ケース1−2 さらに華菜の場合


「それでは華菜ちゃんの小学校卒業と、条祥中学校への入学を祝して」
 かんぱーい、っていう大人たちの陽気な声。時刻は九時を少し回ったくらい。なんでこんなに遅いのかと言うと、ウチのお父さんが仕事でトラブって帰りが遅くなっちゃったからだ。
 集まってるのは、駿兄と私、駿兄の両親と私の両親。ちなみに母親は従姉妹同士だ。
 とりあえずこの人たちは何かにつけて酒を飲みたがる。つい三週間ほど前に駿兄の二年後期主席終了(条祥は二期制)のときも飲んでたし、一ヶ月前に私の合格が判ったときにも夜通し飲んでたわ。なにもなくても「お、今日は大安か、飲もう」とかで、ほぼ週イチで飲んでるよ。この人たち。
 でも、この人たちは無理に子供にお酒を飲ませようとかはしない。悪いけど私はビールも日本酒もワインも、少しもおいしいとは思わないから、私はお行儀よくオレンジジュースをすするのが常だ。
 ただし、無理に飲ませないだけであって、駿兄は去年のクリスマスくらいからお父さんたちとビールを飲んだりしてる。未成年だから飲むな。とも言わない。だから私が飲むって言ったらきっと喜んで飲ませるに違いない。
 お母さんが用意してくれた料理はあらかた食べつくされちゃって、室内にまったりとした空気が流れ出した時、佐貴子おばさんが思い出したように自分のトートバックをひっくり返して何か出す。
「はい、華菜ちゃん。これ私とおじさんからお祝い」
 そう言って、佐貴子さん、駿兄のお母さんが赤いリボンのかかった細い箱をくれる。
「ありがとう。開けていい?」
「いいわよ。開けて開けて」
 リボンを解いて、包装紙を破ると白い紙の箱。それを開けると、今度はピンクのビロードばりのケース。そしてそれを開けると。
「うわぁ! かわいい。ありがとう!!」
 そのなかには、赤いベルトのついたかわいらしい腕時計がちょこんと収まってる。
「貴金属だと学校にはつけて行けないでしょう?それにこれからは電車で通学するから、これならいいと思って。気に入ってくれた?」
「すっごく。ありがとう! 佐貴子さん、おじさん」
 私は、にっこり大人ウケする笑顔で二人にお礼を言う。ちなみに、佐貴子さんは「おばさん」とよぶと怖い笑顔で睨まれるので「佐貴子さん」だ。
「あらあら、やっぱり佐貴ちゃんは時計だったのね」
「え?まさか由紀子も時計用意してたとか!?」
 おじさんが、だから相談してから用意しろと言ったんだ、とかなんとか言ってたけど、佐貴子さんはそんなこと聞いてるわけがない。
「ちがうわよぅ。華菜ちゃん、こっちはお父さんとお母さんからよ」
 うふふと少女のように笑って、母がどさりと何かのパンフレットを手渡してきた。A4の紙を三つに折ったくらいの……あ!!
「携帯電話だー」
 あっちこっちのケイタイのパンフレット。
「少し前にお父さんと一緒に見に行ったんだけど、いろいろありすぎて華菜ちゃんがどれがいいかわからなかったからパンフレット手当たり次第もって帰ってきちゃったの。どんなのがいいか選んでおいてね。今度の休みに買いに行きましょうね」
「ありがとーお母さん! すごいうれしい」
 うれしくてうれしくて、ぎゅーってお母さんに抱きついたら、すでに酔っ払ってるらしいお父さんが背後からくっついてきて、私も混ぜてと佐貴子さんが横から入って来て、逆側から何も言わずにおじさんまでドサクサにまぎれてくっついてきた。
「何やってんですか、あんたらは」
 真ん中で窒息しそうな私の耳に、涼しい声が聞こえてくる。で、めりめりと大人をはがす音。
「ぷはー」
 やっと開放されて息をつく私を見下ろして、声の主、駿兄が呆れたように笑っている。
「華菜も、大人を挑発しない。この人たちは見境ないからね」
「まあ! 何を言うのかしらこの子はっ! もうかわいげがないったら。由紀子、華菜ちゃんと駿、交換して!!」
