定しなくても。
「いいなーウチなんかねぇ、居たら絶対一緒だよ。ドコがどうなって経済的なんだか分らないけど」
 一度に済ませたほうがいいだろって。今日だってねー今日だってねー。樹理ちゃんと入らなかったら絶対、平気でいつもどおりされちゃうと思ったから。さすがに先生もこれじゃ手も足も出ないでしょ。
「先生が帰り遅い日とかは先に入っちゃうんだけど、入ってる最中帰ってきたら絶対乱入してくるし。もう体洗ったって言っても絶っ対、洗いなおすって聞かないし」
 そりゃもう嬉々として。
「たまに一人で入っていいよって言われた日は絶対なんか企んでるし」
 持って来てた着替えの代わりに変な服がおいてあるなんてのはかわいい方で、なんにもなくなってることもしょっちゅう。油断してると途中から入ってきちゃうこともある。
「井名里さんって、そう言う人?」
「そう言う人。そっかーいいなー樹理ちゃんは。平和で。っていうか、氷川さんってやりたくても言わなさそう」
「やっ……やりたい、かな?」
「うーん。カレシ居る子とかの話聞いてるとわりとみんな一回は言われたって言ってたよ。一緒にお風呂入ろうって」
 入ってるかどうかは別にして。その時話してたメンバー全員、カレシの年齢ウチみたいに上に離れてるのから年下まで居たけど、言われたことのある子ばっかりで『結局男って幾つになろうがみんなおんなじこと考えてるのね』って納得してしまったんだけど。
 泡を流してから、考え込んでる樹理ちゃんの隣に入る。
「そんな悩まなくても。ほら、氷川さんってなんだかちょっと普通の人と違うっぽいじゃない?」
 あ、しまった。フォローになってなかった。

                                        2002.5.18=up.





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