4 桃


 どうぞと出された、マグカップになみなみと注がれたコーヒーをみて、礼良が額を押さえる。
「響子さんや逢はともかく、どうしてお前がここにいて、当然のように俺にコーヒーを出すのか聞いていいか?」
 土曜日の昼を少し回った時間。仕事を終えて家に帰ってみれば、響子と逢がリビングでなにやら問題集らしきものを広げてお茶を飲んでいた。そして朝出勤するときに、響子に預けたちいは家で走り回り、さらに追い掛け回す草野キリカの姿があった。
 帰宅の挨拶もそこそこにまずキリカとちいを叱り付け、着替えてリビングに戻ればこの状況だ。
「どうしているかって、取材だよ取材。スポンサー様のCM撮影兼ねて。北條さんちで撮ってたんだけどさ、なんかちいちゃんの表情が固くて。家ならリラックスできるだろうからってんで来ちゃいました」
「夏清は?」
「健ちゃんとお買い物に行くってさっき出て行ったけど逢わなかった?」
 そう言えばと思い出すと駐車場で待っていたエレベータが一階で一度止まっていた。あれに二人が乗っていたのならすれ違いだ。
「しっかし、すごいねー これいなりんが張ったんでしょ。教師クビになっても壁紙張り職人で食っていけるよ。絶対」
 しわ一つなく壁紙が張られた壁をなでながらキリカが感心したように言う。
「そんなもん業者に頼めるか」
 先週の日曜日に今年八回目の張替をした白かった壁紙には、端から原色でかかれた拙い数字が並んでいる。こうも頻繁に張り替えをしなくてはならないのだから、業者などに依頼していては破産する。
「ちー。次はこれやってくれる?」
 逢が差し出した問題集の一問を指でさす。文章題を声をあげて一読したあと、わかったわかったと歌いながらちいが壁に式を展開していく。
 腰をかがめるようにして、小型のデジタルビデオを体の前、子供の視点ほどの高さで持ちながら、液晶を確認して全体が撮影できるよう変な体勢のままキリカが止まる。
 ちいはなおもご機嫌で首を前後左右に振りながら式を歌って書いていく。筆圧が一定ではないのでミミズが酔っ払ったような、としか言いようのない数字や記号がそれでも何とか判別できる程度の形を残していく。
「なんで壁にかかせるんだよ」
 次の張り替えまでの期間がまた短くなることに礼良が不満を漏らす。
「パフォーマンスだって。インパクト。キリカさんとこの局で夏の間スポットで流してもらうCMに使う映像なの。前のやつも割と好評だったんだって」
 問題集の解答編とちいの答えを見比べながら逢が笑う。
「もうちょっと難しくてもよかったかなぁ」
 一度も考え込むことなく、ものの十秒ほどで答えを書いて、今度はできたできたと歌いながら響子のところに走って行く。
「合ってるの? コレ」
 走ったことを叱ろうとした礼良の言葉を止めさせるのに絶妙のタイミングでキリカがつぶやく。ビデオはまだ映したままだ。
「……合ってるに決まってるだろう。こんなもん中学で習う方程式だ」
「……十年以上前のことなんかわすれてるもーん」
「忘れる前に覚えたのかもあやしいだろう」
「そうとも言う」
 答えがわからなかったらしいキリカにつっこむと、開き直った答えが返ってきた。
 そのままキリカはすたすたとちいに近づく。正解を響子に誉めてもらってご機嫌度がさらに上がったちいにキリカが話しかける。
「すごいねー ちいちゃん一番いいお顔してー かわいいねー お願いだからこっち見るときカメラのほう見てくれるー? はーい全国のみなさまに笑顔ー」
「なにが全国だよ。つぶれかけの地方ローカル局のくせに」
「つぶれかけは余計デス。せっかくなんとかもぐりこめた職場なのに」
 夏清と違って勉強は嫌いだったらしく、四年で大学を卒業したキリカは大学の学問とはまったく関係のない分野の仕事をしている。
 通常取材は二〜四人で一組になってするものだが、キリカと行動をともにするはずの人物は、就業時間のほとんどをパチンコや競馬に費やしているので、ほとんどキリカ一人で好き放題やっているのだという。
 要はテレビ局の雑用係なのだが、こうやって仕事らしきこともしているところを見るとそこそこ使ってもらっているのだろう。
