3 藤


「いいお天気ねー」
「ねー」
 チャイルドシートの上でも動く手足で目いっぱい自己主張をしながら好きな歌だけセレクトされたCDを流してもらって一緒に歌っていたちいが窓の外を覗いて車に乗ってから何度目か知れないお天気のことを言う。誰かが返事をしてくれないと繰り返し言うので、いつも夏清が適当に相槌を打っている。
「窓あけていい?」
「ダメ」
 そしてその後も同じせりふが続いて、間髪いれずにその提案は却下される。それ以前に窓はすべてロックされているので勝手には開けられない。
「もうすぐ着くから、がまんして」
「もうすぐっていつ? 五分?」
「またちいの『五分?』がはじまった」
 ちいの隣でちゃんとジュニアシートにおさまった健太にあきれたように言われてちいが頬を膨らます。
「だって、もうすぐってお母さん言ったんだもん」
 車で遠出をするとき出かける前一番喜ぶのがちいで、一番先に車に乗ることに飽きるのもちいだ。そしてCDが一巡したあたりで『いつ着くの?』『もうすぐ?』『五分?』の連続攻撃が始まる。
「ほら、河原見えてきた。あそこ。紫の花が咲いてるでしょう」
 川の横を走っていた車が交差点を左折して橋を渡る。
 眼下の川の堤防が整備され、上段に駐車場、その少し下に炊事棟や遊具が配置された広場。そしてさらに川のほうにサッカーができるグラウンドが広がっている。
 その炊事棟の屋根と続くように、大きな藤棚があり、もうすでに七分ばかり花を咲かせている。その花を見ていた夏清がすでに準備を始めているらしき人影を見つけて悲鳴を上げた。
「うわっ 早めに着たのにもう人がいるよ!!」
「うわあ」
 助手席の夏清が窓に張り付く。その真後ろにいるちいもまねをして窓に手を伸ばしている。
 四月の最終土曜日にあった初めての参観日のとき、集まった父兄に毎年ゴールデンウイークにするバーベキューに先生もご家族とどうぞと誘われたのだ。
 もちろん家族に相談する前に夏清が行きますと即答したので、問答無用でみんな連行された。
「ごめん! 先に行くね! 荷物と子供お願いっ」
 堤防の脇にある駐車場に車が止まるのと同時に夏清が手荷物をつかんであっという間に走り去っていく。
「ちいも行く!! 待って! あーっ」
 あっという間に堤防の下へ続く階段を駆け下りてしまった夏清の姿が見えなくなる。
「行っちゃったね」
「あー」
「すぐそこだろうが」
 置いていかれて泣きそうな顔になったちいに礼良が呆れたようにため息をつく。ちいは両親がそろっているときは絶対夏清にくっつこうとする。
 運転席から降りてちいのいる助手席後ろのドアを開けてチャイルドシートのロックをはずす。ドアにももちろんチャイルドロックがつけてあるので内側から勝手にあけることはできない。
「おっかけるー」
「ダメ。車が来ただろ。一人で動いたら危ないからだめ」
 すぐに逃げられないようにちいを抱き上げて後から降りてくる健太を待ってドアを閉め、トランクを開ける。
「………この荷物一人で持っていけってか?」
 トランクの中にはみっちりと飲み物が入った大きなクーラーが一つとどこで大人数でバーベキューをする情報を仕入れてきたのか昨日実冴から宅配で送られてきた鮎の入ったスチロースケースが二つ、皿などが入っている大きなバスケットまで納まっている。
「こんにちはー」
 どうしたものかと覗き込んでいる横で、健太が体を中に突っ込んで最奥までころがりこんだ自分の荷物であるサッカーボールを取り出している。後ろからかけられた声にこたえながら礼良が健太を片手で引き上げて下ろす。
「あれ? えーっと……」
 振り返った先に、男の子ばかり三人連れた家族がいた。知り合いだと思って声をかけたらしき女性が、振り返った礼良を見て知らない人だったことに気づき、あいまいな顔で笑う。
「どうも、井名里です」
「あーっ 夏清先生の!! ほんとにこんな大きな子供さんがっ やーんかわいい。こんにちは。お名前は?」
 三歳くらいの末っ子を父親に押し付けて、一気にそこまでまくし立てて母親が近くまでやってくる。
「お名前は? いくつ?」
 その勢いに押されてちいがびっくりした顔のまま固まっていた。再度聞かれて、やっと開いたままだった目をぱちぱちさせながら、小さな声でちいが答える。
「いなりちい。五歳」
「ちいちゃん? うわー 名前もかわいい。お人形さんみたいねー ああっ 女の子ほしいわー もう一人なんとかしようかしら」
「次も男だったらどうするんだよ」
