6 心


 リビングから点々と脱ぎ散らかした服が、寝室へと続いている。
 開けっぱなしのドアの向こうから光が漏れる。
 キスをしながら服を脱がされていく。最後の一枚に井名里が手をかけようとしたとき、夏清が先生は? と、潤んだ瞳で見上げてきた。
 夏清の小さくて柔らかい指が、井名里のトレーナーの下に入りこんできて、汗ばんだ素肌に吸いつくように触れる。たったそれだけの刺激で、目の前がくらくらと回る。もしかしたらはじめてのときよりずっと興奮しているかも知れない自分を見つけて、井名里は少し驚いた。セックスは嫌いじゃない。好きだが自分はもっと淡白な方だと思っていた。
 返事の代わりにトレーナーとイージーパンツを脱ぎ捨てる。
 たった数時間前に同じような状態で向き合っていたはずなのに、そのときとは全く違う感覚が、三半規管さえくるわせているような錯覚。
 瞳が合った。夏清が笑う。キスをしようとして手を伸ばした井名里より先に、夏清が軽く、井名里の胸を押した。
「うわっ」
 いともあっさりベッドの上に座らされる。キスだけで下半身にキているのは、自分のほうかもしれない。肩に手が触れる。夏清の方から重ね合わされる唇。さすがに、伊達に風俗で働いていたわけではない。積極的に、噛みつくように繰り返されるキスに、どんどん追いつめられていく気がする。
 息をついて、唇が離れる。年齢の分からない微笑をたたえた夏清を見上げて、つくづく女は怖い、と井名里は思う。
 目元や、その瞳にたたえられた光は妖艶なのに、顔の輪郭も唇もまだ幼い。そのアンバランスさが一層いやらしさを醸し出す。
 離れた体を抱き寄せようともう一度腰に手を伸ばすと、するりとすり抜けてしまう。
「?」
 井名里の瞳がどうした? と言いたげに夏清を見る。はぐらかすように笑って、肩に掛けていた両手をじらすようにゆっくり、体に触れながら下へと移動させていく。
「ちょっ! おい!!」
 井名里が上ずった声で止めるより早く、夏清の手が器用にトランクスをずらしてそれを取り出す。
「う、わ……熱……」
 外気と、夏清の指のひやりとした感触に、快感が波のように押し寄せる。
 息を吸って、吐いて。
 口から抜けていく呼気の温度は、吸った温度とは比較にならないほど熱い。
 呼吸に意識を集めてなんとかやり過ごす。
「まった」
 実にさりげなく、とても自然に自分の前にひざをつく夏清を、慌てて制止する。
「え? もしかして、これ、いや?」
 自分のソレを握ったまま、不安そうな顔で夏清が見上げる。
 めっそうもない、と言いかけて、井名里は喉まで出てきたそれを飲み下す。
「……俺は、いいけど、お前は、好きじゃないだろ?」
 そう言って、頭をなでると、夏清はくすぐったそうに目を閉じて、にっこりと微笑んだ。
「んー……先生のなら、いいかな。それに……途中だったし。だめ?」
 井名里に断る理由はない。
「いいよ」
 喉がかすれた。今まで付き合った女の中で、自分からそれをしようと言うのはいなかったように思う。こちらからやって、と言っても従ってくれるのは三回に一回もなかった。特殊な仕事環境にあった夏清が、何か間違えているのだろうとは察しがついたが、井名里は本人が気づくまで放っておくことにした。
 普通にやるのとどちらがいいかと問われたら、どっちとも言い難い気がする。むしろ相手が積極的に動いてくれる分ラクなので、井名里は好きである。個人的に。
 ひどく声が小さくて、けれどちゃんと夏清には届いたらしい。両手が添えられて、先端がゆっくりと口の中に包まれていく。
「ふ、んっ」
 夏清の口の中に、独特の苦味が広がる。井名里に言われたとおり、仕事の中で一番嫌いで、けれど一番回数をこなした行為だ。いつもはこみ上げる吐き気に気づかないフリをしながら続ける行為なのに、今日はなぜか気持ち悪くないから不思議だ。
 裏筋を舐める。舌を伸ばして、先を尖らせて、上下に、何度も。
 時折見上げて、反応を探る。ただもう夢中で。口以外も、指で袋をもむ。付け根の裏の方を親指でなでて、先端を何度も舐める。