「だからっ 見るのはお姉ちゃんの顔じゃなくて、下のほう」
 顔のアップを撮るためにちいに近づいたキリカが、声をかけるたび自分の顔を見て笑うちいに苦笑を返す。
「オネエチャンって年でもねぇだろうが」
「いいんだよ。独身のうちはオバチャンって言ったガキは殴るから」
「ならとっとと結婚しやがれ」
「面倒くさいからいいよ。このままで。子供できたら考えてもいいけど……」
 しゅうりょーと声をかけて腰を伸ばし、ビデオを置くと、自分のコーヒーを淹れて、キリカが勝手に少し離れたダイニングテーブルにつく。
「なーんか、できないっぽいからねぇ ここに来てたら、子供がいたらおもしろいだろうなとは思うけど。そういえば樹理ちゃんとこ、男の子生まれたんだってね」
「ああ」
 あの二人もずっと一緒に暮らしていたが、去年の春にやっと氷川家がしぶしぶと言った様子で結婚を承諾したのだ。
 しかし、氷川家の結婚式といきまく母親と自分たちのことだと珍しく譲らなかった哉が大衝突、それまでのこともあってキレた哉が仕事を全部放棄して樹理を連れて、消えた。なんと横浜港から出航した世界を一周する客船に乗り込んでいて、昨年五月から年末まで、寄港するたびに氷川の人間が説得にいっていたらしいが降りてこなかったのだ。
 年末に船を降りた理由も家の説得に応じたわけではなく、樹理の妊娠がわかったからだが、今度はそれを理由に日本に帰ってきていない。以前哉が会社を辞めると言ったときの騒動から、会社側は哉を社外に放逐するわけにも行かず、仕方がないので氷川の現地法人に籍を置かせているらしい。
「すごーく、気になるんだけど、帰ってくる気あるのかな」
「さあな」
「樹理ちゃんもすごいよね、外国で生むなんて私には無理だわ。それにちいちゃんみたいな子だったら私には育てられないからいいや」
「あらあら。どこでもどんな子でも育てられないことはないわよ。自分の子供なんだもの」
 おそらく父親の目があるからなのだろうが注意される前に使ったペンをいつものペンたてに片付けているちいを見て、響子が言う。
「確かにこの子は普通の子とちょっと違う疾患を持って生まれたけど、今はこんなに元気だもの」
「うん。ちい元気よ? もうおなかも痛くないの」
 言いながら元気さをアピールしたいのか右足だけつま先立ちになって妙な踊りを踊りだす。最初は手振りもつけてゆっくり室内を練り歩いているが、すぐにジャンプ込みのスキップもどきになり、意味不明の歌がついて、最後は叫びながら走り出す。今日は走り出した直後なにかに気づいたらしく、急ブレーキのあと恐る恐る振り返っている。
「ほんとよ? 今日はおなか痛くないよ」
「痛くないから走っていい理由にならないだろう!」
 つい数日前、腹痛と熱のダブル攻撃で三日も寝込んでいたのだ。あと一日熱が下がらなかったら入院させようと医者とも相談していた。やっと病状が落ち着いたと言うのに、本人はまったく落ち着かない。
「来週の検査でまた悪いところがあったら入院しなきゃならないんだぞ」
「入院いやぁ」
 入院と聞いてちいの顔が曇る。彼女がこの世で一番嫌いなことが『入院』することだ。
「入院がイヤならおとなしくしてろ。そんなふうに動いたらダメだっていつも言ってるだろう」
「…………」
 言葉ではなくぶーっと息を吐いてじゃあもう動かないとばかりにその場に座り込む。
「……だから! そんなところに座るな。夏でも冷えたらまた調子が悪くなるだろうが」
 何も敷いていないフローリングの床にお尻をつけるような格好でべったりと座ったちいが、立ち上がり近づいてきた礼良に抱き上げようとされて、体をよじっていよいよ床に転がってしまう。
「ちい!!」
 転がったまま芋虫のように体を伸縮させて動いていたちいがとうとう怒鳴られてびくりと跳ねてから固まる。
「まったく、他人がいるときは俺が本気で怒らないと思って……いつもいつもそんなことばっかりして楽しいか? 寝るならちゃんとふとんに行け!」
「いやぁ」
