君の声は優しい歌のように  3


 ただ、なんとなく振り返った。
「寒くない?」
 ほんの三メートルほども離れていない場所に、園生が立っていた。そのまま彼女は、黙って近づいてきて、手に持った紙コップを差し出した。
「どうぞ」
 受け取ったカップは、少し冷めていた。園生はずいぶん前からそこにいて、マチカが振り向くのを待っていたのだろう。
「ありがとう……おいしい」
 飲み頃よりも少し温(ぬる)めの甘いココア。
「ココア。アユムが、あの人が好きだったんです。コーヒーはブラックじゃないとダメなのに、ココアはおもいっきり甘くないとダメだったの」
 強くはないけれど、少し肌に寒く感じる風が時折吹きぬける屋上で二人、プラスチックのイスに座って静かにココアを飲む。
「さっきは、ごめんなさい」
「ごめんなさい、坂下さんの気持ちも考えないで」
 お互い同時に謝りあって、どちらからともなく笑った。
「私たち、子供がいたんです。生まれつき心臓に障害があって、手術では治らなくて、一歳になってすぐ、死んでしまいました。海外での移植は、無理だったんです。主治医の先生にそう言われて私たち、諦めたんです。残された時間を大切にするほうを選びました。でも」
 空を仰ぐ。
「毎日悩みました。後悔もし続けました。自分の選択が本当に正しかったのか、ずっと私、迷っていたんです。
 終わってしまったことなのにまだ迷い続けていたんです。もしも日本で移植ができたのなら、助かっていたかも知れない。
 もっと方法を考えたら、助かっていたかも知れない。あんなに早く、さよならしなくても良かったかも知れない。今日まで今まで、私ずっとそう思いながら生きてきました。
 息子が、ヒカルが死んだあと二人で相談して決めたんです。私たちの心臓じゃ、ヒカルのような小さな子供は直接救えなくても、移植を受ける人は絶対誰かの大切な子供で、もしかしたら誰かの親かもしれない。親になるのかもしれない。もしもそうなら、小さな子供だって笑うことができるかもしれないのなら、提供しようって。
 何もしないで後悔するより、何かやって後悔するほうが、残されたものにはいいのかもねって。私、一度も後悔してるなんて言ったことなかったのに。きっと言わなくてもわかってたんですね。
 私、また後悔するかもしれない。移植なんか承諾しなければ良かったって、思う日が来るかもしれない。でも、しておけば良かったかもしれないって、思い続けるよりずっといいわ。
 それに……」
 少しココアの残ったカップをゆっくりと回して、下の黒い層と上の白い層が混ざり合うまでマチカは何も言わなかった。
 園生は何も聞かなかった。
「あの人はもう、あそこにはいないんです」
 すぎた光がまた、二人を照らす。
 まぶしすぎない光を仰いだあと、マチカはゆっくりと園生を見た。
「みんな、ここにいるから」






Back  Index  Next


Copyright © 2004 OCT Sachi-Kamuro All rights reserved.
このページに含まれる文章および画像の無断転載・無断使用を固く禁じます
画面の幅600以上推奨