 夏清の行為に、髪の中に進入している井名里の指が反応している。ぴちゃぴちゃという音に夏清の鼻から漏れる泣き声のような吐息が混じる。
「くっ……」
 堪えきれない井名里の声が耳朶に届くと同時に、口の中に、唾液に先走りの液が混じるのが分かる。
 もう少しだ。反射的に口の中の圧力を上げて、ピストン運動を早めようとした夏清の頭が強引に離された。
「やっ……」
 夢中で咥えつづけていたものを取り上げられて、夏清が無意識に拒絶の言葉を発する。井名里のそれと、夏清の唇の間に橋ができてすぐに切れる。潤んだ瞳の周りが朱鷺色に染まって、口の回りはおろか鼻の頭まで、二人分の分泌物が塗られて、薄い明かりの中で淫靡に光っている。
「……! ごほっふっかはっ……」
 その顔に一瞬井名里が言葉をなくして見惚れる。続けてごほごほと夏清が咳き込んだ。いきなり動かされて、唾液が気管に入ったのだろう。涙目になりながら、しばらく苦しそうに咽こんでいる。
「悪いっ! 大丈夫か?」
 触れた背中が冷たかった。
 当たり前だ。リビングと違い、この部屋に暖房を入れていない。部屋に入ったときは本当に熱に浮かされた状態だったから、そんなことにすら井名里は気づかなかった。
 冷えた体を抱きしめて背中をさする井名里に、夏清が首を縦とも横とも取れるような動きで振る。
「はー……死ぬかと思った……先生、強引過ぎ」
 かすれた声で、夏清がつぶやく。
 腕で顔を、涙やその他もろもろを拭って、夏清が笑う。
「止められたのはじめて」
 店の客には、絶対顔にかけるか飲むかを強要された。本番ができないのだから仕方のないことなのだが、顔にかけられて目に入ったことも一回や二回で済まないし、口の中で出されたら、しばらく喋るのも億劫になるくらい口の奥がじんじんして気持ち悪い。
 でも、井名里のものならいいと思っていたのだ。
「俺も止めたのはじめてだよ」
「なんで? やっぱし、全然だめ?」
 しゅーんと耳と尻尾がたれた犬を連想させるようなそぶりで夏清が済まなそうな顔をする。
「まさか。すごいよ。まいった。うん、自分でするより早く終わっちまいそうだった」
「じゃ、なんで? なんで、止めたの?」
「さぁ? 俺にもよく分からん」
 笑ってごまかしたが、答えなんて言えるわけがない。
 聞かれても答えるつもりはないが、ほんの二時間ほど前にシャワーを浴びた時、どうせ今夜はできないだろうと一回自分で抜いたのだ。
 それなのに、夏清が口でやり始めて、モノの五分と経っていない。あと一歩遅かったら、目の前に現れた快感のドアが開いてしまった気がする。
 早かろうが遅かろうが、多分夏清は気にもしないだろう。ココで抜いたら三度目になってしまう次が、勃つまで時間がかかるかもしれないとか、そう言うことは別にいいとして……十歳以上年齢の離れた少女にこうまで翻弄されるのは、ちょっと、男として、ソレは……自分で自分が許せない気がする……
「それより、寒かったんじゃないのか?」
「ん? 別に……どっちかって言うと……うん、熱かったかな」
「バカか。こっちじゃなくてお前の体! こんな冷たいのに」
 ベッドの上に座っていた井名里と、フローリングの床の上に座っていた夏清とでは、全く条件が違ってくる。間抜けな状態にされているトランクスを上げて立ちあがり、冷えた腕に手をかけて、抱えて立ちあがらせる。
「ほんとだ。先生あったかいね。私、先生って絶対冷たいと思ってたよ」
 そういいながら夏清が胸にしがみついてくる。井名里の鎖骨の下あたりに、夏清の頬があたる。体は冷たいのに、頬は驚くほど熱かった。
「なんだ? 俺は冷血人間か?」
「そうそう。血も涙もない感じ」
 ふてくされて問い返した井名里に、間髪いれずに夏清が答える。
「ひでぇ 誤解だ」
「そう? 絶対日頃の行いだよ」
 冷たい肩を上から包むようにすっぽりと抱きしめる。
「………今は?」
「んー……教え子に発情して熱くなってる変態教師?」
 まじめに、かなりシリアスに聞いたのに、返ってきたのはものすごい答えだった。