「僕も華菜ちゃんのほうがいいなあ。道彦君、わけてよ」
 一番にはがされたらしい佐貴子さんと、おじさんが、異口同音でウチの両親に言う。
「「だめ!!」」
「ぐえ」
「由紀さん、道彦さん!! 華菜が死ぬ!!」
 せっかく緩くなっていた両親の抱擁が先ほどにまして強くなって、私はカエルが潰される気分がちょっと理解できたような気がした。駿兄が慌てて止めてくれたお陰で、死は免れたけど。
「ふー」
「大丈夫か? 華菜。外の空気吸う?」
「うん」
 座りこんで再び息をつく私に、駿兄が優しくそう言って立たせてくれる。ウチの家族も駿兄の家族も、愛情表現がちょっと……いやとてもヘンだ。
 いっしょに部屋を出た私たちに、駿が華菜ちゃん独り占めするーとか、佐貴子さんがぶーぶー文句を言っていた。
 ウチ、遠野家と、駿兄の斎藤家は、同じ敷地内にL字型に建っている。分譲住宅地の一角だけど、一戸建てには広く、二軒に分けるには狭いような土地を共同購入して、各々が家を建てたのだ。私は生まれたときからこの家族達に囲まれて育ってきた。
「はー 死ぬかと思った」
 共同の庭は、最近ウチのお母さんがガーデニングに凝ってるので、ちょっとした英国庭園風になっている。二年くらい前までは毎年キュウリとかナスとか作ってたんだけどね。
 三月も終わりに近づいたとは言え、まだちょっと外は寒い。でもアルコールのにおいと異様なテンションの大人たちのところにいたためか、体がほくほくしてるので、吸いこんだ空気がすごくきもちいい。
「ココア、飲むだろ?」
「飲むー」
 庭に面した駿兄の家のダイニングキッチンに上がる。ちなみにお祝い会はウチのリビングで行われている。私たちがいなくても、あっちはあっちで楽しそうにやってる声が漏れて聞こえる。
 斎藤家に常備されている私用のクママグにココアと砂糖を入れてお湯で練って、牛乳をたっぷり。それをレンジにかけて温める。
「うまー 駿兄のココアが一番好き」
 頬が弛む。甘いのもおいしいのも大好きだ。
「そりゃよかった」
 駿兄は、自分用にいれた砂糖抜きのココアを持って、ソファを背もたれにしてふかふかの絨毯の上に直にあぐらをかいて座る。仕事につかれたサラリーマンのようにため息をついて髪をかきあげる。
 なんかもう、見てるほうがバカになるくらい様になる。
 斎藤駿壱、四月生れ。もうすぐ十八歳。しようと思えば結婚だってできる年齢。身長は百八十くらい。体重は知らないけど、結構筋肉ついてるから軽くはないと思う。私が今度から通う条祥に小学校から通ってて、中学一年のときから二年の後期である現在まで主席の座を守りつづけた上、中三から高二まで生徒会長を勤め、高一、高二と、ちっちゃいころからやってたって言う剣道でインターハイ優勝までしてしまうわ、できの悪い私の家庭教師も週二日こなし、自分の勉強を一体いつやっていたのか判らないが、相変わらず自分の勉強もこなしている、化け物のような男である。しかも顔まで超一流だ。彼と同じ血がちょっとでも自分に流れていることが信じられない。ハトコだけど。
「おーにぃちゃーん」
 あぐらのなかにはまりこんで、にっこり笑って見上げる。
「うわ」
「あ、なにそのイヤそうな顔」
 ひどい。まだなにも言ってないのに。駿兄は飲み終わったらしいココアのカップを体を伸ばしてテーブルに置く。猫舌のわたしはまだ表面をすすってる状態なのに、どうやってあんな熱いのこんな早く飲めるんだろう。
「だって、華菜が俺のこと『お兄ちゃん』呼ばわりする時って大抵なんかよからぬこと企んでる時だからな」
「そう?」
「そうなの」
 大人の余裕の見える苦笑い。くやしいわ。駿兄はなんでこんなにオトナなんだろう。五才と十一ヶ月の年の差はこんなに大きな壁として私の前に立ちはだかる。でもここでへこんでちゃいけないのよ。私にはやらなきゃいけないことがあるの!!