「いやじゃないだろ。ムリしてしんどいことになるのは自分なんだからもうちょっと考えろ」
「いーやーあーあー」
 無理やり抱き上げられて全身で抵抗の意思を示し、結局怒られる前よりじたばた激しく動くちいを、蹴られ殴られ、身をつかまれて髪の毛を引っ張られながら担ぎ上げている礼良をみながら、いつの間にやら響子の隣にやってきたキリカが小さな声で話しかける。
「いいんですか? 止めなくて」
「止めてもいいんだけど。この間夏清ちゃんに聞いたのよ。あの子、実冴や私といっしょにいた次の日はよく熱を出すんですって。そろそろあまりわがままも聞いてもらえないってことをわかってもらわないと……ちいちゃんが熱をだして、誰が一番大変かっていうと、やっぱり夏清ちゃんだしねぇ」
 どうしてもつい甘くなるからと苦笑して響子がお茶を飲む。
「病気のこともあって……いろいろと制約されてしまうからかわいそうになってしまってどうしてもみんなあの子のわがままを聞いてしまうのね。それではダメだって思いながら、あの笑顔には弱……」
「いがッ!!」
 にぶい、骨が鳴ったような音と礼良の、意味のよくわからない呻き声が重なる。それでも攻撃者を払いのけずにゆっくりと降ろしてそのまま大きな体が床に落ちる。
「お父さんきらい。だってダメばっかりなんだもん!!」
 文字通り、うわーんと声を上げて泣きながらちいが響子に向かって走ってくる。
 響子にしがみついて涙とハナミズでぐずぐずになった顔をあげて、要約と通訳が必要な日本語で、父親がひどいことをすると訴えている。
「うわー すごー 私、いなりんがオチたのはじめてみたー」
「私も礼良くんが膝ついたの、はじめてみた」
 キリカと逢が異口同意な感想を述べる。
「ちいちゃん?」
 えぐあぐとまだよくわからない言葉を、子供特有の甲高い声でしゃべり続けていたちいが突然咳き込んでのどを鳴らすように体ごと息をする。
「すまん、結局俺が興奮させた」
 体を丸めるように響子に抱きついているちいをはがして、響子の横に座って、ちいが呼吸が楽になるように支えて抱く。
「あーもう、うまくいかねー」
 指を広げれば十分足りてしまいそうな小さい背中を撫でながら礼良が天井を仰ぐ。
 愚痴をいうところもはじめてみたかもと思いながら、キリカが口を開く。
「しょうがないじゃん。いくらちいちゃんが頭のいい子だって、子供なんだもん。大人だって思い通りにならないのに、うまくいくほうがおかしいって」
 三人分の視線を受けて、キリカが言葉を続ける。
「いなりん、いつもちいちゃんがなんかする前に『ダメ』って言ってるでしょ。あれもだめこれもだめそれもだめ。じゃあちいちゃんがしていいことってなに?
 ウチの親もいろいろうるさい人たちだったけど、いなりんとは違ってたよ。とりあえず大怪我するようなことでない限り血を見ようが熱だそうが、なんかやるまえにダメとは言われなかったもん。やったあとで怒られることはしょっちゅうだったけど。
 心配なのはわかるけどさ、いつもいつも何もしないうちに行動を制約されると逆らいたくならない? 私なんかダメって言われることほどやってたよ。子供なんか大抵動きたがりの騒ぎたがりなんだから。日常で抑圧されてたら、その分どこかで発散させたいって思うでしょ?」
「できる子供とできない子供がいるだろうが」
 落ち着いてきたちいを撫でていた手で髪をかきあげながら言う礼良に、あきれたようにキリカが畳み掛ける。
「だから。どうしてちいちゃんはできないって思うの?」
「……それは」
「病気? だって、ちいちゃんの病気って移植で治ってるんじゃないの? 夏清の肝臓がちゃんと機能してるからちいちゃんは今生きてるんでしょう? 先天性の肝機能障害の子供は、昔は五才まで生きられなかったって言うけど、今は五才過ぎたら生存率だってほとんど健常な子供と変わらないんでしょ?」
 生まれて一ヶ月の検診で、ちいに胆道閉鎖症の疑いが出た。精密検査を繰り返して、疑いは確証になり、診断を受けて生後二ヶ月のとき塞がっている胆道をつなぐ手術を受けたが状態が回復せず、一才になる前に肝臓の移植手術を行った。