 目を点にして見下ろす井名里に、見上げた夏清はいたずらが成功して喜んだような顔で笑っている。
「ほほう、そういう事を言うのはこの口か?」
 言うなり、大きな手が開かれて、その親指と人差し指が、夏清の唇を両脇からつまむ。
「ひやー やめてー 顔がへんになる」
 うにっと、アヒルのように口が突き出す。とても間抜けな顔になってしまうのをいやがって、夏清が、井名里の背中に回していた手を解いて、腕をはずそうとする。
 体が離れた一瞬を逃さずに、井名里は夏清を抱き上げて、ぽいとベッドに転がす。
 覆い被さって、瞳を見て、何も言わずに唇を重ねる。
 先ほど夏清にされたように、少し乱暴にがつがつとキスをする。時折タイミングがずれて、歯と歯があたる硬質な音が鳴る。
「ふぅん……はぁ………せん、せ……は……平気、なの?」
 ごくりと喉を鳴らして、夏清が唾液を飲み込む。顔を離して、なにが? と聞き返す。
「え、だって、……ふ……クチで、したあとなのに…」
 言いにくそうにもごもごとした口調だが、言いたいことは大体分かった。
 店に来た客は、平気で人に向かってそれを舐めさせて、挙句の果てに精液まみれにさせるくせに、その行為のあとキスをした人間は、年が明けてからの二ヶ月ちょっとの間だけしか仕事をしていなかったが、夏清の記憶の中にはない。
「ああ、忘れてた」
 そう言えばそうだったかな、と言うような顔で井名里が全く気にもとめず言った。
「忘れてたって……な……」
「『なんで?』って?」
 言質を取られて、夏清がぷり、と頬を膨らませる。
 その顔がまたとてもかわいらしくて、軽く触れるようなキスをする。
「その顔。ほんとになんでだろうな、キスしたくなるんだよ」
 言い終わるが早いか、また井名里がくちづける。今度は、出来るだけゆっくりと。優しく、やさしく。
 そのまま、顎のラインを伝って舌先で耳をくすぐる。くすぐったくて夏清が肩をすくめたので、そのまま、骨の浮きあがる鎖骨を舐める。
「ん……ぁ……」
 まだ固さが残る乳房を、両脇から掬い上げるように寄せる。先端で、小さな乳首が震えている。
 引き寄せられるように、吸いついて、舐め上げて、口の中で転がす。
 もう片方の乳房を、手のひらでなでる。たちあがった乳首が、井名里の大きな手の下で上下左右に転がる。
「いっ……は、んんっ」
 指の間にはさんで軽くつまむのと、口の中に含んだものを吸い上げる、同時に。
 夏清の体が、びくびくと跳ねる。悲鳴をかみ殺したようなくぐもった息が、漏れるのが聞こえた。
 腰が浮きあがった瞬間、井名里の空いた手が、店でつけていた、かろうじてそこを覆うのみのものと対称的に、ヘその下まであるレースがあしらわれているもののわりと大き目のコットン地のショーツにかかり、ほんの少しずらす。
「!! っだめっひゃんっ……!!」
 止めようと上体を起こしかけた夏清が、軽く乳首をかまれた衝撃に今度こそ悲鳴を上げてベッドに体を沈める。ショーツを脱がせることなど到底無理な力で夏清のお尻がシーツに押しつけられていて、井名里は一旦その白い布をはがすことを諦める。
 力をこめてシーツを握り締めた指の関節が白くなる。
 変わりに無駄な肉が全くついていない、まだ薄い臍のあたりをなでて、白い肌に幾つも痕をつける。己の唇が触れて、離れるたびに夏清が声を漏らす。細い体がこわばり、弛緩する。
 胸から脇、腰までたどってショーツを避けて太腿をなぞる。
 ゆっくりと時間をかけて、外側から内側へと指を滑らせる。
 内腿を上下になでる。手のひらを全て使ったり、指先で軽く触れたりしながら、それでも意識的に、その場所の中心にはにはふれないように。
「あ……ふぅん……ん、ぁ……ぁっ……」
 どのくらいそんな動作を繰り返していただろうか、恐らく無意識なのだろう、するすると上に向かって動く井名里の指に反応して、夏清が心持、腰を動かした。
 じらすような井名里の動きに、どんどん夏清は追いたてられていた。一番触れてほしい場所は、恥ずかしくて触ってほしいとは言えなくて、さりげなく指に擦り付けようとしたその動作に、井名里が微笑む。