「そうかも。ねえねえ、華菜、まだお兄ちゃんからお祝いもらってないもん」
 すっぽり収まる大きな胸にもたれて、おいしいココアをすする。
「じゃ、そのココア」
「いやぁー そんなんなら返すぅ」
「泣くなって。何がいいの?」
「えっとね、大人のー……」
「ストップ。前に言ったのはナシ。それ以外ならオッケー」
「えー………」
 見上げた私のおでこに、優しい感触。
 覆い被さるきれいな顔。触れるか触れないかの、優しいキス。
「ちがーう。華菜がほしいのはこんな子供のキスじゃなくて、もっと大人のキスがいいの!! こんなのお父さんやお母さんや佐貴子さんやおじさんとするのと変わらないもん。いいじゃん。減るもんじゃないしぃ」
 ちっちゃいころからこの四人の大人たちにはおでこに頬にとぶちゅぶちゅちゅーされてた。これは知ってる。子供のキス。家族のキス。私がほしいのはそんなんじゃないもの。
「減らなくてもダメ。それに華菜はまだ大人じゃないでしょこれで我慢しなさいって」
「なんで? 春から中学生だよ? 小学校卒業したよ? もう大人だもん」
 ぶーっと、ぶくぶくココアに空気を入れる。
「……そっか、華菜はもう大人なんだな。じゃあこれはいらないかな……せっかく遊園地のペアフリーパス券があるけど、大人ならもう行かないよな……うがッ!!」
「遊園地!? 行く! 行きた……ッたー」
 ごづ、という鈍い音が前頭部で響いた。いたい……マグカップを持っていない手でそこをさすりながら見上げると、駿兄が下あごを押さえて天井をあおいでいる。
「あっ あー ごめ、ごめんなさい!」
 テーブルにカップを置いて、駿兄の顔を覗き込む。
「だ、大丈夫。口の中も切れてないし。お子様の華菜にこんな状態で遊園地の券を見せた俺が悪かった」
 ナミダ目になりながらも私に対するお子様発言。悔しい……でもホントのことだし……
「後楽園だけど。行きたい?」
「うん。行きたい。二人で?」
「そうだな。ペア券だし」
「やったー! 駿兄とデートだー!! 明日は? 明日はダメ? 私明日行きたい!!」
「わかったから、ほら、離れて」
 駿兄はしがみついた私をはがして、自分のひざの上に座らせる。
「明日って……ああ。もう十二時回ってるから今日だな。ちゃんと寝てから行った方がいいから明後日かその後にした方がいいんじゃ……」
「イヤ! 明日がいい。今すぐでもいい」
「今すぐはー……閉まってるでしょ。じゃあすぐ寝て、明日はそうだな。十時くらいにでかけようか? お姫様」
「やったー!!! きゃー! 駿兄大好き!!」
「こら、ドサクサにまぎれてくっつくなって。ほら、早く寝ろよ。寝坊するなよ」
「はーい」
 いそいそと寝るために、庭を横切って家に帰る。
 大人たちはまだ宴会を続けているので、捕まらないようにそっと二階の自分の部屋に戻ろう。でもお母さんには明日でかけるの、言っておかないといけないし……どうしよう。
 そーっとリビングを覗くと、自分が飲んだらしい缶ビールを積み上げて競い合うお父さんとおじさん、囃したててる佐貴子さん。やばいなぁ、まだまだやる気だよ、この人たち。三人とも明日……じゃなくて、今日、仕事あるはずなのに……
「あら、華菜ちゃん。帰って来たの? もう寝る?」
 コソコソ覗いてる私を見て、お母さんも小さい声でたずねてくれる。
「うん、あのね、明日駿兄とね、遊園地行くの。合格したお祝いしてくれるって」
 頷いて、とことこ階段を上がる。
「あらあらあらあら。じゃあデートね。おめかしして行かないと。三つあみしてあげるわ。お洋服も選ばなくちゃ。明日は何時に出かける約束なの?」
「十時」
 家に帰って、部屋に入ったらものすごく眠くなってきた。電池が切れて来てるんだ。パジャマに着替えてる間中、クロゼットからあれこれと服を引っ張り出してくるお母さんに適当に返事をしてオヤスミナサイって、言えたかどうか覚えてないんだけど、私は寝ちゃったのだ。


ケース1−2´(ダッシュ) 駿壱の場合
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ケース2−1 駿壱の場合
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ケース1−1 華菜の場合
ケース1−2´(ダッシュ) 駿壱の場合



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