「せっかく生きてるのに、元気になったのにダメばっかりじゃかわいそうじゃん」
「だから、だよ。キリカ」
 いつの間に帰ってきたのか、夏清がキリカの後ろに立っていた。そのまま歩を進めて、不自然な体勢でちいを乗せていた礼良のうえからちいを抱き上げる。
「生きてるから……元気だから、ダメなことがたくさんあるの。私の肝臓はちゃんと機能してるけど、それはちいにとっては異物なのよ。なかったら生きていけない臓器だけど、ちいのものじゃないから、ちいはこれから一生、異物を抱えて生きていくために薬を飲みつづけなきゃいけないの」
 異物を異物と認識させないための薬、免疫抑制剤は、本来持っている抵抗力まで奪い取ってしまう。人工的に免疫力を低くさせているために、他の人間には軽い風邪やかすり傷で済むことが重篤(じゅうとく)な病気になる可能性が高い。また、免疫抑制剤は単体投与されることが少なく、いっしょに服用させているステロイド剤の副作用もまったくないとは言い切れない。
「逢ちゃん、健太がキッチンにいるからちょっと見てきてやってくれない?」
「あ、うん」
 逢が立ち上がり、空いた場所に礼良が座りなおし、夏清がその隣に掛ける。
 体温の調整がうまくできないので、ちいは夏でも半そでになることはない。外気温と冷房温度の差が広いと、夏でも突然風邪をひく。七月に入って、みんなが夏服になった今でも、ちいは長袖のシャツを着ている。
 日光に当たりすぎると日に酔って熱を出すので、夏もいつも邪魔になるくらい大きな帽子を被っているちいの体はとても白い。生まれて五年たった今でも、ちいは夏の日の下で本当の意味で思い切り遊んだことがない。
 他の子供と同じ状態において置けないので、はじめから公立の保育園への入園は見合わせた。風邪とまでも行かない子供とは遊べないし、雑菌が多くある砂場も入れない。極端な話、他の子供が触った遊具さえ触れないことも考えられた。
 過保護だと言われても仕方がない。けれど、どうしても考えてしまう。どうしても、あらゆるものから守ろうとしてしまう。
「でも、いつまでもこのままでいいとは思ってないのよ。そろそろもっと、いろんなことをさせたいけど、私たちもどこまでがよくて、なにがダメなのかまだわからないの」
 自分たちの子供が、他の子供とは違う病気をもって生まれてくるなんて、実際医者にそう告げられても信じられなかった。手術の成功率も、成功後の生存率も五割を超えていたけれど、たとえ今までの統計で九十九%の子供が助かっていても残りの一%については、それは絶対の死だ。
「生きてほしいから、元気になってほしいから」
 夏清がガーゼのハンカチでちいの顔を拭きながら覗き込んで、おでこをくっつけて熱が上がっていないか確める。
「身も心も健やかに、っていうのは難しいね」
 ついでに鼻をかませてから、抱きしめる。
「キリカが言ってることもわかるんだよ。この頃は熱を出しても三日で治るくらいの体力はついてきたから、この夏入院するようなことにならなかったら、秋くらいにはなにか体を動かすようなこともさせたいと思ってるの」
「ちい、もう入院しないもん」
 去年も夏に一度暑さに負けて三日間、冬は十一月の終わりに一度突然寒くなった日があって、その日に体調をくずして二月のはじめまで微熱が続いて三ヶ月近く入院している。
 入院が嫌いな理由はじっとしていなくてはならないことはもとより、いつもよりも自分の思うように体が動かなくなることがいやなのだろう。
「ならなぁ……」
 蹴られたのか殴られたのか、一撃を受けた胸部をさすりながら礼良がつぶやく。声に反応してちいがぷいと礼良が座る方とは逆の方向へ首を向けた。
「このチビ……」
「『お父さん嫌い』って最近のちいの口癖だけど……あーあ、ほんとに嫌われた」
 ちょうどリビングにやってきた健太が笑う。何かあるごとに嫌い嫌いと言っているがそれでもいつも言うことは聞いていた。顔もあわせようとしないのは初めてだ。
 白くて四角い箱を持った健太のあとに皿やカップをのせた盆を持った逢がやってくる。