 すでにショーツは、覆う、と言う役目以外は全て放棄したような状態だ。触らなくても、耐えきれないほど濡れている。
 夏清の動きを軽く躱して井名里の指が腿のうしろに入りこむ。誘うように夏清が腰を浮かせた。
「っ! はぅんっ!! ぃやあっ……」
 半ばまで下がっていたショーツが、気前良くひざまで引き摺り下ろされた。
 片足を上げさせて、引きぬく。丸まった小さな布は、ずっしりと重く、二重になった部分が大量に蜜を含んでいる。
「やめ……見ないで……」
 耐えきれない快感の中で、夏清が頭を横に振りながら訴える。足を閉じ合わせてしまいたかったのに、体にうまく力が入らない。
 夏清の体をまたいでいたはずの井名里が、いつのまにか夏清の両足の間に体を割り込ませていて、思いきり足を開かされている。体の奥まで覗かれているようで、恥ずかしさがこみ上げる。
「どうして?」
 自分のソコを見つめる井名里の顔を見ることが出来なくて、夏清がぎゅっと目を閉じてしまう。
 恥ずかしいからに決まってるじゃない、と心の中で叫んでも、言葉にすることができなくて夏清はただただ首を振る。
「こんなにきれいなのに?」
 どこもかしこもきれいだった。薄い明かりの下で白い肌が浮きあがって、さらにそこに井名里がつけた赤い痕が散らばっている。
 無毛の恥丘も、足を開かれて耐えられずにぱっくりと口をあけた秘唇も。ほかの部位が白いせいで、充血して赤くなった中心は、文字どおり咲いたばかりの花のように震えている。
「うそ」
 目じりに涙を溜めた、夏清が言えたのはたったそれだけ。
 こんな格好をしているときにキレイだと誉められても、素直に喜べるわけがない。
 見つめられて、堪らないくらい恥ずかしくなって夏清が両手で胸を覆う。
「うそじゃない。きれいだよ」
 そう言って井名里がひざを割るように手を入れ、所在なげに宙に浮く細い足を肩に乗せる。浮きあがった柔らかい尻の下へと指を滑らせて、そっと震える中心に口をつけた。
「…だめだめだめだめー!!! っああッ!! ………んっくぅ……!」
 たったそれだけの刺激で、あっさりと夏清はイってしまった。夏清の腰ががくがくと震える。蜜が止めどなく流れて、井名里の顔を汚していく。
「ふぁ……ああ……どうしよう……ごめっ……ごめんなさ……」
 不規則にびくんびくんと、足が跳ねる。胸を隠していたことも忘れて、夏清が両肘をついて頭を起こす。ぼろぼろと閉じた瞳から涙が零れ落ちる。どうしてなのかわからないまま、嗚咽をこらえて夏清が謝る。
「あやまらなくていいさ。気持ち良かっただろ?」
 長くてきれいな井名里の指が、涙で濡れた夏清の頬をぬぐったあと汗で張りついた髪の毛を払ってくれる。
 気持ち良かったかと問われて、頷きかけた夏清が慌ててあいまいに首を振る。
「わかんない。初めてだもん……こんなの……」
 熱に浮かされたような、まだ涙の残る瞳が、戸惑うように揺れたあと井名里を見つめる。
 初めてされた時は、体中あちこち痛かった。苦痛でしかなかった。ただ乱暴に自分の欲望を達するために動く従兄や叔父には夏清に対するいたわりもなにもなかったからだ。
「いやだった?」
 頬を優しく這う指に、うっとりとひとみを閉じて、夏清が、今度ははっきりと首を横に振った。
 いやじゃなかった。
 体が別のものになったような気がするくらい、自分が自分でなくなったような気がするくらい、なにがなんだか訳がわからなくなったけれど、全然不快ではなかった。けれどこれが『気持ちいい』と表現されるものなのかどうか、夏清に分かるはずもない。
「そうか、じゃあもっと気持ちよくしてやるよ」
「え? あ……っふ」
 余韻に潤むソコを指でなぞる。二度三度割れ目に沿うようになで上げると、またじわりと花蜜が漏れて指の動きがスムーズになったとき、するりと中指の第一関節まで、蜜を吐き出すその中に埋める。
「いっ……あんッ……」
 そのまま中を探るように、ゆっくりと指を進める。細い指に、柔らかい肉が絡みつく。
 そっとかきまわす。