「そんなのパパのせいでしょ。色白いねー 柔らかーい」
 父親のつぶやくようなツッコミを軽く流してふにふにとちいを触ったあと、やっと思い出したようにその場に夏清がいないことに気づいた母親がそのままちいに尋ねる。
「あれ? ママは?」
「お母さん行っちゃったの」
 あっち、と藤棚のとなり、炊事ができる施設棟を指差す。
「一人で?」
「うん」
「これも全部おきっぱなしで? パパさん一人じゃ運べないですよ、これ。荷物がどのくらいあるかとか、きっと全然忘れて行っちゃったんですねぇ」
 トランクの中身をみて笑い飛ばしてから、その母親が思い出したように自己紹介をして、夫に押し付けた子供を自分が抱くと、自分の荷物を持っていて手ぶらではない男手たちにさっさと井名里家の荷物を分担させる。
「ありがとうございます。でもそっちの荷物、これ降ろしたら持てますから。子供には重いですよ。飲み物ばかりだし」
「いやー だっこ」
 これ、が自分を指すのだと察したらしいちいが離れないとばかりにしがみつきなおす。今降ろされたら目の前の人に何をされるかわからないと思っているのかもしれない。
「わかった。痛いから身ぃ掴むな。ほれ。落ちるなよ。健太、いいからかせ」
 小さな手の力はそう強いものではないけれど、小さいゆえに局地的に締め付ける。食い込んでくる手を離させて、片方の肩に娘を乗せて重い荷物をもう一人の子供と運ぼうとしていた息子に声をかける。
 二人がかりでも引きずろうとしていた荷物をなんでもない様子で担ぎ上げる。もう片方の手には更に大きいバスケットを下げたままで。
 そのまますたすたと危うげもなく階段を降りていく後姿に母親がすごいすごいと言いながら自分の夫を置き去りにして行く。
「お前のパパすげーな」
 どうやって運んだらいいのだろうと無言のままはじめてあった子供同士健太と見詰め合っていた上の男の子がため息交じりに言う。
「うん。お母さんもすごいよ。あれ全部車に積んだのお母さんだもん」
 健太は小さいころはこの人たちが標準だと思っていたが、成長するにつれて自分の親は結構かなり、特殊な部類に入ることに気づいてきた。
 比べることが変なのだとわかってから、あまり親のことは自慢しないようにしてきた健太だったのだがでも素直にすごいと言われたら、やっぱりうれしくてついほかの事まで自慢してしまう。言った後でしまったと思っても、もう遅い。
「夏清センセーすごいよね。宗ちゃん掴み上げたもんね!!」
「ソウちゃん?」
 自分の妻を追ってやっぱり先に行ってしまった父親の後を、子供たちだけで歩きながらついていきながら、健太が知らない名前を聞き返す。
「うん。お兄ちゃんのクラスでね、一番おっきい子」
 そのときの状況を身振り手振りで弟のほうが面白そうに話す。
「………お母さんって」
 怪獣みたい。という言葉はさすがに飲み込む。想像以上にいろいろやっている。
「それよりさ、サッカーやってんの? えっと」
「健太。小一だよ。サッカーはお父さんとフットサルとかするくらいだから、あんまりしたことないんだ。クラブとかにも入ってないし」
「ふーん。オレもこいつもサッカーやってんだ。ケンタだっけ? 俺はアサヒで、こっちがカケル。小一ならカケルよりイッコ上だな。背ぇ高いから俺と同じくらいかと思ってたけど」
 比べるように手を目の上に当てたアサヒに健太が少し笑う。背は入学した中でも一番高かった。
「サッカーのできる場所があるって聞いたから持ってきたんだ。一緒にやろう?」
「うん。もうそろそろみんな集まるけど先にいるやつだけでやろっか。女の子もまじるし、あの子は?」
 背が高いうえに子供を乗せている礼良の姿は遠目でも良く目立つ。そっちを指差したアサヒに健太が首を振る。
「ちいはあんまり、運動とかいっぱいしたらだめなんだって。すぐ熱がでたりするから。病気で、生まれてすぐ手術したりしたんだ」
「ふーん」
 悪いことを聞いたかな、と言う顔をしたアサヒが、返事に困ったのかうつむいて相槌を打つ。
「今は元気だよ。もう治ったってみんな言ってるし。もうすこし大きくなったら普通にできるって」
「……ならはやく、サッカーとかできたらいいのにな」
「うん。そうなんだけど」
 多分、父親がアレなかぎり、ちいはどんなに元気になってもサッカーなんかさせてもらえないだろうなと、健太はこれも心の中で思うだけにした。






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