「夏清ちゃん、お皿これでいい? コーヒーはもうちょっとかかりそう」
「ありがとう」
「ちー 桃のケーキあるよ。桃、好きでしょう?」
 テーブルに置いた白い箱を開けると、あまいにおいがあふれだす。すねて夏清にくっついていたちいが顔を上げて、中身を覗こうと少しずつ夏清から体を離して、最後にはひざから降りてテーブルに両手をついてよだれを落さんばかりの近さまで、今度はケーキに顔をくっつけている。
「ぴんくの」
 さっきまでぐずぐずと泣いてスネていたのがウソのように目をキラキラさせながら自分が食べたいケーキを指名したちいに健太が説明する。
 苦しかったのは本当なのだろうが、半分以上仮病に近い位置で、実はそんなにつらくなかったらしいちいの様子を見て礼良がさらに脱力している。翻弄されているのは北條たちばかりではないらしいとやっとわかった。
「それが桃のだよ、今月のケーキなんだって。そのとなりがばななのケーキ」
「ばらな!!」
 本屋に行くついでに、そこから少し行ったところにあるケーキ屋で買ってきたのだが、実のところケーキのほうが主役のお買い物だ。
 そろそろ帰ってくるであろう礼良に、ちいは絶対に叱られる。そして、北條がいるので絶対に泣いているはずだというのが母と息子の統一見解で、ケーキ屋では逆にホールを買いたい夏清といろいろなケーキが買いたい健太で意見が分かれてじゃんけんをした。
 箱から出てくるケーキを見ながら、ももーばらなーいちごー♪と、ちいがまた歌いだす。
「で、ちーはどれにするの?」
「えーっとねー…………」
 もも。と言いかけて、何かに気づいてちいが礼良を振り返った。どうせだれもちいより先に選ばないのだ、もしくは選んだとしてもちいが狙っているものを取り上げるようなことはしない。しばしの無言の後、礼良が体を起こす。
「………っ」
 腕を伸ばされて反射的に目を閉じて身をすくめたちいの頭を撫でて、その隙に空いた手で桃のケーキがのった皿をちいから見えないところ、空になった箱のなかに隠す。
「お前から好きなの選んでいいぞ」
 大きな手のぐりぐり攻撃がやみ、いつになく笑顔の父親からお許しが出てぱっと顔を輝かせたのもつかの間、あるべき場所にないものを発見して、ちいが泣きそうな顔になる。
「………おとーさん……またやるの?」
「健太もよくやられてたよね」
 健太、夏清があきれた様子で礼良を見る。
 どこに行ったのかと机の下を覗き込んでいるちいをみて笑っている礼良を非難しても、誰もちいにケーキのありかを教えない。必死な様子で探しているちいが自分で発見するまでその姿を、同じように見ているだけだ。
「あんたらオニかい」
「かわいいでしょ」
 箱の蓋が閉じられているわけではない。子供の視線でも十分目に入るのだが、なぜか机の周りでそこだけ見ずにテレビのうしろを見るために移動し、体をつっこんでいるちいのお尻を見て夏清が笑う。
「お母さーんっ もも消えちゃったの」
「どうしたのかなー かくれんぼしてるのかもね。もう一回このあたり探してみたら?」
 夏清が机の上を指差してヒントを与える。聞かれたら導くが、答えは教えない。
「あったー」
 すぐに箱の中にケーキを見つけてちいが歓声をあげる。そのうれしそうな姿に周りの人間が口々に褒める。
「よかったねー」
「がんばってさがしたものね」
「じゃあそれはみつけたちいのもんだな」
 めいっぱい褒められてちいがうれしそうに笑っている。ものすごく作為的にすりかえられているが、これでちいは『選んだ』のではなく、発見者の権利としてほしかったものを手に入れたことになるので、礼良も勝手に選んだとはもう言わない。
 要するにかわいらしい宝探しは、勝手に選んだと言われなくていいようにするのと同時にあっさり許したということもカムフラージュするための遊びだ。
 その様子にそういうことかいとキリカも苦笑するしかない。
 しかし。
「どーしてそんなに遠まわしなんだか」






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