 指の質量に押し出されて、こぷん、と蜜がこぼれる。中に入った空気と蜜が攪拌されてぐじゅぐじゅといやらしく響く濁音に、夏清は頭の中までかきまわされるような錯覚に酔いながら目を閉じる。
「…………っ!!」
 指の動きはそのままに、井名里がまたソコへ口をつける。産毛しか生えていない秘唇の中の、一番敏感な場所を乳首と同じように舌先でなでて転がし、吸い上げる。
 胸が反り上がる。夏清の意志とは全然別の場所からの指令にしたがって、井名里の肩に上げられた足が突っ張るように動く。
 大声で叫びそうになって夏清が唇をかみ締める。頬が真っ赤に上気し、首から胸にかけてうす桃色が広がる。鼻でくり返される荒い息に、小さな胸が上下している。
 人差し指を抜くとじゅぷっ……っと言う音とともに大量の蜜がいっしょにあふれる。すかさず今度は指を二本に増やして、また挿入する。人差し指と中指が強弱をつけて中で踊る。攪拌される力が二倍になって、与えられる快感が二乗される。
「はぁ……あん、あッ! ……せん、せ……だめ、もう……も、耐えらんない…………よ、ぅ」
 シーツの上をせわしなく這いまわっていた夏清の指先が、井名里の髪をそっと掴んだ。
 熱っぽい息の間に、途切れがちの言葉。
 仕事用に作ったものでも、こんなにいやらしい声を出したことは、夏清にはない。また井名里も、甘く脳髄に届くその声に、このまままたイかせてしまいたい衝動に駆られる。
「ダメ………こんな……わた、し、ばっかりぃ……セン、セ……も………いっ……しょ……じゃなきゃ……やだ」
 その言葉に、井名里が顔を上げる。決して広くはないベッドの上で、いつのまにか追いたてられて夏清は枕を肩に当てるようにしている。首が不自然なくらいギリギリまで上げられて、肘をついて支えないと辛そうな体勢。それでも井名里のことを考えて、精一杯両手を井名里の頭に伸ばしている。
 井名里を見ながらいやいやをするように夏清が頭を横に振る。
 そこにある劣情に井名里が息を呑む。だめになるのはこちらの方だと思いながら、苦笑すると肩に乗った足を下ろして、そっと指を引きぬき、体を離す。
「あッ……」
 腰を持ってぐい、と引いて、夏清の体をベッドの中央に移動させてやる。突然動かされて、すがろうとする夏清に、井名里はちょっと待ってと言い置いてベッドからおり、すぐ脇のサイドボードの引出しから薄い袋を取り出す。
 袋の端を咥えて片手であけながら同時に穿いたままのトランクスを脱ぎ捨てる。
 黙って近づいてくる井名里のしぐさの一つ一つから目がはなせない。
「……あんまり見るなよ。照れるだろう」
 言葉と裏腹に余裕さえ見える笑みを浮かべて、井名里が夏清に覆い被さる。
「うそ、ばっかり。人のこと散々見てたくせに」
 そっと井名里の頬に触れる。汗ばんだ髪に指を絡める。
「先生が言ってたの、ちょっとわかった気がする」
「ん?」
「うん。今すごくキスしたい」
 ふわり、と夏清が微笑む。
 ニ、三度軽く触れたあと、割り入れられた舌を夏清が躊躇なく受け入れる。息をつきながらキスをくりかえす間に、井名里は片手で器用に己のそれにコンドームをつけると、その手で夏清の中心を探る。
「ん、ふ……ぅん………あ」
 あふれる愛液をすくいあげて薄いゴムの上につけ、そっとあてがう。入口に触れた瞬間、その熱さに体中の血が一気に先端に集まったような気がする。
 一方の夏清も、薄い膜越しの井名里の熱さに思わず腰が引ける。
 逃げようとする体が、肩を引かれて戻される。
 胸元にある両手を、井名里がそっとつかんで自分の背中に回させる。
「力抜いて」
 井名里が、耳元でささやく。わかっていても、そう簡単にはできない。
「息、吐いて……」
「ん……」
 そう言われて、夏清は自分が息をすることさえ忘れていることに気付かされる。なのに心臓がばくばく動いて全身に血液がものすごい速度で回っているのがとてもアンバランスな気がする。
 息といっしょに少しだけ体の力が抜けるのを見て、ぐいと侵入を試みる。
「いっ……た……」
 背中に回された指が、爪を立てる。
 軽い痛みに顔をしかめて、井名里はそのままゆっくりと奥へ奥へと進む。
「痛い?」
 眉間にしわをよせながらも、夏清ははっきりと首を横に振る。
「だい、じょうぶ」
 はぁ、とため息のような息をついて、夏清が呼吸を整えようとする。入る瞬間こそとんでもない異物感があったけれど、それを越えたら耐えられないほどではない。
「全部入った」
「ほん、と?」
「どんな感じ?」
「え……どんな……って熱くて……おっきくて……おなかがいっぱい……かな……?」
 素直に感じたことを、夏清が答える。自分でないものが自分の中にあるのに、ナゼかとても安心する。体の奥からとても暖かくなって、とても幸せを感じられる。
「俺には、夏清の方が熱いよ」
 名前を呼ばれた瞬間、きゅい、と中が一回り狭くなった。
 ヤバイ……くらくらする。
 ただでさえ、とてつもない圧迫感なのに、これ以上締められたら、身が持たない。
「せんせ……名前呼んで……もっと、呼んで……」
 うっかり名前を呼べないなと思ったところにこのお願いだ。名前を数回呼んだだけで、井名里のほうが参ってしまう。
 キスを一つして、逡巡したあと名前を呼ぶ。もう一度。
 名前を呼ばれるのが、こんなに嬉しいことだなんて知らなかったと泣いていたことを思い出して。
「夏清も呼んでみな。俺の名前。先生じゃなくて、礼良って」
「アキラ……?」
「そう。知らなかっただろう?」
「ごめ……」
「責めてるわけじゃないから」
 うっとりと柔らかく弛緩していた唇を震わせるように動かして謝ろうとした夏清に、井名里のほうが慌てて言い訳をする。
「動くぞ」
 返事をまたずに、抜き差しを始める。もうこれ以上じっと待っていられなかった。
「んっあ……んふっ!! あっぁきらぁっ!!」
 名前を呼びながらしがみついてくる夏清に、言葉の代わりにストロークの強弱と、左右かきまわすように前後以外の動きで応える。こんなに甘く切ない声で名前を呼ばれたのははじめてで、確かにこれは、脳からダイレクトに各器官に染みていく。
「い……いぃっ! すご……ん、ふぁっ」
 井名里の動きに合わせるように、ぎこちなく夏清も腰を振り出す。粘膜の擦れ合う音が一層深まる。
「夏清」
「んっ」
 体がぶつかり合う小気味良い音と吐息。お互いの気持ちいいポイントを探るように、それだけをただくりかえす。
「あきッら……! もうダメ……んぁ……っ!! 耐えらんない……はぁんっ」
「俺も、持たない……っく」
 どんどん追い詰められるのに、お互い動きを止めることはできない。ただ声もなく腰を振りたてて、荒い息の間にキスを繰り返し、井名里の手が胸を撫で回す。
「あんっ やぁっ……!!」
「イキそう?」
「うぅんっ!」
「夏清、イクって言ってみな」
「ヤだ……そんな……こと」
「言ったらもっと気持ち良くなれる。平気さ、俺しか聞いてない」
 それが一番恥ずかしい気がする。
「ほら」
 中で動くものが、ごつごつと奥に当たる。
 とどめを刺すように、井名里が夏清の一番敏感な部分を指ではじいた。夏清が悲鳴を上げる。その衝撃は夏清の中を伝ってダイレクトに井名里自身をも責めたてる。その一瞬、信じられないくらいものすごく締め上げられる。
「あっあぁ………うっ! いっ……くぅ………」
「俺も……もー……イク」
 思いきり奥まで突き上げる。
「ん、うぅん……はぁ……ああぁっ!! ……ッくう……イクっ! イっちゃうッ……!」
 はばかることなく、体を振るわせながら夏清が叫ぶ。強烈なフラッシュをたかれたように目の前が真っ白になる。体中から力が抜けるのに、井名里と繋がったそこだけが別のものみたいにどくどくと動いているのを感じながら、夏清はゆっくりと意識を手放した。
 それと同時に中に入った井名里を包む全てが、井名里の全てを吸いだそうかという勢いで蠢く。
 小波のように寄せて引く収縮に、搾り取られるように井名里もまた果てた。
 背中にしがみついていた夏清の腕から力が抜けて、弛緩した体がベッドに落ちる。
 終わった後もその余韻のなかでただ荒い息を繰り返していた井名里も、ぐったりしたまま全く動かない夏清に少し不安になる。
「夏清? 大丈夫か?」
 名前を呼びながら軽く頬をなでるとむーっと眉間にシワが寄る。面白いので今度は軽くつまむと、さすがに夏清も目を覚ました。
「……? ぁれ?」
「おはよう」
 目の前で、にっこり笑っている井名里に、夏清が目をしばたいた。
「わたし、ねてた?」
 きょろきょろと当たりをみて、時間の感覚が途切れて夏清がパニックを起こす。
 その様子に井名里が声を上げて笑い出す。
「ひどい。そんな笑わなくていいのに」
「すまんすまん、いや、いくら俺でも挿れたままじゃ寝ないよ。お前のは気絶だな」
 気絶していたと聞いて、再び顔に血が戻る。
「そんなに気持ち良かった?」
「ちがっ!!」
 否定したくても言い訳すら見つからない。実際気絶した時を思い出したら、ものすごく……気持ち良かった。ただ顔を真っ赤にして、ぱくぱくと口を動かす。
 さらに追い討ちをかけるように、夏清のお腹がぐう、と鳴く。当たり前である。昨日六時に軽く夕飯を食べただけで、ほとんどその後はなにも食べていない。対する井名里は、ちゃっかり夏清が寝ているうちにカップラーメンだがちゃんと腹に入れている。
「じゃあなんか作っといてやるから先にシャワーだな。風呂行ってこい」
「ひゃ……」
 ずるりと、自分の中から井名里が抜ける感覚に夏清が肩をすくめる。音をたてて軽くキスをしたあと井名里の大きな手がぐりぐりと髪をかきまわす。
 ちゃっちゃと自分の始末を終え、トランクスを身につけた井名里が作り付けのクローゼットから、たたまれたあとがきっちりと残った大きなパジャマを取り出して、夏清に手渡す。
 けだるく残る疲れを感じながら身を起こして服を抱く。
「こっち。立てるか?」
 立てるかと問われて、即答できない。なにも言わずに身動きが取れない夏清を見てはいはいと苦笑した井名里がひょいと抱え上げる。体勢は言わずと知れたお姫さま抱っこだ。
「首に掴まって」
「……ハイ」
 パジャマはお互いの体の間にはまっているので、素直に両手を首に回す。井名里の首筋に顔をうずめた。
「ごめんなさい、重いのに」
「確かに重いねぇ」
 抱き上げてしみじみと井名里が言う。先に自分が言ったこととはいえ肯定されると腹が立つ。
 首をしめるのかという勢いでしがみついて黙り込んでしまった夏清に井名里が笑って付け加えた。
「そりゃもう、自分の命より大事なもんだって思えば重いだろ? っうわ、こら、いきなり動くな」
 いきなり体を離そうとした夏清の体を井名里が抱え直す。
「ほんと?」
 目がキラキラ輝いている。言葉一つでころりと変わる。女心はわかりやすいのかわかりにくいのか……きっと答えなど男で生きているかぎり見つからないだろう。
 うそだと茶化そうかとして、本当に嬉しそうに自分を見ている夏清に、意地悪いことも言えなくなって、つい緩んだ頬の筋肉を慌てて引き戻しながら、それでも井名里は笑いながら頷く。
「私、つい十時間くらい前まで先生のことキライだった。すごいね、人の気持ちって、たったそれだけで新しくなるの」
 そう言ってまたしがみつく。キライだった、と素直に言ってしまうあたり、夏清にはまだ駆け引きをしようというところまで恋愛になれていない。
「……今は?」
 あっという間に脱衣所に到着し、井名里が夏清を降ろす。夏清はなんとか立っていられることに安堵した表情を浮かべたあとくるりと井名里に背を向けてしまう。背骨と肩甲骨が浮きあがった白い背中を。
「学校で逢った時名前で呼んじゃいそうなくらい好きになった」
 うしろから圧し掛かるように、井名里が覆い被さる。
「俺も、名前呼ぶのだけは気を付けないとなぁ」
 脱衣所から繋がるすりガラスをあけて体で夏清を押す。
「洗ってやろうか?」
「いっ……遠慮します」
 まじめに応えて、からかわれているだけだと気付いた夏清が振り向く前に音もなくガラス戸が閉じられる。
 ゆっくり入ってろよと言い残して、井名里が脱衣所から出ていった。






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